西国三十三所巡礼の札所完全ガイド|三十三の観音霊場を全て紹介
最近人気の巡礼のなかでも特に人気の高いのが「西国三十三所巡礼」。
関西を中心に点在する三十三箇所の観音霊場を全て巡ると「満願」となります。
三十三箇所の札所と三箇所の番外札所の歴史や見どころなどのおすすめポイントを完全ガイドします。
執筆は岩本真輝さんです。
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和歌山県
【第1番】那智山 青岸渡寺〈那智勝浦町〉
基本情報
別名 | 那智山寺 |
宗派 | 天台宗 |
ご本尊 | 如意輪観音 |
ご真言 | おん ばらだ はん どめい うん |
ご詠歌 | 補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬 |
公式ホームページ:那智山青岸渡寺公式ホームページ – seigantoji.or.jp
青岸渡寺の紹介
西国三十三所巡礼の一番札所は「那智山 青岸渡寺(なちさん せいがんとじ)」です。
和歌山県南部の那智勝浦町の山中にあるお寺で、那智の滝を背景に三重塔が建っている風景でよく知られているお寺です。
1600年以上前(仁徳天皇の時代のころ)にインドから来た裸形上人(らぎょうしょうにん)が、那智の滝で修行中に滝壺で観音菩薩を発見し、ご本尊として安置したのが始まりとされています。
明治時代までは熊野那智大社や麓の補陀落山寺などと一体で「熊野那智権現」として熊野三山を構成し、修験道の一大道場となっていました。
今も境内は那智の滝や熊野那智大社と隣接しており、双方をあわせて参拝することができます。
特に那智の滝は古くから山岳信仰の聖地、修業の場となってきた場所で、青岸渡寺ご本尊の如意輪観音菩薩像は4世紀にインドから来た修行者によって那智の滝から発見し、お祀りされたものだと伝えられています。
青岸渡寺は熊野三山のひとつとして世界遺産にも登録されているお寺で、約450段の石段を登ったところに本堂があります。
本堂裏手にある展望所から見える三重塔と那智の滝の眺めが絶景です。
少し先へ足をのばして、飛龍神社へ合わせて参拝するのがおすすめです。熊野那智大社の別宮、飛瀧神社(ひろうじんじゃ)は、日本三大瀑布のひとつで落差日本一の「那智の滝」がご神体の神社です。
青岸渡寺は紀伊半島の南端に位置するため、西国三十三所巡礼のなかでも特にアクセスがし難いお寺ですが、境内では「よみがえりの聖地」として信仰された熊野の空気を感じることができます。
江戸時代、東国からの西国三十三所巡礼者は、伊勢神宮から熊野三山を経由して西国巡礼の旅をしたと伝わっています。
時間に余裕があれば熊野三山を構成する他の二つの霊場である熊野本宮大社、熊野新宮大社を参拝するのもおススメです。
拝観情報
拝観時間 | 7:00~16:30 |
納経時間 | 7:30~16:30 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地 |
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【第2番】紀三井山 金剛宝寺(紀三井寺)〈和歌山市〉
基本情報
別名 | 紀三井寺 |
宗派 | 救世観音宗 総本山 |
ご本尊 | 十一面観音 |
ご真言 | おん まかきゃろにきゃ そわか |
ご詠歌 | ふるさとを はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん |
公式ホームページ:紀三井寺
金剛宝寺(紀三井寺)の紹介
紀三井寺の寺域は和歌山平野の南端、名草山の中腹にあり、景勝地である和歌浦(わかのうら)を見下ろす位置に建っています。
寺伝では8世紀に唐から渡ってきた僧が国内の諸国を巡って仏教を広めていた際に、名草山頂から一筋に光が出ているのを見かけ、そこで見つけた千手観音像を自らが彫刻した十一面観音像の中に納め、お祀りされたのが紀三井寺創建の由来とされています。
正式名を金剛宝寺護国院(こんごうほうじごこくいん)といい、紀州(和歌山)の「三つの井戸がある寺」ということで紀三井寺(きみいでら)とよばれることになりました。現在も湧き出る水「三井水」(清浄水・楊柳水 ・吉祥水)は、「日本名水百選」にも選ばれています。
紀三井寺創建後は後白河法皇の勅願寺となったほか、西国三十三所巡礼だけでなく、熊野や高野山詣の経由地としても栄えました。
江戸時代には紀州徳川家の城下町にあったことから、歴代藩主が度々紀三井寺に参詣した記録が残されています。
紀三井寺の境内から見下ろすことができる和歌浦は、かつては天橋立に比肩するといわれた景勝地で、和歌の名所、歌枕の地として多くの文人や貴族に愛されてきました。
紀三井寺の参拝後には「和歌山」という地名の由来となった、絶景の宝庫和歌浦を散策してみてはいかがでしょうか。
春には「早咲き桜の名所(日本さくら名所100選)」としても有名です。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 大人 200円 小中学生 100円 70歳以上 100円 |
住所 | 和歌山県和歌山市紀三井寺1201 |
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【第3番】風猛山 粉河寺〈紀の川市〉
基本情報
宗派 | 粉河観音宗 総本山 |
ご本尊 | 千手千眼観音 |
ご真言 | おん ばさら だるま きりく |
ご詠歌 | 父母の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓ひ たのもしの身や |
公式ホームページ:粉河寺|西国第三番札所|厄除観音|和歌山紀の川市
粉河寺の紹介
西国三十三所巡礼三番札所の「風猛山 粉河寺(ふうもうざん こかわでら)は、和歌山市街から紀ノ川を遡った紀の川市内にあるお寺です。
粉河寺創建の由来は国宝の「粉河寺縁起絵巻」などに記されており、8世紀後半に地元の猟師が山中で光輝く土地を見つけて庵を結んだことや、そこにある日、童子の行者が現れて本尊の千手観音像を刻んで去ったこと、その童子の行者は千手観音の化身で、霊験によって重い病を癒した話などが描かれています。
古くから霊験あらたかな観音様を祀る寺院として知られ、『枕草子』に粉河寺の記述がみられるほか、同時代の他の著作物にも多く登場しています。
粉河寺本尊の千手観音像は公開の記録がない絶対の秘仏であることが特徴で、他の秘仏を祀る寺院ではお前立(おまえだち)と呼ばれる代わりの像を参拝できる場合がありますが、粉河寺ではそのお前立仏も秘仏となっています。つまり直接拝むことはできないのです。
粉河寺は豪快な造形の庭園でも知られています。本堂の前にある国指定名勝の「粉河寺庭園」は千利休の弟子の一人である上田宗箇(うえだそうこ)の作庭といわれ、多数の大きな石が組み合わさり、迫力ある山水画の景色を作り上げている様子は一見の価値があります。
一般的に想像される枯淡な様子の枯山水とは一味違う豪壮な庭園を楽しみましょう。
粉河寺の大門は、重要文化財で、山門としては、和歌山県内で3番目の大きさといわれています。中門(重要文化財)は、今から180年以上前に建てられ、四天王がまつられています。
「身代わり地蔵尊」もおられて、お地蔵さんが苦しみを身代わりになって救ってくれるそうです。
粉河寺は桜の名所としても知られています。粉河寺の向かいにある観光センターではスイーツもありおすすめです。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 和歌山県紀の川市粉河2787 |
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大阪府①
【第4番】槇尾山 施福寺〈和泉市〉
基本情報
別名 | 槇尾寺 |
宗派 | 天台宗 |
ご本尊 | 十一面千手千眼観音 |
ご真言 | おん ばさら だるま きりく そわか |
ご詠歌 | 深山路や 檜原松原 わけゆけば 巻の尾寺に 駒ぞいさめる |
施福寺(槇尾寺)の紹介
西国三十三所巡礼第四番札所の「槇尾山 施福寺(まきのおさん せふくじ)」は大阪府和泉市の山中、和歌山県との県境に近い和泉山脈に抱かれたお寺です。
施福寺(せふくじ)は大阪みどりの百選にも選定されている槇尾山の中腹、標高500mほどの高さに境内が広がっており、境内に到着するまでは麓の駐車場から1km近い石段を登る必要があることから、西国三十三所巡礼でも「最も過酷なお寺」とも呼ばれる難所の一つです。
ご本尊までの距離を表現した「観音八丁」があり、進んでいくと所々に「あと◯丁」と石表示があり、がんばる力が湧いてきます。登拝時には滑りにくい靴を履き、水分を持っていくようにしましょう。
本堂には札所本尊である十一面千手観音像の他にも、施福寺本尊の弥勒如来像や馬頭観音像、日本唯一といわれる方違大観音像など、多数の仏像がお祀りされており、またそれらの仏像をとても近い距離から拝することができるのが魅力です。
「槇尾」という山号は、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が和泉山脈の山々にお経を納めたとき、最後のお経を納めたことから「巻の尾」と呼ばれたことに由来するともいわれ、山そのものが修験道の行場として古くから信仰されてきたと考えられています。
空海が自分の姿を映したとされる「姿見の井戸」や弘法大師(空海)が髪を切って仏門に入ったとされる「愛染堂」、弘法大使の毛髪をまつっているという「御髪堂」があります。
槇尾山周辺、南河内地域は魅力的な山寺が多い地域です。南朝の忠臣である楠木正成に所縁のある観心寺や、女人高野として親しまれた歴史を持つ金剛寺、西行法師が眠る弘川寺などの山寺を施福寺と一緒にご参拝してみてはいかがでしょうか。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00(11月~2月は16:00まで) |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 500円 |
住所 | 大阪府和泉市槇尾山町136 |
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【第5番】紫雲山 葛井寺〈藤井寺市〉
基本情報
別名 | 藤井寺 |
宗派 | 真言宗 御室派 |
ご本尊 | 十一面千手千眼観音 |
ご真言 | おん ばさら だるま きりく |
ご詠歌 | 参るより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲 |
公式ホームページ:葛井寺
葛井寺の紹介
西国三十三所巡礼の第五番札所は「紫雲山 葛井寺(しうんざん ふじいでら)」です。
大阪府南東部の藤井寺市にあり、鉄道駅から近く、とてもアクセスがしやすいお寺です。
葛井寺は7世紀前半に渡来系の氏族である「葛井(ふじい)」氏によって創建されたと伝わり、以降荒廃したものの、11世紀に大和国の住人である藤井安基(ふじいやすもと)によって伽藍の大修理がされたと伝わっています。
葛井寺と周辺の地域は兵火に巻き込まれることが多く、中世以前のお寺の歴史は明確ではありませんが、本尊の千手千眼観音像が奈良時代の作であり、境内から奈良時代の瓦が出土していることから、創建時期が奈良時代まで遡る古寺であることは間違いありません。
葛井寺のご本尊として祀られている千手千眼観音像は1.5mの高さと、1041本の腕を持つのびやかで堂々とした姿で、行基菩薩によって開眼されたといういわれを持っている国宝の仏像です。
一般的な千手観音像が1本の腕で25の世界を救うとして(25×42=1000)42本の腕を表すのに対し、葛井寺の千手千眼観音像は実際に千本の手を持っていることから全国的にとても珍しい仏様です。
初夏には藤の名所としても知られています。
葛井寺周辺は近年世界遺産に登録された古市古墳群がある地域です。古墳に使う埴輪を司った古代豪族、土師(はじ)氏の氏寺に所縁を持っている道明寺のほか、大小様々な古墳を目にすることができるので、古代に思いを馳せながら周辺の散策を楽しむことができます。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21 |
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奈良県
【第6番】壷阪山 南法華寺(壺阪寺)〈高取町〉
基本情報
別名 | 壷阪寺 |
宗派 | 真言宗 |
ご本尊 | 千手千眼観音 |
ご真言 | おん ばさら だるま きりく |
ご詠歌 | 岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭にいさごも 浄土なるらん |
公式ホームページ:壷阪寺(南法華寺)- 西国三十三所第六番札所
南法華寺(壷阪寺)の紹介
西国三十三所巡礼の第六番札所は「壷阪山 南法華寺(つぼさかさん みなみほっけじ)」です。一般には「壷阪寺(つぼさかでら)」と呼ばれます。
壷阪寺の境内には室町時代の再建である三重塔などのほか、大陸的な雰囲気の大仏や、アジャンター石窟寺院をモデルとして造られた納骨供養堂などがあることから、シルクロードの香りが豊かに漂う寺院として知られています。
壷阪寺の創建は8世紀初頭に遡るといわれ、その後は観音霊場として貴族達に盛んに参拝されました。
藤原道長が吉野参詣の途中に宿泊したことや、「枕草子」中に石山寺や粉河寺と並んで記述されたことからも、当時の栄えた様子を窺い知ることができます。
しかし、11世紀以降は火災や兵乱に巻き込まれることが多く衰退が進み、室町時代以前の建築は礼堂と三重塔が残るのみです。現在見られる伽藍の多くは安土桃山時代以降、麓の高取町を領有した武士によって再興が進められました。
現在の本尊である十一面千手観音菩薩は、それまでに信仰されてきた千手観音菩薩に代わって室町時代に造立された像と考えられ、特に「目の観音様」として信仰を集めています。
インド政府から贈られた全長なんと約20mの「大観音 石像」、全長約8mの「大涅槃 石像」、高さ約15mの「大釈迦如来 石像」、これらの特大大仏さまも必見です。
桜の名所としてたいへん美しい場所です。
壺阪山の麓にある高取の町は古くから薬の町として知られています。万葉の昔には推古天皇が付近で薬猟(くすりがり)として薬草の採取をした記録があり、明治時代以降は薬の行商で賑わいました。
高取の町には今も漢方薬店や薬膳料理店があり、薬の町の風情を伝えています。
拝観情報
拝観時間 | 8:30~17:00 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 大人 600円 小人(高校生以下) 100円 幼児(5歳以下) 無料※2024年3月1日より以下に改訂 大人 800円 小人(高校生以下) 200円 幼児(5歳以下) 無料 |
住所 | 奈良県高市郡高取町壷阪3番地 |
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【第7番】東光山 龍蓋寺(岡寺)〈明日香村〉
基本情報
別名 | 岡寺 |
宗派 | 真言宗 豊山派 |
ご本尊 | 如意輪観世音菩薩 |
ご真言 | おん はんどま しんだまに じんばら うん |
ご詠歌 | 岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭にいさごも 浄土なるらん |
公式ホームページ:日本最初やくよけ霊場・西国第七番 岡寺
龍蓋寺(岡寺)の紹介
西国三十三所霊場第七番札所の岡寺は「東光山 龍蓋寺(とうこうざん りゅうがいじ)」という名前でも呼ばれているお寺です。
「日本人の心のふるさと」とも称される古都、奈良県明日香村にあるお寺で、伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)や飛鳥寺などからも近い岡の上に境内が位置しています。
岡寺の寺伝では1300年を超える歴史があるとされる厄除け霊場で、奈良時代の高僧である義淵(ぎえん)によって創建されたと伝わっています。
一般的な知名度はあまり高くない義淵ですが、日本で最初に僧正位を賜り、行基や良弁、道鏡といった奈良時代の高僧の多くが彼の弟子であったとされています。
「龍蓋寺」という名称も義淵僧正にまつわるもので、民を苦しめていた悪龍を、義淵僧正が池に封じて石で蓋をした伝説が由来となったものです。この災厄を取り除いた伝説から岡寺は「厄除けの寺」としても信仰されるようになりました。改心したその龍は今も本堂前にある「龍蓋池」に眠っていると言われています。
岡寺本尊の如意論観音像は高さ約4.85mで塑像(心材を軸に粘土で形作る像)としては日本最大の大きさがある仏像です。常に御開帳されており、いつでも観音様のお姿を拝することができます。
如意輪観音像には珍しく、結跏趺坐する姿で表されていますが、台座部の調査から造立当初は左足を踏み下げる半跏の姿で、今よりも如意輪観音像らしいお姿だったのではないかと考えられています。
拝観情報
拝観時間 | 3月~11月 8:30~17:00 12月~2月 8:30~16:30 |
納経時間 | 3月~11月 8:30~17:00 12月~2月 8:30~16:30 |
拝観料 | 大人 400円 高校生 300円 中学生 200円 小学生以下 無料 |
住所 | 奈良県高市郡明日香村岡806 |
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【第8番】豊山 長谷寺〈桜井市〉
基本情報
別名 | 初瀬寺 |
宗派 | 真言宗 豊山派 |
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
ご真言 | おん まかきゃろにきゃ そわか |
ご詠歌 | いくたびも 参る心は はつせ寺 山も誓いも 深き谷川 |
公式ホームページ:奈良大和路の花の御寺 総本山 長谷寺
長谷寺の紹介
西国三十三所巡礼の第八番札所の「豊山 長谷寺(ぶざん はせでら)」は奈良県の東部、大和盆地から伊勢方面へ初瀬川を登った場所にあるお寺です。
長谷は「初瀬」、かつては「泊瀬」とも書き、奈良盆地へ向かう船の船着き場だったともされています。麓の奈良盆地側には市が立っていたとされ、万葉集にも歌われるなど、周囲は今以上に賑わう場所でした。
長谷寺は7世紀後半に現在の場所に創建されたと伝わり、天武天皇の病回復を祈願し、道明上人が「銅板法華説相図」を安置したのがはじまりで、国宝に指定されています。
西国三十三所観音巡礼の祖とされる徳道上人が聖武天皇の勅命をうけて観音堂を建立し十一面観世音菩薩像を安置し開山されました。以降は貴族の参拝旅行先として賑わいます。
紀貫之が和歌に詠んだほか、「枕草子」や「源氏物語」、「蜻蛉日記」や「更級日記」などにも長谷寺は登場し、藤原道長が参拝した記録も残っています。
観音霊場の中でも特に貴族の参詣が盛んであったことが窺えるお寺であるほか、枕草子の中に「蓑虫などのやうなる者ども、集りて」とあることから身分の低い人々からの信仰も集めていたと考えられます。
こうした熱烈な信仰を集めた理由として、長谷寺の本尊十一面観音立像が本来は地蔵菩薩の持物である錫杖を持っているなど、一般的な十一面観音像とは特異な像であることが挙げられます。
これによって長谷寺の十一面観音は複数の仏様の徳を併せ持つと考えられ、幅広い層の人々に信仰されるようになったといわれています。「長谷信仰」の流行によって日本各地に「長谷寺」というお寺が造られるようになりました。
初瀬山の中腹にある本堂は緑に囲まれ、春夏秋冬四季折々の花々が境内を彩る「花の御寺」とよばれる美しいお寺です。仁王門から本堂へは399段の登廊(屋根付きの石段)を上ります。高佐10m以上の観音様は見上げて拝する堂々としたお姿をされています。
本堂の舞台から緑に囲まれた朱塗りの五重塔が望め、眺めがとても美しいです。
拝観情報
拝観時間 | 4月~9月 8:30~17:00 10月~11月、3月 9:00~17:00 12月~2月 9:00~16:30 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 中学生以上 500円 小学生 200円 |
住所 | 奈良県桜井市初瀬731-1 |
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【第9番】興福寺(南円堂)〈奈良市〉
基本情報
宗派 | 法相宗 |
ご本尊 | 不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ) |
ご真言 | おん はんどまだら あぼきゃ じゃやでい そろそろ そわか |
ご詠歌 | 春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲 |
公式ホームページ:法相宗大本山 興福寺
興福寺南円堂の紹介
西国三十三所巡礼の第九番札所「興福寺 南円堂(こうふくじ なんえんどう)」は、世界遺産興福寺の境内にあるお堂です。
興福寺は藤原鎌足夫人であった鏡女王が京都に建立した山階寺を起源として、のちに飛鳥の地に移り、平城京遷都の際に現在地へと移って興福寺となりました。
興福寺は藤原氏の氏寺として権勢を誇っており、明治時代までは現在の奈良公園一帯に広がる広大な境内を持つ大寺院でした。
八角円堂のシルエットが美しい南円堂は9世紀前半、藤原冬嗣が自身の父の追善供養のため、弘法大師空海の助力を得て興福寺内に創建したものです。
後の時代に冬嗣の子孫筋である「藤原北家」は特に繁栄したことから、南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めていきました。
本尊の不空羂索観音像は、鹿の皮を身に纏った姿で羂索(けんじゃく‐鳥などを捕える縄)を持つ姿で表されることが多い仏像ですが、この鹿との関連性から藤原氏の氏神、春日大社の神である建御雷神と同一視されて信仰されてきました。
空羂索観音は持物の羂索によって衆生を救うとして、民衆にも広く信仰された仏様だったと考えられますが、藤原氏が厚く信仰するようになると容易に造立されなくなり、現在では南円堂など、奈良を中心にいくつかのお寺でのみ見られる仏様となっています。
南円堂内部は通常非公開ですが、毎年10月17日のみ開帳されます。
興福寺境内には他にも多くのお堂がありそちらを併せて参拝するのもおすすめです。
境内は天然記念物に指定されている野生の鹿が行きかい、国宝五重塔と東金堂が立ち並び、金堂内に18体の国宝仏が安置されています。
中でも2018年に再建された中金堂は、創建当時から興福寺の中心を為してきたお堂で、丹の色も美しく創建当初の雰囲気を感じることができます。
拝観情報
拝観時間 | 外からのお参りは24時間 南円堂の開扉は10月17日のみ |
納経時間 | 9:00~17:00 |
拝観料 | 10月17日の特別開扉時 大人 300円 中高生 200円 小学生 100円 |
住所 | 奈良県奈良市登大路町48 |
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京都府①
【第10番】明星山 三室戸寺〈宇治市〉
基本情報
別名 | 御室戸寺 |
宗派 | 本山修験宗 |
ご本尊 | 千手観世音菩薩 |
ご真言 | おん ばざらたらま きりく |
ご詠歌 | 夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波 |
公式ホームページ:京都・宇治 西国第十番札所 三室戸寺
三室戸寺の紹介
西国三十三所巡礼の第十番札所「明星山 三室戸寺(みょうじょうざん みむろとじ)」は京都府宇治市にあり、平等院鳳凰堂から宇治川を挟んで対岸の山腹にある寺院です。
創建時期は8世紀後半とされ、寺伝では毎夜宮中に差し込む光を不思議に思った天皇が、側近に光の源を辿らせると宇治川の上流の滝つぼに当たり、そこで千手観音像を得たので本尊としてお祀りしたことが由来とされています。
滝つぼの中で得られた像は現在でも秘仏となっていますが、本尊を模した「お前立」像を実際に拝することができます。30cmほどの小ぶりな像ではあるものの、大ぶりな冠を被り、図式的な表現の天衣などからは飛鳥時代の仏像のような雰囲気を感じることができます。
観音霊場としての信仰も厚く、かつては三室戸寺が33番目の札所で最後に巡礼することもありました。
三室戸寺は「花の寺」としても高名なお寺でもあります。境内には6~7月には約50種1万株のアジサイ、夏には100種250株のハスが咲き誇ります。中でも2万株植わっている紫陽花の美しさは特別なものです。見ごろの時期の土日曜にはあじさい園のライトアップも楽しむことができます。
本堂前には「宝勝牛」が鎮座し、口の中にある石の玉に触れると勝運に恵まれると言われています。
拝観情報
拝観時間 | 4月~10月 8:30~16:30 11月~3月 8:30~16:00 |
納経時間 | 4月~10月 8:30~15:40 11月~3月 8:30~15:10 |
拝観料 | 大人 500円 小人 300円2月18日~7月17日、11月 大人 1,000円 小人 500円 |
住所 | 京都府宇治市莵道滋賀谷21 |
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【第11番】深雪山 上醍醐 准胝堂〈京都市〉
基本情報
宗派 | 真言宗 醍醐派 |
ご本尊 | 准胝観世音菩薩 |
ご真言 | おん しゃれい それい そんでい そわか |
ご詠歌 | 逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな |
公式ホームページ:世界遺産 京都 醍醐寺
醍醐寺の紹介
醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山寺院で、境内で豊臣秀吉が「醍醐の花見」を開催した場所としても知られています。
境内は「上醍醐」と「下醍醐」とに分かれており、広大な伽藍が見られ、参拝客の多い下醍醐と、険しい山間にあり、修験道の行場としての面影を残す上醍醐では雰囲気が異なります。
准胝堂は上醍醐地域にあった准胝観音(じゅんでいかんのん)が安置されたお堂で、途中の道の険しさから巡礼道中一番の難所ともいわれましたが、2008年に落雷によって准胝堂が焼失したため、現在は下醍醐地域で巡礼や納経が行われています。
醍醐寺の歴史は空海の孫弟子であった理源大師が笠取山に入り、霊泉「醍醐水」と発見し、准胝観音像と如意輪観音像を彫り、ここに祀ったのが寺ではじまりとされています
。その後、醍醐天皇の勅願寺となりましたが、応仁・文明の乱で五重塔以外の下醍醐の伽藍が焼失しました。これを復興したのが、豊臣秀吉です。
豊臣秀吉が贅沢の限りを尽くした「醍醐の花見」を催し、秀吉自ら設計した豪華な庭園で、桃山時代を代表する名庭とされ、特別名勝(特別史跡)とされています。
醍醐寺の魅力としてはまず平安後期建築の国宝五重塔の美しさは外せないものです。各層の調和が意識された安定感のある姿が特徴的です。
また、醍醐寺は収蔵する寺宝が10万点を超えるなど非常に多いことも注目されます。参拝の際は霊宝館も訪問することがおすすめです。
下醍醐の金堂は、秀吉が紀州から移した薬師三尊像があります。五重塔は京都府に現存する最古の木造建築物です。「上醍醐」へは約1時間登ります。醍醐水がわきだしており、薬師堂、開山堂、如意輪道など国宝、重要文化財があります。
醍醐寺はユネスコの世界文化遺産にも登録されています。
拝観情報
拝観時間 | 上醍醐 3月〜12月第1日曜日 9:00〜15:00 12月第1日曜日の翌日〜 2月 9:00~14:00下醍醐 3月~12月第1日曜日 9:00~17:00 12月第1日曜日の翌日~2月 9:00~16:30 |
納経時間 | 下醍醐の拝観時間に準ずる |
拝観料 | 上醍醐 大人 600円 中学・高校生 400円 小学生以下 無料下醍醐:通常期 〈三宝院庭園・伽藍の二箇所〉 大人 1,000円 中学・高校生 700円 小学生以下 無料下醍醐:春季(3/20~GW最終日) 〈三宝院庭園・伽藍・霊宝館庭園の三箇所〉 大人 1,500円 中学・高校生 1,000円 小学生以下 無料 |
住所 | 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22 |
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滋賀県①
【第12番】岩間山 正法寺(岩間寺)〈大津市〉
基本情報
別名 | 岩間寺 |
宗派 | 真言宗 醍醐派 |
ご本尊 | 千手観世音菩薩 |
ご真言 | おん ばざらたら まきりく |
ご詠歌 | 水上は いづくなるらん 岩間寺 岸うつ波は 松風の音 |
公式ホームページ:【岩間寺】
正法寺(岩間寺)の紹介
西国三十三所巡礼の第十二番札所である「岩間山 正法寺(いわまさん しょうほうじ)」は京都と滋賀の県境の山頂付近にあるお寺です。
8世紀前半、霊場白山を開山した泰澄大師が勅命によって霊地を探していた際、桂の大樹より千手観音の功徳を称える呪文が聞こえたため、その木に等身の千手観音像を刻んで祀ったことが由来となっています。
この千手観音は日没後には毎晩厨子の中を抜け出して、夜の間は百三十六の地獄を巡って人々を救済しているため、日の出と共に寺に戻った際には汗をかいていると伝わることから「汗かき観音」と呼ばれるほか、開山の僧に雷神が弟子入りを請い、参拝者には雷を落とさないと約したとの逸話から「雷除け観音」とも呼ばれています。
岩間寺境内には、本尊を刻んだ後の切り株から生えたといわれる桂をはじめ、多数の大木が残されています。正法寺から近い場所には立木に観音菩薩を刻んだ安養寺もあり、かつて一帯の森林資源が豊かであり、霊木信仰が息づく土地だったことを窺わせます。
松尾芭蕉が「古池や蛙飛び込む水の音」を詠んだことで有名な地でもあります。
拝観情報
拝観時間 | 9:00~16:00 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 500円 |
住所 | 滋賀県大津市石山内畑町82 |
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【第13番】石光山 石山寺〈大津市〉
基本情報
宗派 | 東寺真言宗 |
ご本尊 | 如意輪観世音菩薩 |
ご真言 | おん ばだらはんど めいうん |
ご詠歌 | 後の世を 願うこころは かろくとも 仏の誓い 重き石山 |
公式ホームページ:大本山 石山寺 公式ホームページ
石山寺の紹介
西国三十三所巡礼の第十三番札所は「石光山 石山寺(せきこうざん いしやまでら)」です。
8世紀中頃、奈良の大仏建立の指揮を取った僧侶、良弁が建立したと伝わっています。
石山寺の寺伝では大仏建立に必要な黄金を探していた良弁が、境内にある巨大な岩の上に観音像を安置して祈ったところ、遠く陸奥の地から黄金が発見されたこと、その観音像が岩の上から離れなくなったために堂を建てて寺とした縁起が残されています。
観音菩薩は南海に浮かぶ八角形の断崖の島に住まうと考えられたことから、西国三十三所のお寺の多くが、懸け造りや八角形のお堂などで様々に観音霊場の姿を表していますが、境内にあるお堂の多くが石山寺硅灰石(いしやまでらけいかいせき)の岩塊の上に建てられ、懸け造りで本堂を造っている石山寺は境内全体で観音霊場を表しているといえます。
硅灰石は国の天然記念物に指定されています。
石山詣は平安時代の観音信仰とともに流行り、特に女性に人気で。紫式部「源氏物語」、清少納言「枕草子」、藤原道綱の母「蜻蛉日記」、菅原孝標の娘「更級日記」などにも関係しています。
石山寺は境内から見える月の美しさが「近江八景」のひとつ、石山秋月として数えられています。
琵琶湖の上にさえ渡る秋の月の美しさが、中国洞庭湖に浮かぶ月の美しさに比されたもので、他の八景の中には開発に飲み込まれて見られなくなったものもある中、境内の月見亭からは平安時代の天皇や貴族と同じ月を楽しむことができます。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~16:30(最終入山16:00) |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 中学生以上 600円 小学生 250円 |
住所 | 滋賀県大津市石山寺1-1-1 |
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【第14番】長等山 園城寺 観音堂〈大津市〉
基本情報
別名 | 三井寺 |
宗派 | 天台寺門宗 |
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
ご真言 | おん ばだらはんど めいうん |
ご詠歌 | いで入るや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖 |
公式ホームページ:三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)
園城寺(三井寺)の紹介
西国三十三所巡礼の第十四番札所の「長等山 園城寺(ながらさん おんじょうじ)は、大津市内にある天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である寺院です。
三井寺の寺伝では壬申の乱で敗北した大友皇子の子によって開かれたとされ、その後9世紀後半に唐から帰国した第五代天台座主、智証大師円珍によって境内の復興が進められました。
最澄が開いた延暦寺では、最澄没後より僧侶による派閥間の争いがあったとされています。そうした中で第五代天台座主となった智証大師円珍は、教義の密教化を進めたほか、貴族への密教による加持祈祷による繋がりによって権勢を高め、一時は比叡山内で円珍門徒が主流派となります。
しかし、円珍没後に非円珍派の僧が天台座主となると状況が一変、比叡山内の円珍派の堂が焼き討ちされると、円珍派の僧は麓の園城寺へと下山、延暦寺の山門派と三井寺の寺門派へ天台宗が二分されることとなりました。
その後の両派は貴族や武家の争いにも巻き込まれ、源平合戦や南北朝の動乱期でも両派はそれぞれ別の陣営に与して対立してきました。対立の歴史の中で三井寺は数十回もの焼き討ちを受けており、その度に復興してきたことから「不死鳥の寺」と呼ばれることがあります。
境内には秘仏の本尊、西国札所本尊のほかに多くの仏像、絵画、建築物などが伝わっており、焼き討ちを受けながらも多くの寺宝が残されていることに驚かされます。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00(最終受付16:30) |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 大人 600円 中高生 300円 小学生 200円 |
住所 | 滋賀県大津市園城寺町246 |
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京都府②
【第15番】新那智山 観音寺(今熊野観音寺)〈京都市〉
基本情報
別名 | 今熊野観音寺 |
宗派 | 真言宗 泉涌寺派 |
ご本尊 | 十一面千手千眼観音 |
ご真言 | おん まかきゃろにきゃ そわか |
ご詠歌 | 昔より 立つとも知らぬ 今熊野 仏の誓い あらたなりけり |
公式ホームページ:今熊野観音寺: 西国十五番霊場
観音寺(今熊野観音寺)の紹介
西国三十三所巡礼の第十五番札所の「新那智山 観音寺(しんなちさん かんのんじ)」は、一般に今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)として知られ、京都市内の南部にあるお寺です。
弘法大師空海が唐より帰国、東寺で修行をしていた際、現在の境内の場所で熊野の神から十一面観音菩薩像を与えられたことを創建の由来としています。
平安時代後期に熊野信仰が活発化すると、観音寺は熊野権現の霊地として信仰を受け、特に後白河法皇からは厚い崇敬を受けています。
観音寺のご本尊が後白河法皇の頭痛を治したという逸話も残されており、頭痛封じの観音様として信仰を集めるようになっていきました。
今熊野観音寺の周辺は京都の葬送地のひとつ「鳥部野(とりべの)」に含まれる地域でもあります。
特に今熊野観音寺周辺では藤原道長・頼通父子や中宮彰子らが荼毘に付された記録があるほか、源氏物語の登場人物である夕顔や葵上も同地で葬送されたと書かれるなど、高貴な人々の葬られる地と認識されていたと考えられます。
当時の貴族らが観音寺の本尊、そして熊野権現を信仰し、その霊験によって浄土に生まれ変わろうとしたことが窺えます。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 京都府京都市東山区泉涌寺山内町32番地 |
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【第16番】音羽山 清水寺〈京都市〉
基本情報
宗派 | 北法相宗 |
ご本尊 | 十一面千手千眼観音 |
ご真言 | おん ばざらだらま きりく |
ご詠歌 | 松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん |
公式ホームページ:音羽山 清水寺
清水寺の紹介
西国三十三所巡礼の第十六番札所の「音羽山 清水寺(おとわさん きよみずでら)」は京都の観光では外すことがない人気スポットで、西国三十三所巡拝がまだの方でも京都市内観光で立ち寄ったという方も多いのではないでしょうか。
8世紀後半、興福寺の僧が夢のお告げに従って京都へ向かい、音羽の瀧で出会った行者から霊木を授けられ、この地に堂を建てるようにいわれたことが創建の由来とされています。
創建以降興福寺との関係が強く、明治時代に興福寺が衰退するまでは興福寺と同様の法相宗の寺院でした。興福寺の末寺でもあったことから、平安時代後期には比叡山の僧兵から焼き討ちを受けた記録が残っています。
またその後の応仁の乱時にも兵火によって焼失するなど、創建以来10回を超える火災に遭い、その度に復興を繰り返してきました。現在境内で見られる諸堂はその多くが江戸時代寛永年間に徳川家光の寄進によって再建されたものです。
懸け造りの本堂の迫力はもちろん、朱塗りの鮮やかな諸堂が軒を接してひしめくように建つ姿は清水寺独特のもので、その見ごたえは海外からの旅行者に人気なのも頷けます。
境内が高台の上にあることから夕日が美しいのも特徴で、京都市街を挟んで嵯峨野など西山に沈む夕陽を拝むことができるスポットでもあります。特に境内の西門は「日想観(にっそうかん)」と呼ばれる行法の聖地として知られています。
西方に沈んでいく夕陽に極楽浄土を思うこの行法は、極楽浄土を想う行法の中で最も最初に記されているものです。夕暮時の参拝の際はぜひ体験してみましょう。
拝観情報
拝観時間 | 6:00~18:00(1/1~3/5) 6:00~21:30(3/6~15) 6:00~18:00(3/16~26) |
拝観料 | 大人 400円 小中学生 200円 |
TEL | 075-551-1287 |
住所 | 京都市東山区清水1丁目294 |
アクセス | 京阪「清水五条」より25分 市バス「五条坂」より10分 |
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【第17番】補陀洛山 六波羅蜜寺〈京都市〉
基本情報
宗派 | 真言宗 智山派 |
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
ご真言 | おん まかきゃろにきゃ そわか |
ご詠歌 | 重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば |
公式ホームページ:補陀洛山 六波羅蜜寺
六波羅蜜寺の紹介
西国三十三所巡礼の第十七番札所である「補陀落山 六波羅蜜寺(ふだらくさん ろくはらみつじ)」は口称念仏の先駆者として知られる空也上人が開いたとされているお寺です。
六波羅蜜寺のある場所は葬送地である鳥部野の入り口、あの世とこの世の境目とも考えられ、周辺には今も閻魔大王を祀る「六道珍皇寺」があるほか、幽霊子育て飴の伝承なども残っている地域でもあります。
空也上人はそうした地域にお寺を構えて拠点とし、市井の病人救済などを行ったことから後世「市聖(いちのひじり)」とも称えられています。
空也主任の死後に、延暦寺の僧侶が再興した際に寺名を現在の「六波羅蜜寺」に改めたとされますが、「六波羅蜜」とは大乗仏教における6つの修行を指し、布施を行うことや戒律を守ることなどを内容としています。
平安時代後期には付近に平家が仏堂を建てたことから、平家との関係が深まり、一時は境内周辺を平家一門の邸宅が取り囲んでいたこともあります。現在も六波羅蜜寺に伝わる平清盛の木像はそうした縁から伝わったものと考えられています。
しかし、平家の都落ち時に平家一門の邸宅群は焼亡し、六波羅蜜寺の諸堂も共に失われてしまいます。平家滅亡後、屋敷群の跡地には鎌倉幕府によって出先機関である六波羅探題が置かれ、鎌倉時代から南北朝時代史の舞台へとなっていきました。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 境内自由 令和館入館料 |
住所 | 京都市東山区ロクロ町81-1 |
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【第18番】紫雲山 頂法寺(六角堂)〈京都市〉
基本情報
別名 | 六角堂 |
宗派 | 天台宗単立 |
ご本尊 | 如意輪観世音菩薩 |
ご真言 | おん ばだらはんど めいうん |
ご詠歌 | わが思う 心のうちは 六の角 ただ円かれと 祈るなりけり |
公式ホームページ:『六角堂』 紫雲山 頂法寺|聖徳太子創建 – 池坊
頂法寺(六角堂)の紹介
西国三十三所巡礼の第十八番札所の「紫雲山 頂法寺(しうんざん ちょうほうじ)」は六角形のお堂の形から「六角堂」という通称でも知られているお寺です。
お寺の前を東西に伸びている通りも「六角通」といいますが、この名前にはある逸話が由来しています。
聖徳太子の創建以降この地にあった六角堂の敷地に街路を通す計画となったため、天皇の勅使が南北どちらかに移動するように祈願をしたところ、お堂がひとりでに北に15mほど移動したため工事が可能となり、そこに通されたのが六角通りであるというものです。
お堂の実際の創建時期は平安時代中期のことであろうと考えられていますが、聖徳太子所縁の寺院、観音霊場として早くから貴族の信仰をあつめ、平安時代後期までには石山寺や清水寺、長谷寺などと並ぶ観音霊場として考えられるようになっています。
下京地域の中心的な地域に寺域があるため、京都の町衆の自治活動の拠点となってきた歴史もあり、地域に根ざした信仰を感じられるお寺でもあります。実際に境内では室町時代以降明治まで祇園祭山鉾巡行の順番を決めるくじ取りがされるなど、地域の集会所のような性格も持っていました。
拝観情報
拝観時間 | 6:00~17:00 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町 |
アクセス | 地下鉄「烏丸御池」より徒歩3分 |
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【第19番】霊麀山 行願寺(革堂)〈京都市〉
基本情報
別名 | 革堂(こうどう) |
宗派 | 天台宗 |
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
ご真言 | おん ばざらだるまきりく そわか |
ご詠歌 | 花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん |
公式ホームページ:霊麀山 革堂 行願寺
行願寺(革堂)の紹介
西国三十三所巡礼の第十九番札所は「霊麀山 行願寺(れいゆうざん ぎょうがんじ)」です。西国三十三所中唯一の尼寺として知られています。
現在は中京区の御所から近い場所にある行願寺ですが、創建時には上京区一条にありました。創建は行円(ぎょうえん)と呼ばれる僧で、出家前は猟を生業としていましたが、ある時雌鹿を射たところ、その鹿の腹から小鹿が生まれたため自らの殺生を悔いて出家したと伝わっています。寺名にある「麀」という字は雌鹿を表す漢字です。
出家後の行円はその時の雌鹿の革を生涯身に着け、人々を救ったことから「革聖」として親しまれたため、やがて行願寺も「革堂」という通称で親しまれるようになっていったといいます。
革堂は京都を襲った大火によって幾度も焼失してきたほか、豊臣秀吉による京の町割り変更によって境内地の移転を余儀なくされるなど、波乱の歴史を辿ってきました。
「一切の人々の成仏を願い、行じる」寺は洛中の人々に親しまれ、下京の町堂であった六角堂に対し、革堂は上京の町堂として信仰を集め、町組が集合・結束する場所として活用されてきました。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~16:30 |
拝観料 | 境内自由 |
TEL | 075-211-2770 |
住所 | 京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町 |
アクセス | 京阪「神宮丸太町」より徒歩10分 |
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【第20番】西山 善峯寺〈京都市〉
基本情報
別名 | よしみねさん |
宗派 | 善峯観音宗 |
ご本尊 | 千手観世音菩薩 |
ご真言 | おん ばざらだるま きりく |
ご詠歌 | 野をもすぎ 山路にむかふ 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立 |
公式ホームページ:京都・西山 西国第二十番札所 善峯寺
善峯寺の紹介
西国三十三所巡礼の第二十番札所は「西山 善峯寺(にしやま よしみねでら)」です。山号の通り京都の西山地域にあり、山の中腹にある境内からは京都盆地全体を一望におさめることができます。
平安時代中期に比叡山の僧侶によって開かれ、室町時代には多数の堂宇が山上にあったようですが、応仁の乱によって一山の大半が焼失し、現在見られる伽藍の大半は徳川綱吉の生母の桂昌院の寄進によるものです。
桂昌院は京都堀川付近で八百屋の娘として生まれたともいわれる女性で、そこから三代将軍家光の側室にまでなりました。桂昌院が修復を援助した寺院は多数に上り、東寺や長谷寺への援助も行った記録があります。
そうした中で善峯寺がここまでの支援を受けた理由としては、幼い桂昌院が実の父や母と共に善峯寺を参拝したことがあるからとされています。
近年の研究からは桂昌院の実父が境内に祀られる薬師如来に帰依していたことや、寺に奉納されていた打敷が、幼くして亡くなった桂昌院の孫の着物を仕立て直したことなどがわかっています。
一般には息子に生類憐みの令をすすめたことなどから、悪女としてのイメージもある桂昌院ですが、善峯寺の境内からは父や母、子の綱吉、夭折した孫のことを思い、真摯に祈りを捧げた姿のみが想像されます。
善峯寺
拝観時間 | 平日 8:30~17:00(受付は16:45まで) 土日祝 8:00~17:00(受付は16:45まで) |
拝観料 | 大人 500円 高校生 300円 小中学生 200円 |
TEL | 075-331-0020 |
住所 | 京都市西京区大原野小塩町1372 |
アクセス | 阪急「東向日駅」から阪急バスで30分 |
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【第21番】菩提山 穴太寺〈京都市〉
基本情報
別名 | 穴穂寺 |
宗派 | 天台宗 |
ご本尊 | 聖観世音菩薩 |
ご真言 | おん あろりきゃ そわか |
ご詠歌 | かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声 |
穴太寺の紹介
西国三十三所巡礼の第二十一番札所の「菩提山 穴太寺(ぼだいさん あなおじ)」は京都市内からは老の坂を越えた先、丹波国亀山(亀岡)にあるお寺です。
8世紀前半に開創されたと伝わるほか、本尊の聖観音菩薩は「身代わり観音」の説話も残されています。同様の説話が「今昔物語」「扶桑略記」に見られることから、平安時代末期までには身代わり観音の霊場として人々に認識されていたと思われます。
本尊の仏様は三十三年に一度のみ公開される秘仏なので、お厨子の向こうからお参りするほかありませんが、穴太寺の仏様といえば釈迦涅槃像も注目です。
前回のご開帳は2011年でした。
1896年に本堂の天井裏から発見された仏様で、お釈迦様が入滅される様子を刻んだ仏像ではあるものの、蓮華を枕に用い、布団をかぶって横たわる姿はなんともゆったりしたものです。
病気平癒の功徳があると信仰され、全身撫でられて光っているとても身近な仏様ですが、衣文の表現などからは鎌倉期の仏像の特徴が感じられます。800年以上の歴史を持つ仏様を撫でてお参りさせて頂けるのはなんとも不思議な気持ちがします。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
拝観料 | 500円(本堂・庭園) |
TEL | 0771-24-0809 |
住所 | 亀岡市曽我部町穴太東辻46 |
アクセス | JR「亀岡」から京都交通バス「穴太口」から徒歩10分 |
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大阪府②
【第22番】補陀洛山 総持寺〈茨木市〉
基本情報
宗派 | 高野山真言宗 |
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
ご真言 | おん ばざらたらま きりく |
ご詠歌 | おしなべて 老いも若きも 総持寺の ほとけの誓い 頼まぬはなし |
公式ホームページ:総持寺
総持寺の紹介
西国三十三所巡礼の第二十二番札所の「補陀落山 総持寺(ふだらくさん そうじじ)」は京都市内から大阪方面へ下った茨木市内にあるお寺です。
総持寺が開かれたのは平安時代前期の公卿である藤原山陰(ふじわらのやまかげ)とされています。開基の伝説は寺伝の縁起と共に「今昔物語」にも記されており、本によって登場人物が父親と山陰、山陰と息子と相違していますが、内容は概ね以下のようなものです。
山陰の父がある時漁師に捕らわれている亀を助け、その夜継母によって河に突き落とされた山陰を、前日助けた亀が背中に乗せて連れ帰ったといいます。このことに仏恩を感じた山陰は観音像の造立を発願、童子の仏師に造立を依頼し、自らは仏師に自ら料理を供え続けました。
造仏を始めてから1000日目の朝、山陰が仏舎の扉を開けると亀の背に乗った千手観音像が完成し、そこに山陰の料理が供えられていたといいます。
この逸話のほか、藤原山陰は四条流庖丁道の創始者として世に知られており、そのことから総持寺は料理人から多くの崇敬を集めています。
境内にあるカフェ「potala」は店名を山号の「補陀落」に由来しており、山陰流の料理人が腕を振るう料理を手軽に楽しむことができます。
基本情報
拝観時間 | 6:00~17:00 |
納経時間 | 8:00~17:00 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 大阪府茨木市総持寺1-6-1 |
【第23番】応頂山 勝尾寺〈箕面市〉
基本情報
宗派 | 高野山真言宗 |
ご本尊 | 十一面千手千眼観音 |
ご真言 | おん ばざらたらま きりく |
ご詠歌 | 重くとも 罪には法の 勝尾寺 ほとけを頼む 身こそやすけれ |
公式ホームページ:勝尾寺
勝尾寺の紹介
西国三十三所巡礼の第二十三番札所の「応頂山 勝尾寺(おうちょうざん かつおじ)」は有名な箕面の滝からも近い、大阪府北部の山中にあるお寺です。大阪市内からも車で40分ほどでアクセスが可能ですが、お寺周辺は山深く、山寺の風情を感じることができます。
開山は8世紀前半、光仁天皇の皇子である「開成(かいじょう)」という僧によるといわれ、様々な神々の加護によって勝尾寺の前身寺院を建てたことが伝わっています。
開成の事績は正史に記載がされておらず、半ば伝説的な人物ではありますが、北摂地域の山間部には同時期に開成によって開山、中興されたと伝わる山岳寺院が勝尾寺以外にも多くあり、「神峯山寺(かぶさんじ)」や「忍頂寺」といった周辺の古刹の参拝もおすすめです。
また、勝尾寺といえば「勝ちダルマ」の寺としても有名です。奉納棚をはじめ、境内には両目の入ったダルマが所せましと奉納され、勝ちダルマ信仰が人々の信仰に根ざしたものであることを感じます。
平安時代に天皇の病を治癒して以来、「勝運の寺」として信仰されるようになったとされますが、ここでの「勝運」とは他者を打ち負かすことではなく、自分と向き合い、自分の弱い心に打ち勝つ運を開くものとされ、ダルマに片目を入れることでそれを仏前に誓うという意味を持っています。
基本情報
拝観時間 | 8:00~17:00(土曜日は18:00) 拝観受付は30分前まで |
納経時間 | 8:00~16:30(土曜日は17:30) |
拝観料 | 大人 500円 小中学生 400円 未就学児 100円 2歳以下 無料 |
住所 | 大阪府箕面市勝尾寺 |
兵庫県
【第24番】紫雲山 中山寺〈宝塚市〉
基本情報
別名 | 中山観音 |
宗派 | 真言宗 中山寺派 |
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
ご真言 | おん まかきゃろにきゃ そわか |
ご詠歌 | 野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため |
公式ホームページ:大本山 中山寺|安産祈願・子授祈願|兵庫県宝塚市のお寺
中山寺の紹介
西国三十三所巡礼の第二十四番札所の「紫雲山 中山寺(しうんざん なかやまでら)」は兵庫県宝塚市にあるお寺です。
日本で最初の観音霊場として聖徳太子によって開基されたと伝わっており、奈良時代には多数の堂塔を持つ大寺院であったことが各資料より窺えます。
西国三十三所巡礼とも特に関係が深く、徳道上人死後、長らく境内に納められていた各寺院の御宝院を花山法皇が取り出したことで、西国三十三所巡礼が人々の間に広まることになったと伝えられています。
ご本尊は十一面観音菩薩ですが、中でも中山寺では両脇持仏も十一面観音菩薩であることが特徴で、十一面観音菩薩三体の三十三面によって、救う相手にあわせて変化する観音菩薩の三十三の姿と、西国三十三所それぞれの観音像を表しているともいわれています。
また、豊臣秀吉が当寺に安産祈願をし、世継ぎの秀頼を授かった記録があるほか、明治天皇の御生母である中山一位局も当時で安産祈願を受けられ、御平産であったことから、夫婦和合、安産祈願に霊験があるお寺として信仰を受けています。
お産が軽い犬にあやかって、現在でも戌の日には多くの方の参詣がありますが、境内にはエスカレーターやおむつ替え台が完備されるなど、妊婦の方や子連れの方でも参詣しやすいお寺となっています。
拝観情報
拝観時間 | 9:00~17:00 |
納経時間 | 9:00~16:30 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1 |
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【第25番】御嶽山 清水寺(播州清水寺)〈加東市〉
基本情報
別名 | 播州清水寺 |
宗派 | 天台宗 |
ご本尊 | 聖観世音菩薩 |
ご真言 | おん ばざらたらま きりく |
ご詠歌 | あはれみや 普き門の 品々に なにをかなみの ここに清水 |
公式ホームページ:播州清水寺 西国第25番札所|公式サイト – 兵庫県加東市 御嶽山播州清水寺
播州清水寺の紹介
西国三十三所巡礼の第二十五番札所は「御嶽山 清水寺(みたけさん きよみずでら)」で、京都にある音羽山 清水寺と区別するために、一般には「播州清水寺」と呼ばれています。
境内にはお寺を創建した法道上人が水神に祈って湧出させたと伝わる霊泉があり、これが寺名の由来となっています。
法道上人は1800年前に日本に渡ってきたインドの仙人とされ、兵庫県南部の各地に事績が伝わっています。
日本への仏教伝来は6世紀中頃、552年のことであるため、法道上人の事績すべてを事実と信じるのは難しいところではありますが、播州清水寺をはじめ廣峯神社や一乗寺、摩耶山天上寺など法道上人が開山したとされる寺院や関連する霊場は周辺地域に数多くあるほか、安倍晴明の陰陽道のライバルである芦屋道満は法道上人の弟子筋から出たとも伝わっています。
境内は播磨地域と丹波地域を隔てる山の頂上付近に位置し、山深い境内は四季折々の植物の名所として知られます。
特に市街地より早く色づく紅葉で知られ、秋ごろには色づく椛や銀杏を目当てに多くの人が訪れます。例年11月頃には紅葉のライトアップも楽しむことができます。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 大人 500円 高校生 300円 中学生以下 無料 |
住所 | 兵庫県加東市平木1194 |
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【第26番】法華山 一乗寺〈加西市〉
基本情報
宗派 | 天台宗 |
ご本尊 | 聖観世音菩薩 |
ご真言 | おん あろりきゃ そわか |
ご詠歌 | 春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山 |
一乗寺の紹介
西国三十三所巡礼の第二十六番札所の「法華山 一乗寺(ほっけざん いちじょうじ)」は播磨平野の中央部、加西市の山間地域にあるお寺です。
播州清水寺と同様に法道上人によって開山されたお寺とされ、播州地域で活躍していた上人の評判が都まで広まり、それを受けた天皇の命によって一乗寺が建てられたとの縁起が伝わっていますが、この時点で清水寺の創建とかなり時期に食い違いが出てしまいます。
一乗寺には8世紀以前のものと思われる金銅仏が寺宝として伝わっているほか、境内周辺には奈良時代まで時代を遡る石仏や廃寺跡が存在するなど、一乗寺とその周辺は奈良時代から仏教文化が栄えた地域であったことには間違いがないので、法道上人という人物とその事績は、あるいは周辺地域に仏教を広めた人物の事績が大きく伝わった結果なのかもしれません。
境内には多くの文化財が伝わっており、中でも境内の三重塔と、所蔵している「絹本著色聖徳太子及び天台高僧像」は国宝に指定されています。
絹本著色聖徳太子及び天台高僧像は天台宗に関するインド、中国、日本の高僧9名に聖徳太子像を加えた10幅で構成されたもので、平安時代に描かれながら美しい彩色が残されているのが特徴です。特に最澄を描いた一幅は、教科書で最澄を紹介する際などで多く使われ、目にする機会も多いものです。
現在は国内の博物館に寄託されていますが、こうした寺宝がまとまって残っていることは極めて貴重なものです。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
納経時間 | 8:30~17:00 |
拝観料 | 500円 |
住所 | 兵庫県加西市坂本町821-17 |
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【第27番】書寫山 圓教寺〈姫路市〉
基本情報
宗派 | 天台宗 |
ご本尊 | 六臂如意輪観世音 |
ご真言 | おん ばだらはんどめい うん |
ご詠歌 | はるばると のぼれば書寫の 山おろし 松のひびきも 御法なるらん |
公式ホームページ:書寫山圓教寺: 天台宗別格本山 西国二十七番札所
圓教寺の紹介
西国三十三所巡礼の第二十七番札所の「書寫山 圓教寺(しょしゃざん えんぎょうじ)」は姫路市にある天台宗の巨刹です。山上に多くの堂宇を擁する姿、そして高い寺格から「西の比叡山」とも称されています。
10世紀の中頃、書寫山上に性空上人によって創建されたと伝わっていますが、お寺ができる以前に書寫山上に素戔嗚神が降り立ったという伝説があるなど、古代から祭祀が行われる霊地であったことが考えられます。
性空は36歳という、当時からすれば若くない年齢で出家しましたが、出家後は霧島山など数々の霊山で修行し、57歳の時に書寫山へ庵を結んだと伝わっています。性空は俗世との関係を絶ち、天皇からの参内の要請を断るなど、栄華に関心を持たない修行の日々を送りましたが、こうした態度はさらに性空の名を高めることに繋がりました。
特に花山法皇からの崇敬は深く、二度の行幸をし、寺への寄進を行ったほか、寺号である「圓教」を与えています。
圓教には「輪円具足を教える」という意味があり、円形の欠けたところのない徳を教える、自己を完成させる道を教える寺という意味となります。
大講堂、常行堂、食堂などが構成する、中世そのままの寺院景観は貴重なもので、近年では映像作品のロケ地にも多く採用されています。「軍師官兵衛」では大講堂前に秀吉軍が本陣を置いた映像が撮影されたほか、「ラストサムライ」では常行堂で渡辺謙とトム・クルーズが言葉を交わすシーンが撮影されました。
拝観情報
拝観時間 | 書写山ロープウェイに準ずる 兵庫県姫路市、書寫山圓教寺を繋ぐ【書写山ロープウェイ】 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 中学生以上 500円 小学生 300円 |
住所 | 兵庫県姫路市書写2968 |
京都府③
【第28番】成相寺 成相寺〈宮津市〉
基本情報
宗派 | 橋立真言宗 |
ご本尊 | 聖観世音菩薩 |
ご真言 | おん あろりきゃ そわか |
ご詠歌 | 波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天の橋立 |
公式ホームページ:成相寺
成相寺の紹介
西国三十三所霊場の第二十八番札所は「成相山 成相寺(なりあいさん なりあいじ)」です。西国三十三所霊場でも最北端のお寺で、京都府日本海側の宮津市にあります。
成相寺の境内は鼓ヶ岳(標高569m)の中腹に位置しており、登拝の道中や、境内から山を登った展望台からは麓の阿蘇海や日本三景の一つ天橋立はもちろん、晴れた日には若狭湾の海岸線やはるか白山までもを望むことができます。
慶雲元年(704年)、真応上人の開山で文武天皇の勅願寺となったといわれています。創建時は山のさらに上方にあり、修験道の道場となっていました。現在の位置になったのは、1400年頃の山崩れの後です。
「成相」という寺号は「願い事が成相う」ことに由来したものです。現在の寺観が整う以前に修行をしていた僧が、食料が不足したために観音に祈願したところ、お堂の前に鹿が倒れていました。
僧がこの鹿の腿肉を食した後に本尊を見ると、腿にあたる部分が削れていたことから、本尊の観音が身代わりとなったことがわかり、以来本尊は身代わりとなって願いごとを成相わせる「成相観音」と呼ばれるようになったと伝わります。
また、中世の境内の様子が、雪舟の「天橋立図」や、「成相寺参詣曼荼羅」などの資料から伝わっていることも特徴です。2つの資料からは室町時代中期、複数の堂宇を構えた成相寺の繁栄が伝わってきますが、その後の応仁の乱をはじめとする戦火によって諸堂は失われ、現在見られるものは江戸時代以降のものです。
釣られている梵鐘(宮津市指定有形文化財)は「撞かずの鐘」と呼ばれています。鐘鋳造のとき見物に来た子供が坩堝の中に落ちて亡くなり、その鐘を撞くと子供の泣き声が聞こえてくることから撞かなくなったといわれています。
天橋立を眺めながらケーブルカーと登山バスを乗り継いでいく参詣ルートもおすすめです。
西国札所最北端の寺で、冬は雪が深くなるので注意が必要です。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~16:30 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 500円 |
住所 | 京都府宮津市成相寺339 |
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【第29番】青葉山 松尾寺〈舞鶴市〉
基本情報
宗派 | 真言宗 醍醐派 |
ご本尊 | 馬頭観世音菩薩 |
ご真言 | おん あみりと どはんば うんはった そわか |
ご詠歌 | そのかみは 幾世経ぬらん 便りをば 千歳もここに 松の尾の寺 |
公式ホームページ:京都府舞鶴市 西国第二十九番札所 青葉山 松尾寺 公式ホームページ
松尾寺の紹介
西国三十三所巡礼の第二十九番札所の「青葉山 松尾寺(あおばさん まつのおでら)」は京都府舞鶴市と福井県大飯町との境にある青葉山の中腹にあるお寺です。青葉山は若狭側から見たときの形が美しく、「若狭富士」と称されるほか、地質の分析から風雨で浸食を受ける以前には大規模な火山体を形成していたことが判明しています。
形が美しく麓からの目を引く青葉山は、仏教が伝来する以前から霊峰として信仰を受けていたと考えられたほか、寺伝では8世紀初頭に唐から渡来した僧が青葉山を見上げて、故郷唐の霊山を想起、登山したところ馬頭観音を感得した。という話が伝わっています。
馬頭観音は西国三十三所巡礼の中では松尾寺が唯一札場本尊としています。松尾寺以外にも日本海側を中心に海岸沿いの地域では馬頭観音の作例が多く見られます。
これら馬頭観音の信仰は、「大唐西域記」にスリランカの説話として掲載された、海難事故に巻き込まれた人が観音を念じ、白馬に姿を変えた観音によって助けられた話に基づいていると考えられ、海沿いの人々は馬頭観音に海難除けを祈願していました。
馬頭観音の梵名はヒンドゥー教においてはビシュヌ神を指すものですが、その後仏教では「馬が周囲の草をむさぼるように煩悩を食べ尽くし救済」する観音として信仰され、海難除けや交通安全の功徳を経て、現在では競走馬も守護するとされる信仰の広がりには、なんとも不思議な気持ちがします。
おやさしい顔をしている観音様ですが、馬頭観音だけは憤怒相をしています。やさしさだけでなく、時には厳しさも併せ持った観音様です。
青葉山の福井県側にはこちらも馬頭観音を祀る「青葉山 中山寺」があり、あわせての参拝もおすすめです。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 京都府舞鶴市松尾532 |
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滋賀県②
【第30番】厳金山 宝厳寺〈長浜市〉
基本情報
別名 | 竹生島宝厳寺 |
宗派 | 真言宗 豊山派 |
ご本尊 | 千手千眼観世音菩薩 |
ご真言 | おん ばざらたらま きりく |
ご詠歌 | 月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を 積むここちして |
公式ホームページ:竹生島・宝厳寺 ~西国第三十番札所~
宝厳寺の紹介
西国三十三所巡礼の第三十番札所の「巌金山 宝厳寺(がんこんさん ほうごんじ)」は滋賀県長浜市、琵琶湖の北部に浮かぶ竹生島上に位置しているお寺です。
島についての記述は「近江国風土記」などにも見られ、古くから島そのものがご神体として信仰を集めたことがわかります。
島の中には宝厳寺と共に都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)がありますが、神社と寺が別々として信仰を受けるようになったのは明治時代以降のことで、それまでは「竹生島権現」として、弁財天と観音菩薩の習合した信仰が息づいていました。
明治時代に入って寺と神社は分割されたものの、現在でも両者は渡り廊下で繋がっており、元来不可分のものであることがわかります。
実際に島に足を運び、湖北の静かな水面の上に丸い緑影がぽつりと浮かぶ様子を見ると、原初的な山岳信仰から弁天信仰、そして観音信仰まで横断的な信仰を受けた霊場の空気を感じることができることと思います。
島の周囲には縄文時代から平安時代までの各時代の土器が発見された湖底遺跡もありますが、この遺跡も島に伝わる古い信仰と不可分のものではないように思えます。
竹生島へは、湖東の彦根、湖北の長浜、湖西の今津より定期船が運航しています。
拝観情報
拝観時間 | 9:30~16:30 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 竹生島入島料 大人 500円 小人300円 |
住所 | 滋賀県長浜市早崎竹生島1664 |
【第31番】姨綺耶山 長命寺〈近江八幡市〉
基本情報
宗派 | 天台宗単立 |
ご本尊 | 千手・十一面・聖観世音菩薩三尊一体 |
ご真言 | おん ばざらだるま きりく そわか |
ご詠歌 | 八千年や 柳に長き 命寺 運ぶ歩みの かざしなるらん |
長命寺の紹介
西国三十三所巡礼の第三十一番札所は「姨綺耶山 長命寺(いきやさん ちょうめいじ)」です。滋賀県近江八幡市、琵琶湖畔の長命寺山の中腹にあるお寺で、かつての巡礼者は竹生島より船で麓の港に上陸し、そこから長命寺を目指したと伝わっています。
寺名は記紀神話の人物である武内宿禰(たけのうちのすくね)に由来するとされ、5代の天皇に使え、295歳で死去した宿禰が長命を祈願した霊地であるからとされています。そうした謂れから長命寺に参拝すると「寿命長遠」のご利益を得られるとして古来信仰されてきました。
土地柄から特に佐々木源氏六角氏の崇敬を受け、鎌倉時代から室町時代を通して諸堂の整備が進められました。それらは戦国時代の兵火で全山が焼かれてしまったものの、江戸時代に再建された諸堂はすべての屋根を杮葺きや檜皮葺きとしており、独自の美しさのある境内景観を見ることができます。
また、長命寺境内は眺望の良さでも知られています。琵琶湖の向こうに三上山や金勝山といった湖南の山々を望む景色は長命寺境内からでなければ楽しめないものです。特に麓から自分の足で石段を登り、眺める景色はひとしおのもので、体力に余裕があればチャレンジしてみてはどうでしょうか。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
納経時間 | 8:00~16:40 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 滋賀県近江八幡市長命寺町157番地 |
【第32番】繖山 観音正寺〈近江八幡市〉
基本情報
別名 | 仏法興隆寺 |
宗派 | 天台宗単立 |
ご本尊 | 千手千眼観世音菩薩 |
ご真言 | おん ばざらたらま きりく |
ご詠歌 | あなとうと 導きたまえ観音寺 遠き国より 運ぶ歩みを |
公式ホームページ:人魚伝説の寺「観音正寺」
観音正寺の紹介
西国三十三所巡礼の第三十二番札所は「繖山 観音正寺(きぬがささん かんのんしょうじ)」です。長命寺山から少し内陸に入った近江八幡市の繖山(観音寺山とも)の中腹に位置しているお寺で、織田信長の居城が営まれた安土山とも隣接した場所にあります。
寺に伝わる縁起には人魚と聖徳太子に関わるものが伝わっています。
聖徳太子が当地を訪れた際、湖水から浮かび上がってきた人魚に「私は前世漁師だったが、不要な分まで魚を殺めたためにこのような姿となってしまった。どうか自身の成仏を願ってもらえないか。」と願われ、太子は自ら千手観音像を刻み、山の上の堂に祀ったとされています。
詳細な創建時期は不明ですが、平安時代までにはお寺が存在したと考えられるほか、鎌倉時代以降には同じ山内に本拠地「観音寺城」を築いた六角氏からの庇護を受け、お寺は栄えていきました。
六角氏については「織田信長の上洛戦に抵抗するも敗れた大名」という印象が強いことと思いますが、戦国時代中期の当主、六角定頼の時期には京都と将軍を守る武力と、巧みな外交戦略から政治を主導したほか、内政面でも信長に先駆けて楽市楽座を設けるなど、畿内地域を中心に存在感のある大名家でした。
六角氏の繁栄によって、観音寺城下町にあたる南麓の石寺地域は一大商業地に発展したと伝わっています。
六角氏の勢力拡大と同時に観音正寺境内も観音寺城の郭に徐々に飲み込まれ、戦国時代にはお寺は麓への移転を余儀なくされていました。お寺が現在の場所に戻ったのは六角氏が滅亡、信長が本能寺で討たれ、石寺城下町の繁栄が近江八幡に移った後の時代、慶長2年(1597年)のことです。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
納経時間 | 8:00~17:00 |
拝観料 | 大人 500円 中高校生 300円 |
住所 | 滋賀県近江八幡市安土町石寺2番地 |
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岐阜県
【第33番】谷汲山 華厳寺〈揖斐川町〉
基本情報
宗派 | 天台宗 |
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
ご真言 | おん まかきゃろにきゃ そわか |
ご詠歌 | 世を照らす 仏のしるし ありければ まだともしびも 消えぬなりけり (現在) 万世の 願いをここに 納めおく 水は苔より 出る谷汲 (過去) 今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎて納むる 美濃の谷汲 (未来) |
公式ホームページ:西国第三十三満願霊場 谷汲山華厳寺
谷汲山 華厳寺の紹介
西国三十三所巡礼の最後、第三十三番札所は「谷汲山 華厳寺(たにぐみさん けごんじ)」です。西国巡礼のお寺の中で唯一近畿地方の外にあり、濃尾平野から揖斐川を遡った山間に位置しています。
現在の西国三十三所巡礼の順番が確立したのは、江戸の人々に巡礼が広まった近世以降のこととされており、第一番札所の那智山は東国から伊勢神宮の参拝後にアクセスしやすく、三十三番札所の谷汲山は畿内から東国への帰途に当たります。東国からの巡礼者は谷汲山への参拝後に、お礼参りとして善光寺へ立ち寄ったとも伝わっています。
この他にも江戸時代にはガイドブックごとに比叡山延暦寺や高野山金剛峯寺、東大寺二月堂なども「巡礼のお礼参り」先として挙げられることがあり、当時の人々の巡礼への熱意が感じられます。
華厳寺の創建は8世紀の後半のことと伝わります。由来としては会津の有力者が自身の故郷に祀るために京都で十一面観音像を造像したところ、その像がひとりでに歩き出したこと、途中の中山道赤坂宿で「奥州の地にはいかない。ここから北の山に結縁の地がある」といい、歩む方向を変えてしまったこと。そして観音像が現在の境内地で動かなくなり、そこに堂を設けたのがお寺の始まりであることなどが語られています。
境内には本堂の他に、巡礼を終えた人々が笈摺(おいづる)を納めた笈摺堂、札を納めた満願堂があり、それらのお堂に因んだ3種類のご詠歌、ご朱印をお受けすることができます。
境内は地元地域を中心に桜や紅葉の名所としても知られ、飛騨・美濃さくら三十三選、飛騨・美濃紅葉三十三選の両方から選定を受けています。巡礼の際は時期をあわせてご訪問するのも良いでしょう。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~16:30 |
納経時間 | 8:00~16:30 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23 |
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番外札所
西国三十三所巡礼には33ヶ寺の札所に加えて番外札所が3ヶ寺あります。
それぞれのお寺が西国三十三所巡礼に所縁のある徳道上人、花山天皇らを祀っています。
法起院〈桜井市〉
基本情報
宗派 | 真言宗豊山派 |
ご本尊 | 徳道上人像 |
ご詠歌 | 極楽は よそにはあらじ わがこころ おなじ蓮(はちす)の へだてやはある |
公式ホームページ:西国番外札所 長谷寺開山堂 法起院
法起院の紹介
西国三十三所巡礼の番外札所のひとつめは「法起院(ほうきいん)」です。
法起院は八番札所長谷寺の麓にあるお寺で、徳道上人を祀っています。徳道上人は西国三十三所巡礼を創始したとされる僧侶で、冥土の入り口で閻魔大王と出会い、「地獄に来る亡者を減らすため、観音菩薩霊場巡礼の功徳を説き、人々を救済せよ」と託宣と共に宝印を授けられたと伝わっています。
しかし西国巡礼は人々の間に広まらず、上人は中山寺へ各寺の宝印を封じることとなりました。
西国三十三所のご詠歌は、谷汲山のもの以外は花山法皇の手によるものと伝わっていますが、番外札所法起院のものは徳道上人自身の手によるものとされています。
極楽は遠くにあるものではなく、自身の中に求めるもの。この世とあの世に咲く蓮の花の間に違いなどはない。
自分自身をしっかりと振り返りなさい。と諭されるご詠歌で、数あるご詠歌の中でも印象深いものです。
拝観情報
拝観時間 | 3/20~11/30 8:30~17:00 12/1~3/19 9:00~16:30 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 奈良県桜井市初瀬776番地 |
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華頂山 元慶寺〈京都市〉
基本情報
宗派 | 天台宗系単立 |
ご本尊 | 薬師瑠璃光如来 |
ご真言 | おん ころころ せんだりまとうぎ そわか |
ご詠歌 | 待てといわば いとも畏し花山に しばしと啼かん 鳥の音もがな |
元慶寺の紹介
西国三十三所巡礼番外札所の2つめは、京都市山科区にある「華頂山 元慶寺(かちょうざん がんけいじ)」です。京都市山科区にあるお寺で、政争に巻き込まれた花山天皇が御髪をおろし、仏道へ歩み始めたお寺として知られています。
花山法皇については「大鏡」や「古事談」などに多くの記述がありますが、当時の人々からは「内劣の外めでた」と評されたと伝わり、女好きで高御座に女官を引き入れて行為に耽った話が伝えられるなど評価は決して良くなく、最後には家臣に騙されて1年10ヶ月という短期間で天皇の座から退いてしまいます。
一方で和歌をはじめ芸術的な面での評価は高く、様々な和歌集で多くの和歌が見られるほか、三十三所のご詠歌は巡礼の途上で花山法皇が詠まれたものと伝えられています。
出家後の花山法皇は圓教寺に入り、その後は比叡山や熊野などで修行をしたことが伝えられ、仏道に強く帰依されていました。
詳細なエピソードはこちらの紙幅では紹介しきれませんが、ひとつひとつのエピソードを浚っていくと、政治的な後ろ盾が無かった花山法皇の苦しい立場とともに、純粋で感性の豊かなお人柄であったのではないかと感じ入ります。
拝観情報
拝観時間 | 8:00~17:00 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 京都市山科区北花山河原町13 |
東光山 菩提寺(花山院)〈三田市〉
基本情報
宗派 | 真言宗花山院派 |
ご本尊 | 薬師瑠璃光如来 |
ご真言 | おん ころころ せんだりまとうぎ そわか |
ご詠歌 | 有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かときけば 小野の松風 |
公式ホームページ:花山院菩提寺 | 公式ホームページです。
花山院の紹介
西国三十三所巡礼番外札所の最後は、兵庫県三田市にある「東光山 菩提寺(とうこうざん ぼだいじ)」です。花山法皇が隠棲したお寺であることから、一般的には「花山院」として親しまれています。
このお寺を開いたのは25番の播州清水寺、26番札所の一乗寺にも所縁がある法道上人と伝えられており、この伝説的な僧侶についての興味は尽きません。
菩提寺に花山法皇が参られたのは、法皇が播州清水寺に登拝された992年のことと伝わり、播州清水寺のお堂から、東方の山上が光り輝いて見えたため、そこにあった寺を再興して隠棲した話が伝わっています。
隠棲された花山法皇の元には、法皇を慕って11人の女官が訪ねてきたとされますが、彼女らは女人禁制の菩提寺境内に入ることができず、麓の集落で身を寄せ合って暮らし、それが周辺の「尼寺(にんじ)」という名の由来となったと伝わるほか、法皇を思い彼女らが弾いた琴の調べが山上の法皇の耳に届き、それによって法皇は女官達が訪ねてきていることを知った、という逸話も残されています。
お寺の境内には、ご本尊を祀るものと、花山法皇を祀るものの2つの本堂があるのが特徴です。
拝観情報
拝観時間 | 9:00~17:00 |
納経時間 | 同上 |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 兵庫県三田市尼寺352番地 |
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おわりに
執筆者紹介
岩本 真輝(いわもと まさき)
1993年兵庫県西宮市生まれ。奈良大学文学部地理学科卒業後、営業職を中心に勤務。
2022年に旅行会社へ転職し、ツアー企画/ツアーライター/歴史ライターとして従事。ライターとしては「織物の歴史と著名な織物の製法を学ぼう 」「紀伊山地の霊場と参詣道の全体像」「日本酒の醸造工程」など観光・歴史分野を中心に幅広い分野の記事を執筆。
岩本真輝執筆記事
京都からの西国三十三所巡礼はMKトラベルがおすすめ
初心者でも安心の日帰りバスツアー
西国三十三所霊場には、関西2府4県+岐阜県に広がる三十三所+番外三所の36箇所の札所があります。
全て巡るのには時間もお金もかかります。初心者であれば、作法や準備物にも心配があるでしょう。
MKトラベルが京都発着で催行している日帰りバスツアーでは、初心者でも安心です。
比較的リーズナブルに西国霊場を旅することができます。
ぜひ、MKトラベルの日帰りバスツアーをご検討ください。
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