エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【439】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2025年9月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
編み物がブームなのだとか。
十代後半から二十代後半のZ世代を中心に、女性だけでなく、男性にも沼にハマった人がいるという。
そんなニュース番組を見て思い出した。
私も編み物をしたことがある。四十数年前に一度だけ。
――高校の教室、ある日の休み時間。
同じクラスのEさんが巻尺を手に近づいてきて、「あんな、カラダのサイズ測らせてくれへん?」と言った。
「えっ? いきなり? 何で?」と私。
聞けば、家庭科の授業で編み物をするのだが、どうせなら自分のものよりも、プレゼントする人を想いながら編むほうがワクワクするし、最後までやる気が続くでしょ? と、先生が生徒たちに提案したのだという。
Eさんとは仲はいいけど、つきあっているわけでもなく、でも「遠慮しとくわ」というのは違う気がするし、でもさすがに手編みのプレゼントは重いなぁ、などと思いながら両手を上げたり、後ろを向いたりしていると、測り終えた彼女が「はい、ありがとさん」と言った。
と、そのとき、私は「ほな、僕もEさんのを編むわ」とつい言ってしまった。
学校帰りに二人で近くのイズミヤに毛糸を買いに行った。制服(グレーのブレザー)の内側に着るベストを編むというので、それと同系色の毛糸を選んだ。
鹿の子(かのこ)編みの基本から襟や袖、裾の編み方まで、授業で習ったばかりのEさんに教わりながら編んだ。
休み時間だけでなく、授業中も二人して、先生に見つからないよう手元を隠して編んだ。
「互いのベストを仲よく編みあっている二人」のことを学年で知らない者はいなかった、らしい。
完成した手編みのベストは、どうみても私のほうが上手だった。
Eさんが編んだベストは、なんだかゆるくて、また、ところどころ編み目を落としていた。
もちろん、そんなことはどうでもよい。私は彼女が編んだベストを学校に毎日着て行ったし、彼女も私が編んだベストを毎日着ていた――。
十何年か前、京都駅八条口の地下構内を歩いていたとき、Eさんと偶然出会った。三十年ぶりぐらいだっただろうか。彼女は小学生ぐらいの女の子を連れていた。娘さんか、まさかお孫さんか。
「久しぶり」。
立ちどまって話をしようとしたら、女の子が「ねぇ、行こう」と彼女の手を引いたので、急いで名刺をわたし、「メールでもして」とだけ言って別れた。
Eさんからメールは来なかった。
うっかり者の彼女のことだから、きっと名刺をなくしたに違いない。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)
本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

MKタクシーのオウンドメディアであるMKメディアの編集部。京都検定マイスターや自動車整備士、車載広報誌のMK新聞編集者、公式SNS担当者、などが所属。京都大好き!旅行大好き!歴史大好き!タクシー大好きです。