エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【412】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【412】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2022年8月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

原付で日本縦断をしたのは1985年、大学三年のとき。
道交法改正を前に、ヘルメットなしで乗れる最後の夏だった。
友人と二人、色違いの二台のジョグ(ヤマハのスクーター)に乗って、インカム(マイクとイヤホンがセットになっている無線機器)を装着し、おしゃべりをしながら、時速30キロ以下でのんびりと走った。
九州最南端の佐多岬から、北海道最北端の宗谷岬まで。ほぼ、すべて野宿だった。
食事もキャンプ場所での朝夕はもちろん、昼食も川辺りや空き地や道端で自炊した。
日程もルートもあらかじめ決めることなく、名所や観光地をまわることもなく、走ることそのものを楽しめる風景や街並みに誘われるがままに、また、遠まわりをして海岸沿いや山道などを気の向くままに進んだ。
毎日交代で前を走る。原則、前を走っている者が道を選ぶのだ。
走りながらインカムで「右側の脇道に入ってみよか」とか、「あの河原、テント張れそうやな」「きょうは、ここでキャンプしよか」という具合に。

ありがたい人との出会いもいろいろあった。
出発地の九州へ向かうフェリーで、スクーターを見て声をかけてきた人が、私たちがこれから貧乏旅をスタートすることを知り、「お祝いや。しばらく、まともな食事もできんやろ」と、食堂でご馳走をしてくれた。
風呂は深夜に素っ裸で川に入っていたのだが、声をかけてきた地元のおじさんに(私たちは、よく声をかけられた)、ある旅館が所有する少し離れた敷地の露天風呂に、見つからずに入る方法を教えてくれた。
山村の河原でテントに寝ていると、「川に人が飛び込む音はしませんでしたか」とおじさんが訪ねてきた。
わけを聞くと、うつ病の息子が家を飛び出したという。
真夜中に私たちも一緒になってあたりを探しまわり、無事に見つかった。
翌朝、出発しようとしていると、そのおじさんが再びやって来て、お礼に村の特産だという豆腐の味噌漬や、採れたての野菜を持たせてくれた。
夜、寝ようとしていると、暴走族が乗るような改造したエンジン音を鳴らし、音楽の漏れてくるクルマがテントのそばに停まった。ドアが開き、逆光の中をこちらに人が近づいてくる……。

書き出すとキリがないので、これくらいにしておく。ゴールまでは結局、三十三日かかった。
この旅には、一冊の全国道路地図を持って行った。
もちろん、グーグルマップやスマホなんてない時代のことだ。
日本縦断なので、各県別の一枚ものの地図ではなく、地図帳という「紙の本」。
ページの用紙も厚手のA4判の堅牢なものだった。
スクーター後部の荷台にはバックパックをくくり付け、前カゴに押し込んだ荷物の一番上にこの地図帳を乗せ、伸縮ロープをかけて走った。
表紙や背や束が擦れても、汚れても、ページの端が折れても、あるいは、放り投げたって何の問題ない。
実にたくましい旅の道具だった。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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