エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【407】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【407】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2022年3月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

小中学生のころ、自宅ではスカートをはいていた。
ニットを筒状にして片側の周囲(胴まわり)にゴムを通してあるだけのもので、それは市販されていて、同居していたおばあちゃんが家着にしていた。
楽だったからだ。当時、ぽっちゃりしていた私には、ズボンは(ジャージも含め)窮屈に感じていた。
単に合理的選択で、昨今耳にするような性別違和ではなかった。
だから、隠しておきたいという気はなかったし、逆にユニークな自分らしさを公にアピールしたいなどとも思っていなかった。

家族が外出していて自宅にひとりでいるとき、集金やセールスなどで誰かが訪れた際に私がスカートのまま玄関に出ていくと、客人はきまって目を見開いた。
そのころの私は長髪(女子でいうショートカット)で、顔もふっくらかわいらしいタイプだった。
だから、女の子が出てきたと思うのだろうが、声を出した途端、「えっ?」という表情になった。
いけないものを見てしまったが何事もないように振る舞う姿がおかしかった。
余談だが、スカートでなくてもジーパンでも街でよく女の子に間違われた。中学生の頃はたびたび、また、十八歳になっても、城崎温泉の番台で「女湯はあちらですよ」と注意されたことがあった。
それはともかく、スカートのことを学校の友達は、うちに遊びに来たら知るし、知っても学校で言いふらすことはないし、かといって私のために一切口にしないというわけでもなかった。
○○君は自宅でスカートをはいている。ただそれだけのことだった。
いじめられるようなことは、もちろんなかった。

教室での雑談でたまたま知った女の子が何人か連れだって自宅を訪ねてきて、スカートのまま玄関に現われた私を見て「ほんまにスカートはいてるぅ」とキャッキャと喜んで帰っていったということが何度かあった。
それでも、変わり者扱いされるようなことはまったくなかった。
そんなおおらかな時代が実はあったのか。周囲がそういう人たちで私は運がよかったのか。あるいは、私が鈍感だっただけなのか(笑)。
その後、高校ぐらいから、いつのまにかスカートははかなくなった。
男らしさ、女らしさについて、私のなかに何かが芽生えたとか、認識に変化が特にあったというわけではない。
ゆったりとして柔らかい生地の短パンやスウェットパンツなど、いまふうのくつろげる家着が一般的になったからではないか。
性別に関係なくスカートやスラックス、ネクタイやリボンを組み合わせて選べるというジェンダーレス制服の導入が、学校に広がりつつあるという新聞記事を見てそんなことを思い出した。
もう、五十年ぐらい前のことだ。
スカートをはいていたこと、今ここに初めて書いた。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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