エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【428】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【428】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2023年12月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

大学の三年間、スキー場でアルバイトをした話は以前書いた。二月と三月の二か月のあいだ、リフトの改札や監視、雪かきをした。実は、夏休みも海水浴場で住み込みのバイトをしていた。

一年目は浜茶屋(海の家)。砂浜に建てた小屋で飲み物やかき氷、フランクフルト、カレーライスなどを提供する。夜は玩具花火を販売した。

このバイトはスキー場とは逆に大ハズレだった。家業として商う家族とその小屋で共同生活し、労働時間の区別もなく、寝食・トイレ・風呂以外はすべて仕事という丁稚奉公扱いだった。

それでも懲りずに、二年目は民宿へ。仕事は部屋や風呂の掃除、食事の配膳、寝具の準備など。ここもこき使われたが、宿泊客の夕食の刺身を調理する際に出る切れ端をまかないで毎晩食べられるのは楽しみだった。

バイトはいろいろやったが、時給ではなく仕事内容で選んでいた。ふだんできない経験ができる上にお金までもらえるという認識だ。

特に住み込みは、三食付きだし、給料を使う場も機会もないので、満了後の充実感と共にまとまった金額を手に帰ることができた。

全国から集まるバイト仲間との期間限定の交流も楽しかった。皆、それを望んで来ている連中だから、すぐにうちとけられた。一、二か月のあいだ、人間関係を悪くしない心得をそれぞれが経験から学んでいた。

学校の長期休業以外でも、仕事に興味が持てる単発のバイトをあれこれとやりたかったので、家庭教師や飲食店などの継続してやるバイトは一度もしたことがない。

祇園祭と時代祭の行列は、大学の掲示板に求人票が貼られていた。時給に換算すると割のいい仕事だったと記憶しているが、いつからか無報酬のボランティアが集まるようになったと聞く。外国人もいるのだとか。

祇園祭では月鉾の先導旗を担いで歩いた。役は集合場所の到着順で割り当てられていたが、私は体格がよいからと順番をずらしてそうなった。

鉾を曳くほうが体力がいるだろうにと内心思ったが、行列を歩いていると、ビル風が吹くたびに大きく縦長の旗がヨットのようにはらみ、体勢を保つのに脚、腰、腕に強い力が必要で、こういうことかと納得した。

時代祭は、衣装を渡されるときに「鉄砲奉行」とだけ言われた。おそらく徳川城使上洛列で、鉄砲を担ぐ徒士(かち)の隊列を引き連れる役どころだったのだろう。これも私の恰幅のよさ(笑)が配役の理由か。

担ぐ道具の大小によってABCの三ランクがあり、日給に差があった。私は何も持たなかったのでA。Cの長持や駕籠は四人で担ぐもので、かなり重く大変そうだった。

バイトについてもう少し昔語りをしたいのだが、紙幅の都合で次回に。

ところで、アルバイトを題材にした小説やエッセイはわりとある。

『バイトの達人』という本がかつてあった。吉田健一や遠藤周作、村上春樹ら著名作家二十人の作品を収録している。私が持っているのは福武文庫版だが、のちに角川文庫になり、既に版元品切れになっているようだ。バイトに関する本の話も続きは次回。

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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