エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【422】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2023年6月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
文学評論において、作者の経歴や執筆時の実生活の状況、執筆の経緯などを引き合いに出すべきではないという人がある。小説そのもの、作品に書かれていることだけで論じるべきだ、と。
仮に今その考え方に立てば、最近話題沸騰中のChatGPT(チャット・ジーピーティー、人工知能の一種)が生成した小説も、もしも、誰もが認める作品なら、論じるに値する文学になり得るということになる。
ともかく、AI(エーアイ、人工知能)は道具であって作者ではない。小説の執筆を思い立つことはない。
チャットGPTなどの生成AIは、コンピューターへの指示の与え方によって玉石混交、千差万別の応答をする。
そのため、目的に沿ったよりよい結果を得るための技能を持つ専門の職業も既にあり、プロンプトエンジニアというのだそうだ。
他にも、テーマや物語の構成、登場人物や舞台背景などの設定を考える人や、AIが生成した文章を吟味し、プロンプトを修正・調整していくつものバージョンを生成させ、それらを取捨選択して編集する人、仕上げのリライトをする人など、何人もが創作に関わることも考えられる。多くの場合、それらすべてを一人が行なう。
一人ならその人が作者で、複数の人が関わるなら事前の契約によるということか。
また、例えばチャットGPTを利用して作成した文章なら、執筆者名に「with ChatGPT」との表記を加えてはどうかと提案する人もいる。
ただ、小説のアウトラインだけをAIに考えさせたり、AIとの対話をブレーンストーミングにして繰り返しアイデアを練り上げるのに利用したり、AIが生成した小説を丸ごとほぼそのまま作品とする場合など、利用目的や生成結果によって、創作においてAIが関わる度合いはさまざま。
いずれにせよ、小説を書くためにチャットGPTを活用するとしても、何をもって作品として確定するかの見極めや、その出来栄えは、結局のところ、利用する人の技能、それ以上に文学に対する見識、小説を読み書きする力量などによる、ということになるのではないだろうか。
ところで、小説を長年にわたって公募している海外のあるSF雑誌は、チャットGPTの登場後、AIを利用したと思われる作品数が何十倍にも跳ね上がったので、今後どうすべきか検討するために、投稿を一時中止しているという。
日本では、AI使用可の「星新一賞」で二〇二二年に一般部門優秀賞を受賞している。
また、AIが生成した画像についても、既に著名な写真コンテストで最優秀賞に選ばれている。
作者はAIで生成したことを公表して受賞を辞退。これは「写真」ではないとして、議論を巻き起こすのが目的で応募したのだという。
ところが、コンテストの主催者は賞の公表前に作者からAIで作成したことを知らされていたと明らかにしている。承知の上で、授賞作として正式に発表したらしい。
いま、学校の課題や賞金稼ぎなどでAIを隠して使いたい人がいる一方で、AIを使った創作であることをアピールしたい人もいるようだ。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)