エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【421】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【421】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2023年5月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

インターネット配信やテレビ放送で映画を観ていて、だいぶたってから、あれ? この映画、前に観たな、なんてことが、たまにあった。
「あった」と過去形なのは、いまでは、全部観終わって、ようやく気がつくというありさまだからだ。しかも、「観たような気がする」と、確信すら持てないでいる。
それどころか最近は、観た翌日になって初めて「もしかして観たかも」と思いはじめたり。
映画は古今東西、星の数ほどあるのに、観たことを忘れたら――忘れたのに、同じ映画をまた選んで観ているところが、おもしろい。きっと、私の好みのタイプの映画なのだろう。
いや、好きになったり感動したりした映画は忘れることはない。
だから、映画館へ行ってお金を払って観るのではなく、自宅のテレビやネットでタダあるいはサブスクだから観ている映画というのはそもそも、観ても忘れて、でも、忘れたらまた観てしまうほどにはそこそこおもしろそうな中途半端な作品が大半なのだろう。
好きな映画は何度も観るという人がいる。でも、私は若かったころ、同じ映画を二度観る時間やお金があるのなら、未見の映画をもう一本観たいと思うほうだった。
雑居ビルの一室など小さな特設会場で限定上映されるような映画にもマメに足を運び、未知なる視聴体験や刺激を貪欲に求めていた。
しかし、歳をとるにつれて意欲が減退したのか保守的になったのか、お気に入りの映画(と言っても、今はビデオ)を自室で何度も観るようになった。観たことを忘れたわけではなくても。
市販ソフトの多様化や低価格化、ネット配信の普及など、映画を鑑賞する環境もかつてとはまったく異なり、昔観た映画をどれでも手軽に観られるようになったということもある。
何度も観ている映画はもう、自らの人生の記憶と同じようなもので、お気に入りの映画を繰り返し観るのは、若いころの思い出を繰り返したどるのに似た甘美な悦びをもたらしてくれる行為なのかもしれない。
ところで、私たちはみな繰り返し生まれ変わるのだという考え方がある。ただ、その際、前世の記憶は毎度消去されるのだという。
でも私は、前世の記憶が消されても――消されたのに、きっとまた同じ映画を選んで観てしまうのだろう。
そして、この映画、前に観たような気がすると思うのだろう。
もっとも、人間に生まれ変わればの話だが。

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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