エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【401】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【401】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2021年9月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

緊急事態宣言が発令中の2021年6月9日、映画館へ『アメリカン・ユートピア』を観にいった。
ブルーレイが発売されたら、もちろん購入するが、新作公開のこの機会を逃すと、スクリーンの美しい大画面と迫力の音響システムでこの体験ができる機会は二度とないかもしれないからだ。
座席はひとつおきで半分だったが、その上映回は満席だった(と言っても45席ほど)。
ちなみに、制作本国のアメリカでは劇場公開がちょうど新型コロナウイルスが猛威をふるっていたころで、ネット配信のみ。
こう言っていいのなら……劇場で観られた日本の私たちは不幸中の幸いだった。

作品は、デイヴィッド・バーンによるブロードウェイでのショーをスパイク・リー監督が映画化したもの。
まず、とにかく、力量のある演者(トランスジェンダーを含む、国も肌の色も多様なメンバー)が歌って踊って、理屈抜きに楽しい。
ひととき世事を離れ、とても幸せな気分になれる。
一方で内容は暗示的、政治的でメッセージ性が強いのだが、デイヴィッドは主張を押し付けることにならないよう、あえてゆるく振る舞い、ユーモアをまじえて語る。
今ここはユートピア(理想の国)だとは言えない状況だけれど、また、私自身も間違いをおかすことはあるけれど、皆で支え合って前進しよう。
さあ、行動しよう。
私たちには未知なる可能性がある――現状や自己を認識しながらも、私たちは世界を変革し得るという希望をあくまで音楽で、楽観的に体現、そしてエンターテインメントに昇華した作品だ。

実は、私は高校時代から、デイヴィッドが主要メンバーだったトーキング・ヘッズというバンドのファンだった。
そして大学のころ、トーキング・ヘッズのライブをジョナサン・デミ監督が映画化した『ストップ・メイキング・センス』が制作、公開された。
この作品はトーキング・ヘッズのファンだけでなく、広く音楽映画の最高傑作のひとつとの評価が定着している。
当初、私が住む京都では上映されなかったので、大阪の小さなライブハウスまで観に行った。
『ストップ・メイキング・センス』のレーザーディスクが発売されると、それを観るために再生装置を買ったし、DVDが発売されるとDVDに買い換えたし、ブルーレイが発売されるとブルーレイに買い換えた。
もちろん、劇場でリバイバル上映(それほどの名作だという証拠)されるたびに観に行った。
初公開から35年以上、何十回と同じ作品を繰り返し観てきた。
その、デイヴィッドによるライブの本格的な映画が35年ぶりに制作されたのだ(ビデオ作品はいくつかあった)――この新作を劇場で観ることは私にとって決して「不要不急の用事」ではなかった。

誰にでもそんな、ささやかだが、宝物のような体験があるのではないだろうか。
いや、そんな宝物を持っている自分は幸運。
ありがたいことだと思っている。

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

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