自給自足の山里から【208】「義父・大森昌也がのこしたもの」|MK新聞連載記事

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自給自足の山里から【208】「義父・大森昌也がのこしたもの」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2016年6月1日号の掲載記事です。

大森梨沙子さんの執筆です。

光の世界への手紙 義父・大森昌也がのこしたもの

ザラッとした人

私が始めて義父に会ったのは、14年前。美大4年の夏休みのこと。
ずっと興味を抱いていたパプアニューギニアのツアーに参加し、そこで後に夫となるあ~す農場の次男げんに出会い、帰国後に立ち寄りました。
「日本にもまだこんなところがあるんだ!」。埼玉で生まれ、東京で暮らしていた私には、日本というよりパプアニューギニアに近いように感じました。
爽やかな風、でこぼこの道、採れたてのお野菜。そこでは自分の体の細胞の一つ一つが喜びに満ちていました。
そして、そこに主としていたのが大森昌也さん。
第一印象は、今まで接したことがないようなザラッとした人。スムーズに話せず、とっつきにくいように感じましたが、あ~す農場の空気への感動が大きく、「この山の暮らしの中で恵を描きたい!」という直感で、卒業後1年間の研修に飛び込みました。

大森家の食卓

実際に来て、あの頃の感覚といえば、空腹(笑)。
身体は動かす毎日だが、みんな少食。というより、疲れて食事の支度まで手が回らない、少し寂しさの漂う家でした。
私が作ると喜ばれましたが、大切な食材をあまり使うのも申し訳ないので、空腹は相変わらずでした。
そんなとき、毎晩晩酌をするお義父さんが、たまにくれる一杯のエビスビールは最高の贅沢(ぜいたく)でした。
今思えば、今の時代にあんなに空腹の日々を送れることはまずないので、貴重な体験だったな、あの日々のおかげで身体がデトックスされ、元気な子どもたちを産むことができたのかな、と思います。

淋しさとあたたかさ

もう一つ、強く残る印象はお皿を投げるお義父さん。
怒るとやかんのように沸騰し、手元にあるものを投げる姿は、私にはまるで映画の世界でした。
子どもたちはいつも、お義父さんが怒らないよう機嫌をうかがう毎日。
気持ちのよい環境にもかかわらず、何か満たされない淋(さみ)しさが漂うのは、そこから来ているようでした。
私は、助けになりたい思いもありましたが、22歳という幼さのためかそこまでの器もなく、そこで暮らすことで精一杯でした。
なぜ帰ろうと思わなかったのか、後から思うと不思議なくらいですが、それは山と子どもたちの魅力でしょうか。
あ~す農場の子どもたちが、そんな辛い生活を送っていたにもかかわらず素直なのも山の力でしょうか。
いや、もう一つ深く思うと、あそこにあった淋しさは、お義父さんの心から生まれるもの。
あの魅力、お義父さんの心の芯にあるあたたかさ。とても不器用な人だったように思います。
3歳のとき、満州で敗戦を迎え、学生運動の時代に生き、怒ると怖いけれど、すぐに冷めて笑顔で謝るし大きな優しさも見せてくれるから、憎みきれない人でした。

厳しい父

私は、あ~す農場に来て1年後にげんと家を作り、結婚。
お義父さんの言うことは絶対だったので、イヤになってしまうときもありました。
「おまえは都会から来たわがままな女だ」なんていわれたりもしましたが、自分が成長するための場なのだと思い、踏ん張っていたら、おかげで少しは忍耐強くなれたような気がします。
夫のげんは、本当に忍耐強い人。厳しいお義父さんに育てられたからなのでしょう。
おかげで私のわがままも小さなもののようです(笑)。

病との日々

そんなお義父さんがガンを患い、家族みんなで看病する日が訪れました。
昔のお義父さんなら、断食療法などをしたでしょうが、そんな気力も持てないようで、西洋医学を選んだお義父さん。病とともにある人の心や痛みは、誰にもわかりません。批判精神で生き抜いてきた心が、もう少し穏やかになったり、食生活を改めてくれたらよくなるのではないかな、など思いましたが、それは私の勝手な思い。
病とありながらも、強く生きようとするお義父さんの毎日が、少しでも気持ちよくあるように見守る日々でした。

最期の日

お義父さんの誕生月である3月を迎えました。
前年の年末に大阪の病院から、あたたかく暮らせるようにみんなでリフォームをしたあ~す農場にお義父さんが帰宅し、家族で過ごしましたが、病状が悪化し、近くの病院の緩和ケアに入ることになってしまいました。
誕生日も病院で迎えましたが、看護士さんたちが盛大に誕生会を開いてくれ、とてもうれしそうでした。

そして、3月23日、うちの長男つくしの小学校卒業式。式を終えた後、げんと次男すぎな、三男かやとお見舞いに行きました。
すると、その日はずっとあった食欲がなくなり、話すこともままならない様子。
でも瞳の強さはあり、その瞳を見つめて心の中で「また来ますね」と私は言いましたが、げんの想いはまったく違うものでした。
彼は、弱り果てているのに活きようとする父親を見て、怒りを込めるように「もういいじゃないか」と腹の底から叫んだそうです。

彼の想いは、お義父さんへ伝わったのでしょう。その晩、光の世界へと旅立ったのです。満月の夜でした。
覚悟はできていた、つもりでした。
でも、目の前にあった命が見えなくなってしまうことの重みを、初めて知ったように感じました。
大きな喪失感を持ちました。なぜか、悔しくもなりました。
翌朝、ふと空を見上げると、そこにはお義父さんが微笑んでいるように感じました。
これからは、いつも空から見守ってくれるんだな、と思いました。げんは、田畑にいると、「よお」とお義父さんが現れるように感じるそうです。
そして、思いました。あ~す農場とこの村を、もっともっといい風が吹き抜ける場にしていこう。
すばらしい場にして、お義父さんに見せてやるわ!! と。

みんなのお義父さん

怒鳴ったり、命令したり、いっぱい困らせてくれるお義父さん。
好きなだけ持って帰れ、と気前のいいお義父さん。さりげない優しさを見せるお義父さん。子どもたちのおやつをほしがる、子どもみたいなお義父さん。お酒とジャンクなおつまみが大好きだったお義父さん。

こんなにアクの強い人と暮らせたのは、貴重な日々だったな、と思います。ご縁があったことの不思議。
4月9日に開いたお義父さんを偲ぶ会には、130人もの方々が来てくださりました。
あ~す農場の桜が満開の晴天。まるで、お義父さんが用意をしてくれたようでした。
お義父さんを慕う人であふれたあ~す農場、お義父さんの笑みがこぼれ落ちてくるようでした。来てくださった方、来れなかったけれど祈ってくださった方、皆様、本当にありがとうございました。

「将棋やトランプを教えてくれて、本屋おもちゃを買ってくれた」と言うつくしは今、将棋が得意な少年に。
「いっつもロールパンを『一口くれ』と言ってきた!!」と言うすぎなは、じっちゃんに負けない食いしん坊。
「じっちゃんに一度ビールを飲まされた」と言うかやは、もしかして将来は酒飲みに!?
そしてげんは、「わがままで気分屋だけど、情の深い人だった」、と。

この春から、村の区長になったげん。これからは、地域や大地のとの関係をより深め、もっと笑顔のあふれる山にしていきたい。お義父さんがくれた強さと優しさの力で、お義父さんが笑ってお酒を飲んでいられるような山に…。
今まであ~す農場を応援してくださりありがとうございました。どうかこれからも見守っていてください。
そして、お義父さんが息づいているあ~す農場へ、また遊びに来てください。キツツキやカエルの声の中にきっと、お義父さんの声も聞こえてくるはずです。

 

あ~す農場

兵庫県朝来市和田山町朝日767

 

MK新聞について

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MK新聞への「あ~す農場」の連載記事

1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)

2017年1月1日号~2022年12月1日号
大森梨沙子さん「葉根たより」(72回連載)

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