エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【430】|MK新聞連載記事

よみもの
エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【430】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2024年3月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

脚本家・作家の山田太一が昨年十一月二十九日に亡くなった。
テレビドラマの『男たちの旅路』『岸辺のアルバム』が代表作として知られるが、私にとっては『ふぞろいの林檎たち』が特別な作品である。
男三人と女三人を中心とする群像劇で、そのうち四人が大学生、二人は看護学生だ。放送されたのが一九八三年で、私が大学に入学したのとちょうど同じ年だった。
好評を得て、二年後の八五年にパートⅡが放送された。Ⅱでは、卒業して就職した彼、彼女らのその後が描かれた。
つまり私は、ほぼ同じ時を大学生として共に過ごし、彼、彼女らに少し遅れてほぼ同時期に、社会という大海原に泳ぎ出したのだった。
九一年、パートⅢの六人は三十少し前。
九七年のⅣでは、三十代半ばになっている。
これら続編では、それぞれの年頃ならではの仕事や家庭の悩み、問題を抱えながら成長していく彼、彼女らが描かれた。
いつまでも夢見る少女や純真無垢な青年ではいられない。薄汚れながら大人というものになっていく彼、彼女らの姿を観ながら、私もそのような一人なのだと思った。
ドラマのなかの登場人物だけではない。その役を演じた俳優もまた同世代であり、仲間のように感じていた。
主演に抜擢された六人は、俳優としてほぼ新人と言っていい。このドラマで役者の世界の厳しさを知り、演技の基礎を叩き込まれたという。
本作で注目された彼、彼女らは、少しずつ活躍の場を広げていく。
ただ、それぞれに仕事の浮き沈みはあった。私生活では、芸能人ゆえに離婚会見に立たざるを得なかったり、ゴシップ記者に追いかけられたりした者もいた。
パートⅤ制作のうわさは、何度かささやかれては消えた。
シリーズ開始から十四年以上が過ぎ、変化するテレビドラマのトレンドと乖離した物語は、高視聴率が望めないとみなされたのかもしれない。
あるいは、多忙になった俳優のスケジュールを同時に長期間確保するのが困難だったからか。
六人のうちの一人が、過去の共演者との色恋沙汰を暴露した本を出版。人間関係に亀裂ができたからとの憶測もあった。
それはともかく、山田太一が亡くなる直前に、未発表シナリオ集が出版されたのだが、なんと、その中に『ふぞろいの林檎たち』のパートⅤが収録されていた。二〇〇二年か三年ごろの執筆だと推定されている。
Ⅴは連続ドラマではなく、前後編の二回のみ。活字で再会した「ふぞろいの林檎」たちは四十代になっていた。私は、配役で映像を思い描きながら脚本を読み進めた。
シリーズはこれで完結だと感じさせる終幕だった。山田太一自身が、これ以後、続編が制作される機会はもうないと認識していたのだろう。
しかし、そのパートⅤさえ、制作されることはなかった。

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

この記事が気に入ったらSNSでシェアしよう!

関連記事

まだ知らない京都に出会う、
特別な旅行体験をラインナップ

MKタクシーでは様々な京都旅コンテンツを
ご用意しています。