エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【438】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2025年7月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
書棚の『新編 悪魔の辞典』(ビアス著、西川正身編訳)を何気なく久しぶりに手に取った。
本文最初のページから「愛国心」を引用する。
「自分の名声を明るく輝かしいものにしたい野心を持った者が、たいまつを近づけると、じきに燃え出す可燃性の屑物。(以下略)」。
メイク・アメリカ・グレイト・アゲンの大合唱――出版から百年以上後の世も何ら変わっちゃいない。それにしても「屑物」はかなり辛辣。
やはり百年と少し前のほぼ同時期、章炳麟は論文「国家論」に「愛国心は、強国の民はもつべきでなく、弱国の民はなくすべきでない」と記していたそうだが、さて中国の自己像は今も弱国なのか、それとも、愛国心に燃える強国なのか。
では、日本は?
ところで、前回は、自室の書棚に並ぶささいな記憶と共にある本について話をした。
どんなときに買ったとか、どういう状況で読んでいたとか、その本をめぐってこんなことがあったとか。そんな何でもないことを憶えている本がある。その続き。
『A Private View』は洋書の写真集で、手にしていた私にDさんが「それ、見せてもらえますか」と言ったので「どうぞ」と渡したら、何ページかをしばらく見つめて「私もこの本、欲しいです。どこで買えるんですか」と聞いてきた。
二〇〇〇年になる前のことだ。
著者のSANTE D’ORAZIOはアメリカの写真家。世界的に著名なモデルや俳優、ミュージシャンたちを撮影し、ファッション誌などに掲載された写真をまるで私的なスクラップブックに貼り付けたように気取らない感じで構成した作品集。
まだアマゾンが日本で展開する前だったが、日本企業で洋書のインターネット通販をいち早く始めたところがあり、私はそれを利用していた。
それまでは、丸善などの洋書を扱うリアル書店で買っていたが、店頭に並ぶ本は輸入業者が選んだ極めて限られたものしかなく、日本での販売価格は様々なコストや手数料が上乗せされて驚くほど高価だった。
ネットの普及で洋書が以前より多様に割安で購入できるようになった初期の話。写真集は、彼女の代わりに私の登録サイトで買ってあげた。
もう一冊。それから五年、あるいは十年ぐらい後のことか。古本屋でいつものようにあてもなく棚を眺めていたら、たまたまDさんが好きそうな本が目にとまった。
内田市五郎編著『エドガー・A・ポウと世紀末のイラストレーション』。作家ポウの小説に付された挿絵をまとめた画集だ。収録画家はハリー・クラークやオーブリー・ビアズリーなど。
もうすぐ彼女の誕生日だからこれをプレゼントしようと思い買った。ところが、その後、彼女と冷戦状態になってしまった。きっかけは憶えていない。冷戦が一、二か月続くなか、誕生日は過ぎてしまった。
もちろん、その後、冷戦はいつの間にか自然に解消したのだが、一度タイミングを逸したその本は結局プレゼントすることなく、今も私の本棚にある。また、そんな本が私の本棚に並んでいることを彼女は知らない。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)