エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【440】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2025年11月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
三十五年以上前のことだ。ある夜、電話を取ったらFさんだった。最後に会ったのは、その二、三年前だったか。
「久しぶり! どうしたん?」と私。
少し間があって、彼女は言った。「あした、結婚します」と。
そんなことをなぜ思い出したのかと言うと、NHK教育で今秋まで放送していた『わたしの日々が、言葉になるまで』という番組で、「別れ際の言葉」がお題の回を見ていたからだ。
気持ちを言葉にして伝えることの難しさを念頭に、日常の様々な状況を設定して俳優や音楽家や作家などのゲストが何人かで「私ならこう言う」と大喜利風に楽しく語り合う番組だ。
Fさんからの電話で何を話したのか、最後の電話の最後に何を言ったのか、思い出せない。
もしも、私が自分の言葉でサヨナラの気持ちをちゃんと伝えられていたら、二人の最後の言葉のやり取りを、今も憶えていたかもしれない。
きっと、ありきたりなことしか言えなかったのだろう。
「幸せに」とか「電話ありがとう」とか。
たぶんそのとき、結婚相手はどんな人? と聞いたはずだ。彼女と私が最後に会ったときのことを笑い話にしたはずだ。
でも、それは記憶なのか、想像が補っているのか、もはやわからない。
その番組でこんな意見があった。別れを告げる側は、どう言おうかあらかじめ考えられるが、告げられる側はあるとき突然なので自分の言葉がすぐには出てこない。「こう言えばよかった」とあとで後悔する、と。
二人は同じ大学で、彼女は二年制、私は四年制だった。彼女は卒業と同時に、親との約束どおり故郷に帰った。
ただ、私はその年の夏休みに、友人と二人、原付スクーターで九州最南端の佐多岬から北海道最北端の宗谷岬までの日本縦断をすることになっていた。
それで、旅の途中、かなり長距離の寄り道ではあったが、彼女の実家に泊めてもらって再会する約束をしていた。
しかし、滞在中に彼女と話をする時間は、ほとんどなかった。
地元の有力な旧家の主である父親が、私と友人を「京の都から遠路はるばる訪ねてくれた」自らの客人、また後輩として、付きっきりでもてなして下さったのだ。
父親は娘や私と同じ大学だったということで、それぞれの時代の学生生活を比較したり、校内や大学周辺の街の変化を確認しあったりして、大いに盛り上がった。
だが彼女と母親は、ご馳走と酒の段取りに忙しいからか、男たちの宴席につくことはなかった。
翌朝も父親に見送っていただいた。
父親のななめ後ろに一歩さがって微笑んでいた彼女と、目でサヨナラを交わした。
それがFさんとの最後の瞬間だった。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)
本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー
MKタクシーのオウンドメディアであるMKメディアの編集部。京都検定マイスターや自動車整備士、車載広報誌のMK新聞編集者、公式SNS担当者、などが所属。京都大好き!旅行大好き!歴史大好き!タクシー大好きです。
