エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【436】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【436】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2025年3月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めて暮らしたい

前回、高校時代の話をしたので、今回はさらにさかのぼって中学の時のことを。一九七〇年代後半のことだ。
筆入れを自作したことがあった。
横長で長方形の厚手の布地に、シャープペンシルやボールペン、赤鉛筆などを一本ずつ挿し込むポケットをいくつも縫い付けたもので、クルクルと巻いて、ひもでしばるというつくりだった。
映画やドラマで、昭和のスパイや泥棒が部屋に侵入する際、ドアの鍵穴に差し込む細い棒状の金属製の器具を何種類も駆使していたが、それらを収めた七つ道具入れを観て、同様の筆入れを思いついたのだった。
ある日の授業中、教室を歩きまわっていた先生が私の机の上にあったその筆入れに目をとめた。そして、指をさして言った。「それ何や?」。
筆入れですと答え、開いてみせた。先生はそれを手に取り、少し眺め、机に戻し、通り過ぎた。
何日かが過ぎ、その先生が担当する科目の次の授業。教室を歩きまわっていた先生が近づいてきた。そして、ポケットから筆入れを取り出して机に置き「これ、やる」とだけ言って通り過ぎた。新品ではないが、市販のものと思われた。
どうやら先生は、手縫いの筆入れを見て、私の家庭が筆入れを買えない経済事情だと勘違いしたようだった。
私は「そんなわけないやん」とおかしくてしかたがなかったが、授業が終わると職員室に行きお礼を言ったうえで、筆入れを買えないわけではなく、市販されていない独自の筆入れを考案し、自作したのだと説明してお返しした。先生は「そうか」とだけ言って筆入れを受け取った。
無口な人だった。勉強以外のことを生徒と話すことはなかった。
また、怒ると手をあげた。当時は男女別だった技術・家庭の先生で、「おう」「おう」と声をあげながら、起立させた男子生徒の詰襟学生服のノドあたりを指で突くのだった。たまらず生徒は後ろによろけた。
「戦争帰り」との噂があり、いかにも軍隊式だった。今なら問題になるが、その頃はまだそういう人がいたのだ。
こわもてでがたいの大きな先生を生徒は怖がっていたが、陰では先生の苗字をもじった怪獣のようなあだ名で呼び、笑いのネタにしていた。
でも私は、筆入れの一件で、根はやさしい人なんだと先生を見る目が変わった。
考えてみると、戦後まもなく先生が教壇に立ったころは、筆入れを買えない家庭の子どもが現実にいたのではないか。いや、むしろ多くがそうだっただろう。
復興が進み、そのような家庭がほぼなくなっても、学級に一人ぐらいは買えない生徒がいて、筆入れをあげたことがあったのかもしれない。
日本にそのような時代があったこと、そして、言葉少なかった先生の経験と記憶とを思うと、筆入れをめぐる私の想い出を笑い話に分類していいのかわからない。
でも、いまふりかえっても、やはりおかしくてしかたがない。

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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