エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【434】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2024年11月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
源氏物語の作者について疑念を表明し続けた人がいた。
藤本泉(ふじもとせん)。『時をきざむ潮』で江戸川乱歩賞を一九七七年に受賞した作家だ。
源氏物語の作者は紫式部ではない。作者は女性ではない。一人の作者が書いたのではない、紫式部日記も紫式部が書いたものではないなどの説をとなえた。
『源氏物語99の謎』(徳間文庫)、『源氏物語の謎 千年の秘密をいま解明する』(祥伝社ノン・ブック)、『王朝才女の謎 紫式部複数説』(徳間文庫)などの一般向け著作を執筆。
のちにこれらをまとめて論点を整理し、私家版で『「源氏物語」多数作者の証 ストーリー内部に見える不連続性とその特質』を刊行している。
もっとも、源氏物語の作者について異説をとなえる伝承は、平安時代末期には既にあり、以来、源氏物語の注釈書などで紹介されてきた。
近現代の研究者や作家からも、「若菜」巻以降は紫式部の娘が書き継いだとか、少なくとも宇治十帖を書いたのは別人だとか、「匂宮」「紅梅」「竹河」の各巻も疑わしいなど、様々な説が提出されている。
藤本泉の著作は学術的な論文とは異なり、出版当時は書店で広く流通したと思われるが、源氏物語の専門家がそれを評したかどうか知らない。
型通りの反応で、先行研究を踏まえていないとか、誤認や不備があるなどと、みなされたのかもしれない。
それに、例えば「ノン・ブック」は、あの『ノストラダムスの大予言』シリーズを出版したような新書だから、彼女のケレン味たっぷりな著書をアカデミックな人たちが敬遠したとしても、まぁ、無理もない。
私も結論だけを言えば藤本説は採らない。
ともかく、江戸川乱歩賞を受賞したほどの作家なのだから、源氏物語を本当は誰がどんな目的でどのように創作し、いかにして「紫式部」が作者として伝えられることになったのかを真正面から描いた長編小説として発表すればよかったのに(SF仕立ての短編が一つあるのみ)。
NHK大河ドラマ『光る君へ』は、平安時代の史実を概ね基本にしながらも、実証し得ない多くの部分は必ずしも通説によらず、大胆な設定や劇的な展開など自在に創作することにより、新たな視点や独自の解釈を引き出したり、紫式部が源氏物語を書いた普遍的な意味を明示的に、そして印象的に浮かび上がらせたりした。
言わば『光る君へ』はフィクションによる紫式部論であり、その方法としてのフィクション論と言えるだろう。
そう言えば、紫式部は源氏物語「蛍」巻で、歴史書と対比して物語の特性、重要性を物語内の登場人物である光源氏に語らせていた。
ところで、紫式部を描いた小説には以下のものがある。
杉本苑子『散華 紫式部の生涯』(上下巻、中公文庫)、三枝和子『小説 紫式部 香子の恋』(福武文庫)、ライザ・ダルビー『紫式部物語』(上下巻、光文社)など。
また、田中阿里子『紫式部の娘 賢子』(徳間文庫)なんてのもある。
藤本泉の源氏物語関連本は私家版も含め先にあげたものはいずれも読んだが、小説は読んだことがない。でも、彼女がもし〈異説「源氏物語」物語〉を書いていたら読んでみたかった。
藤本泉は一九二三年生まれ。私家版を刊行した翌八九年、旅先のフランスから子息に手紙を送ったのを最後に今も消息不明だという。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)