エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【432】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2024年7月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
NHK大河ドラマ『光る君へ』について記した前回に続き、源氏物語関連の話題をもう一つ。
臨床心理家の河合隼雄が『紫マンダラ 源氏物語の構図』(二〇〇〇年、小学館。現在は岩波現代文庫『源氏物語と日本人 紫マンダラ』)という論考を世に問うたとき、「待ってました」とばかりに読んだ。
その前年、『源氏研究』という専門誌の座談会に彼がゲストで参加していた。その記事がとてもおもしろかったのと、そこで既に「紫マンダラ」というキーワードと構想について言及していて、河合隼雄と源氏物語といううれしい組み合わせに、早期の上梓を期待していたのだ。
私の理解では、概略は以下の通り。
世を憂う紫式部は自ら物語を創造し、その物語を生きた。登場する女性たちは彼女の分身。光源氏は、様々な女性像を引き出すために立ちまわる玉虫色で空疎な存在に過ぎない。
紫式部は光源氏を消し去った後の世界――宇治十帖で、それまでの男女関係を超越した個としての女性像を描くに至る。
登場人物の女性たちを母、妻、娘、娼という光源氏を中心とした関係によってマンダラに配置したり、光源氏の邸宅である六条院は四季を象徴する区画で構成されているが、それをマンダラとして見立てるなど、源氏物語の構図を重層的に示して絵解きする試み。
「源氏物語は光源氏ではなく、紫式部自身の物語」「登場人物の女性たちは彼女の分身」とひとことで言ってしまうと、別に目新しい観点ではないと思う人がいるかもしれないが、それは結論ではなく端緒。
源氏物語をある機会に精読していた際、興奮して夜も寝られなかったという河合隼雄が千年前の物語に垣間見た、日本社会を生きるためのビジョンとは?
それは、どうぞ本書をお読みください。
ところで、彼が文化庁長官在任中の二〇〇四年、行政長官としての仕事について取材をする機会があった。文化庁京都移転の準備段階のさらに前段として、就任時に京都国立博物館内に長官室分室が設けられていた。
そこで一時間ほどお話を伺ったなかで、最も印象に残っているのは、河合隼雄さんが相槌を打たれていた様子だ。
私が質問の意図や背景を前振りしている時、あるいは彼の答えに私が応じて展開している時、幾分食い気味で「そう、そう、そう」と、終始とても楽しそうな表情でうなづかれていた。
インタビューしているのは私なのに、まるで河合隼雄さんに私の話を聴いていただいているかのように感じた。
河合隼雄は、紫式部の言葉に深く耳を傾け、彼女の、ひいては日本社会における女性の、そして日本人の、心のありようを分析した。
それは、今を生きる私たちが自身をケアする参考になるだろう。
日経平均株価はようやく三十数年前の水準までに回復した。しかし、生きづらさを嘆く声は増すばかりだ。
紫式部の憂いは、千年の時を経てどれほど晴れたと言えるのだろうか。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)