エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【320】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【320】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2014年12月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

百万遍知恩寺で開かれた秋の青空古本市で『新語新知識』を買った。
大日本雄弁会講談社が発行していた雑誌「キング」の付録で、昭和九年の発行。
売値は二百円也。

古い辞書や新語辞典・事典が好きで、安価なら購入している。
今では聞くことも、見ることもない言葉や事物、風俗を知ることができるから。
現在の著者が「レトロな言葉」をピックアップし、おもしろおかしく紹介する雑学本ではなく、同時代の読者を対象にした当時の辞書・事典類の一項目として、日常的な言葉の中にそれを見つけるのが楽しいのだ。

手に入れた『新語新知識』は、雑誌の付録とはいえ、五百ページ以上あり、単体でも販売できそうな立派なもの。
当時は文部大臣だった鳩山一郎が序文を寄せている。
詳細な解説の問答形式の部と、通常の辞典部からなり、一ページ目から興味深い記述が並ぶ。

辞典の部の一番最初の項目は「適齢」。
「それに適当する年齢をいう」とあり、「従来は兵役とか学業についてのみ言われていた」が、「近頃は『結婚適齢期』等他のことにも使われる。蓋(けだ)し、ユーモラスな表現」なのだという。
つまり「結婚適齢期」というのは昭和九年前後に使われるようになった語で、当時はユーモラスな表現として認識されていたことがわかる。

二番目の項目は「寄生聴」。
「寄生虫をもじった語で、他家のラジオを無料で聴くこと」。
当時の流行語だったようで、現代ではイヤホンを耳に老若男女が街を闊歩(かっぽ)しているが、誰もがラジオを買えるわけではなかった時代の庶民生活が思い浮かぶ。
テレビの登場や、そのカラー化初期の頃も見られた光景だ。

次は「羅漢様」。
「働かない人」のことで、「働かん」の「『はた』を取ったもの」。
「野崎観音十六羅漢、うちの親父は働かん」とは、江戸時代から唄われていたようだが、昭和九年と言えば世界恐慌の影響冷めやらぬ時期で失業者もまだ多かったのだろう。
「働かん」のではなく「働けん」人が多かったに違いない。
最近、働く意欲があるのに職に就けない若者を「ニート」と区別して「レイブル」という新語(「遅咲き」の意の英語を短縮した造語)で呼ぼうという動きがあるのは周知の通り。
新語は世につれ……。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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