バレエ振付師モーリス・ベシャールさんを悼んで〈上〉|MK新聞連載記事

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バレエ振付師モーリス・ベシャールさんを悼んで〈上〉|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
バレエ振付師モーリス・ベシャールさんを悼んでの記事です。
MK新聞2008年1月16日号の掲載記事です。

去る2007年11月22日、フランスのバレエの振付家、モーリス・ベジャールさんが80歳で逝去されました。
ご冥福を祈るとともに、2000年に本項に掲載された記事を再録いたします。

バレエ振付師モーリス・ベシャールさんを悼んで

2007年の第十五回京都賞の精神科学・表現芸術部門受賞者はバレエの振付家、モーリス・ベジャールさんだった。
舞踊部門に京都賞が与えられたのはこれが初めてである。
授賞式のちょうど一ヵ月後の12月10日には滋賀県の琵琶湖ホールで、ベジャールさんが振り付けた『ザ・カブキ』(音楽・黛敏郎)が東京バレエ団によって上演された。
これは歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』がもとになっており、1986年の初演以来百回を超え、パリ、ミラノ、ウィーンなどの大歌劇場でも人気を博した。

ベジャールさんは1927年(日本で言えば昭和2年)、フランスの港町マルセイユで生まれた。
路面電車が走り、地中海が見えた。1938年に第二次世界大戦が始まり、工場主で哲学者でもあった父はレジスタンス運動に参加し、ナチスに踏み込まれた時にはすぐ逃げ出せるようにしていた。
ベジャールさんは14歳でバレエのレッスンを始め、1954年、27歳の時、パリでバレエ団を設立し、翌年、『孤独な男のためのシンフォニー』で振付家としてデビューした。
これは観客がゼロの日もあったが、「振付家としての自分はこの時に生まれた。この作品で舞踊が今世紀の芸術であることを確信した」と語っている。
1959年、ストラヴィンスキー作曲『春の祭典』の革新的な振り付けが反響を呼び、翌年、二十世紀バレエ団(ベルギーのブリュッセル)設立となる。
現在は「ベジャール・バレエ・ローザンヌ」(スイス)の美術監督で、今年の六月にベルサイユ宮殿で公演する『太陽と庭と王様』の準備に追われている。

京都賞の授賞式では「舞踊を受賞対象として認めてくれたことがうれしい。言語を越えて、万人が理解できる普遍的な言語としての舞踊は翻訳者を必要としない。身体言語は人間の本質そのものに触れ、コミュニケーション、友愛、平和の理想的手段であり、諸民族間の和睦の使者であり、より良い未来に貢献する」と述べた。
と書いて来ても、この人についてはほとんど何も語っていないという事実に筆者である私は当惑している。
まず、この人は大変な多作である。『モーリス・ベジャール自伝 他者の人生のなかでの一瞬…』(前田允訳。1982年、劇書房)によると、その数二百五十、年に五、六作になる。
この自伝は「私は振付師である。他のことは何もできないからだ」で始まり、そのすぐ後でこう叫ぶ。
「芸術家は、まさに娼婦なのだ!芸術家が喜びを感じ、楽しむならそれに越したことはない。だが、それはなくてもいいものだ。また、当然受けるべきものでもない。(略)お客を喜ばせなければならないのだ」(8ページ)。
彼は子どもの頃、人形遊びが好きだった。
家の中の破れたシーツ、使われていないカーテン、底のはがれた靴、つまり屑を集めて、人形に着物を着せた。
夕食後、父と叔父がマンドリンの演奏を始めると、人形たちに聞こえるように自分の部屋のドアを少し開けた。

この感情移入は振付家として彼にそのまま流れ込んでいる。
たとえば、ニジンスキーというロシア生まれの天才ダンサーの伝記の振付けを考えたときは、レコードでロシア語を学び、ロシア煙草を吸い、家中に彼の写真を貼りつけ、その妻、娘、孫に会い、彼の日記を暗記した。
「私は出来るかぎり、登場人物と一体化せねばならないのだ」(85ページ)

フランスの舞踊専門の作家・ジャーナリスト、ジャン=ピエール・パストリのインタビューに答えてこう言っている。
「本当に愛されるには、本当のものでなければならない。最初から観客に好かれようと望むより、最初のうちは好かれないのを覚悟して、心から本当のものを伝えて全部放り投げてしまう方がいい」(『ベジャール 再生への変貌』竜見知音訳、東京音楽社、1990年)
創作に当たっては作品に熱狂的に取り組む。しかし、稽古を始めて十日もすると、「これは最新のものではない」ことに気づく。
一つのバレエがほぼ完成すると、最悪でも絶対すぐに次作の稽古に入る。
それも、先のバレエの総稽古の日かその前に始める必要がある。
そして、家に帰って二、三年先の作品に使いたいと思う音楽を聴くことで、苦悩が癒される。
この状態をベジャールさんは「過去には興味がない。未来の計画を伴侶として生きている」と表現する。

これはほとんど“狂”の世界である。
しかし、これは京都賞を贈る稲盛財団を設立した稲盛和夫さん(昭和7年生まれ)にも共通したもののように思える。
私が二十年前の1979年に出版した『ある少年の夢 京セラの奇蹟』(NGS刊)のため取材を始めた時、「過去は白紙です」と言い切ったのが稲盛さんであり、少なくとも創業後二十年の歴史は稲盛さんと、創業の仲間、社員の“狂”の歴史でもあった。
偶然だが、ベジャールさんの最初のバレエ団の設立も、稲盛さんの京セラ設立もともに27歳の時だった。
ところで、『ザ・カブキ』は四十七人の切腹のシーンで幕を閉じる。
死で終わるのだが、そこには、熱狂的な余韻、と呼びたいような何かがある。それは何に由来するのだろうか。

(2000年1月25日付520号MK新聞「風の行方〈№7〉」より再録。写真・記録等は当時のものです)

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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