ターリバーン再支配下のアフガニスタンへ㊦|MK新聞2023年掲載記事

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ターリバーン再支配下のアフガニスタンへ㊦|MK新聞2023年掲載記事

MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。
今回はRAWAと連帯する会の桐生 佳子さんの記事をご紹介します。

MK新聞2023年10月1日号掲載分です。

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ターリバーン再支配下のアフガニスタンへ㊦

(前号より続き)

NGOの訪問

カーブルではいくつかのNGOを訪問した。どこもこれまでにも交流のある団体である。女性や子どもたちのために学習の機会を作っている。貧しい人たちのために食糧支援もしている。地震や洪水などの緊急時にも医療スタッフを派遣し、緊急食糧支援をしている。また、シェルターを運営し、問題解決のために弁護士も含めて活動をしている団体もある。どの団体も長年活動を続けているが、今が一番大変な時期だと言う。ターリバーンが再支配している今、常に危険と隣り合わせて活動を続けている。あるNGOのスタッフが、「一番恐れているのはターリバーンがやってきて、この取り組みを今すぐ中止しろと言うことです」と言った。この教室では多くの女性や子どもたちが学んでいる。裁縫教室やパソコン教室もある。この教室の運営を安全にしていくために隣、近所の人たちには1軒1軒話をし、理解と協力を得てやってきているという。今では、ランチやディナーに呼ばれるほどの仲になっているという。

緊急食糧支援の例

 

当たり前のことだが、人口のおよそ半分は女性である。その女性だけが小学校以上の教育を止められているのが今のアフガニスタンである。これが長引けば、一体アフガン社会はどうなるのだろう? 今は少しばかりの女性の就業は認められているようだがごく一部でしかない。私が滞在中に見たのは、ウエスタンユニオンという銀行の窓口で1人の女性が働いていたのと、ホテルでも私たちの目につかないところで女性たちが働いているように見えた。また公衆衛生省では中庭でくつろぐ女性職員のような人たちもいた。あとは小学校の先生と若干の医療機関である。小学校の知識しかない女性たちはこの先どのような人生を送ることになるのか。また、社会構造として女性の力を当てにできない社会など、成り立つのだろうか? 個人的に私が知っているアフガン女性たちは日本に在住する人たちも含め、たいへん有能で高学歴でもある。この人たちの能力が生かされないなんて到底許しがたいと思う。

NGOの裁縫教室

病院見学

今回、緊急病院とインディラガンジー子ども病院を見学した。どちらも2回目である。緊急病院はイタリアが支援している大きな病院で設備が充実している。はじめは戦争被害者のための病院だったが今はそれ以外の患者が多いという。子どもたちも多数入院していて、屋外で暖かい太陽の日にあたりながらランチを食べているのが新鮮だった。小さな子にはスタッフが付き添い食べさせていた。地雷でけがをした少女がずいぶん回復し、診察を受けに来ていたが笑顔でスタッフと話をしていた。

インディラガンジー子ども病院は事前に公衆衛生省に許可をもらいに行かなければならない。行くときちんと対応してくれる。部屋の壁にはターリバーンの勝利宣言のポスターが張られている。病院に着くと公衆衛生省から1人と病院の事務長のような人が来てくれて早速全館を案内してくれる。この病院にはアフガン中から重篤の子どもたちが集まってくる。と言っても来られる場合だけだが。このところ著しいのは、食料不足で母親の栄養が足りなくて、生まれてくる赤ちゃんに未熟児が多いということである。手足が細く、見ていられない。1つのベッドに3人ぐらいが寝かされている。白血病の子どもの治療薬が1日当たり2ドルだが、資金がないのでそれが買えないと嘆いていた。たった2ドルである。愕然とした。今回私たちが寄付したお金は入院患者の親が夜に寝る部屋があまりにも清潔とは言い難いところなのでその改修に使いたいと言っていた。確かに見学の途中に見たが、何とかせねばと思う状態だった。

緊急病院

PCR検査

実は私はコロナワクチンを1度も打っていない。今回の旅のために大阪でPCR検査を受けた。もちろん陰性。帰国時にVISIT JAPANとかいう制度ができたために日本入国時にも証明が必要という。とんでもない話である。ワクチンを接種していてもコロナにかかった人はいるという話はよく聞く。ではなぜ、全員検査をしないのか? ワクチン証明は何ヵ月も前のものでも有効なのである。しかしいくら文句を言っても制度がある限りPCR検査を受けなければならない。というわけで渡航前から何度も現地の知り合いに検査が可能かどうか、すぐに英文で証明書が発行されるかどうか尋ねておいた。帰国前日にカーブルで連れて行ったもらった検査クリニックは大きくはないけれど清潔なところだった。若い男性が手早く検査をしてくれて、結果は明日取りに来るようにと言う。翌日、ドライバーさんが気を利かせて先にとりに行ってくれていた。やはり陰性。やれやれ。ドバイで飛行機に乗るときにこの証明が必要だったので取った甲斐があった。関空ではこのためにすごいラッシュで行列ができていた。係の人はほとんど何も見ていない! こんなことのために検査をさせたのかと腹立たしい。しかも帰国後しばらくして、この制度は終わったそうな。今もコロナは増加傾向と政府が言っているのに。

ターリバーンのポスター

今回のアフガン訪問で、アフガニスタンのことがすべてわかったわけでは決してない。ほんのごく一部を見てきたのに過ぎない。町は一見平穏である。ターリバーンの検問所が至る所にあり、銃を持ったターリバーン兵士が睨みを利かせている。一般的な犯罪は減ったという。しかし、だれがターリバーンに通じているかわからないので、誰をも信用できないという。そして、何の前触れもなく家宅捜索がなされる。数人のターリバーンが突然家に押し入り、持ち物を徹底的に調べる。怪しいものを見つければ拘束され、帰ってこない人もいるという。人々は内心びくびくしているのではないかと思う。少しでもトラブルにならないように女性たちも「アバヤ」をまとうのだろう。けれどもそのようなターリバーンの再支配下で、女性の権利と自由を守るために闘う人たちがいる。時には危険を承知で集会やデモもする。人々は決してターリバーンの統治を認めているわけではない。

私たちにできることは何だろうか? 世界を駆け巡るような大きな事件が起こらなくてもアフガニスタンのことを忘れず見守ってほしいと思います。そして、アフガニスタンで女性や子どもたちのために活動を続けるRAWAに支援をしてほしいと思います。どうぞよろしくお願いします。

■RAWA

Revolutionary Association of the Women of Afghanistan (アフガニスタン女性革命協会)は、アフガニスタンにソ連が侵攻する少し前の1977年、アフガニスタンの首都カーブルでミーナーという女性により設立された。73年のクーデターで王政から共和制となったものの基盤は弱く、78年の4月革命で急進的な親ソ連政権が樹立し、いきなり識字教育の徹底化(違反者の処罰)・イスラームによる土地所有権を無視した土地改革など、当時のアフガン社会では極端と思われる政策がとられ、社会は混乱した。その中でミーナー「社会の変革なくして女性の解放はない」と命懸けで女性たちのために活動をつづけた。10年後、親ソ連政権の諜報部員らによりミーナーは暗殺されたもののRAWAは、諸外国の支配からの解放、自由、民主主義、社会正義、そして女性の権利の獲得をめさして活動をつづけている。

■RAWAと連帯する会

2001年のアメリカを中心とする連合軍によるアフガニスタン侵攻の後、日本では、アフガニスタン全土への攻撃に対し、ブッシュ大統領の責任を問う「アフガニスタン民衆法廷」が開かれた。04年には、アフガニスタンとのかかわりを継続するために「RAWAと連帯する会」が立ち上げられ、さまざまな活動に取り組んでいる。とりわけRAWAによる教育活動への支援に力を入れている。

■「RAWAへのカンパのお願い」

アフガニスタンの女性や子どもたちの活動を支援するということは、毎年きちんとお金を送ることなのです。彼女たちは世界からの支援が減っている中で、またターリバーンの再支配のもとで、貧しい人たちに食糧・教育・医療を提供するために頑張っています。どうぞよろしくお願いします。

RAWAと連帯する会はお寄せいただいた会費(年会費2000円)やカンパは全額アフガニスタンに届けています。諸経費は物販の収益等で賄っています。(アフガニスタンへの渡航費用もすべて個人負担です)

<振込先>

口座名:RAWAと連帯する会

郵便振替口座番号:00930・1・76874

<連絡先>

Email:rawa-jp@hotmail.co.jp

☎090・3656・7409(桐生)

 

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MK新聞について

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「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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