飢餓の国vs飽食の国―飢餓のない国の精神の飢餓 中村哲|MK新聞2019年掲載記事

よみもの
飢餓の国vs飽食の国―飢餓のない国の精神の飢餓 中村哲|MK新聞2019年掲載記事

MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。

MK新聞2019年6月1日号の掲載記事の再録です。
原則として、掲載時点の情報です。

この記事はペシャワール会本部(博多市)と中村哲医師の了解を得て、転載するものです。(MK新聞編集部)

 

 

飢餓の国vs飽食の国―飢餓のない国の精神の飢餓 中村哲

中村哲さん
中村哲さん

共通の体験が薄れて

最近、「水や川の話ばかりで、ほかに話題はないのか」との声が身の周りであった。
さもあろう、浦島太郎なのだ。日本に居ない時間が多く、共通の話題が少なくなっている。
現地でも水や川のこと以外は余り考えない。干ばつの危機、治安の悪化―現地の緊迫した動きは戦場にも等しく、ついゆとりがなくなる。
だが、日本の世情を思えば無理もない。
水道の蛇口をひねれば水が出て来るし、コンビニに行けば懐具合に応じて好きな食べ物が手に入る。
テレビの番組は四六時中、美食の作り方や、評判の店や料理を紹介する。味見をして「うーん、おいしい!」と叫ぶ場面が頻繁に登場する。
悪いことではないが、飢餓の世界から突然戻ってくる者は、違和感を覚える。
しかし、それを日本で言うと座がしらけるから、調子を合わせて仲間外れになるまいとする。
すると芝居じみた会話が空疎になり、自分の言葉が失われていくのだ。

これに情報の洪水が重なり、ペットの死も人間さまの餓死も同列に聞こえる。
何とか理解を得ようと説明を試みて、よく通じないことも多い。
極端な場合、「日本でも栄養失調の子が問題になっているのに、アフガニスタンどころか」と言う者もある。
干ばつと飢餓の関係が分からない者もある。
つい怒り心頭、日本の豊かさや便利さを呪う発言が飛び出し、孤立していく。性格が悪ければ犯罪者かテロリストのコースだ。これも良くない。
自分だって江戸時代の飢饉の惨状を読んでも、芯から分かっているとは思えない。

かつては飢餓を体験した世代が社会の中堅に居た。
今ならおよそ80代から上の方々で、男は兵隊に取られ、女は勤労奉仕に駆り出された。
戦中戦後は食料欠乏に悩み、財産を食糧に換え、農村にあっては汗して食糧増産に励みながら、生き延びてきた世代だ。
彼らが社会の中堅であった時代、飢餓の問題は多くを語ることなく同情と支援の手が差し伸べられた。
空腹を抱えることの苦痛を身に染みて知っているからである。
「敗戦直後のことを思えば……」と言いさえずればよかった。
途上国の飢餓の実態が今ひとつ伝わり難いのは、時代が共有した体験が薄れていることも確かにある。

都市化による自然認識のつまずき

しかし、それだけなら問題は永久に解決されない。
共感しにくくなったもう一つの背景は、全世界的な都市化である。農業生産に直接かかわる機会がなく、食べ物の生産から口に入るまでの過程―生産し、集荷し、食する、そのパターンが実感し難くなってきている。
正確に言うと、それを観念の上で処理して特別視しないのだ。
これを脳科学者の養老孟司さんは「脳化」と呼び、人間の思考の必然の帰結だが、自然認識のつまずきの開始と見る。
自然相手の仕事は思い通りにならないが、観念は容易に操作できる。出来ないことでも出来ると思い込みやすい。
水泳の本を読めば泳ぎができる、情報を集めれば全世界が分かる、差別語を言い換えれば差別がなくなる、危機管理マニュアルを作成すれば事故を減らせる―この倒錯はキリがない。
市場で実物取引がわずかになったように、現代は言葉の洪水の時代で、実が失われていく時代だ。
自分の経験で確認しない知識は偽モノになりやすいということだ。

かつて日本人の大半が農村にルーツを持っていた。
職を辞して「邦に帰る」とは、援農で暮らしを立てることであって、無職になることではなかった。
行き詰ったとき、いつでも温かく迎えるのが故郷であった。
既婚女性の場合は穏やかではないが、「里に帰る」とは、ひとり身になることではなく、婚姻前の家族に戻ることであった。
故郷に戻りさえすれば最低限の食べ物には困らず、変わらぬ人間関係が温かく迎え、貧乏でも飢え死にしないという安心感があった。
アフガニスタンではないが、生きていく上でカネが余りかからなかったのである。
現在のような都市化は農村の衰退と表裏にあり、日本人のふるさと喪失と一体である。

しかし、サービス業だけで社会は成り立たないから、誰かが農業や漁業を営まなければならない。
労働力が足りなくはないが、知識を崇拝する都市化社会では身体を使う仕事が低く見られる。高学歴の者の仕事ではないような言い方をする向きもある。
3K(汚い、きつい、危険)と言い、できるだけ手を汚さず、安全な仕事が良しとされる風潮も根強い。
つまり農漁業は敬遠され、その分を外国人に頼ることになる。健全な社会とは思えないが、世の中の流れはそうなっている。
さらに、交通手段が発達し、お金や物の移動が速やかになった現在、「必要なら外国から買えばいい」という意見が一般的だ。第一、「経済成長」が現金収入の多寡で量られ、それを増やすのが善だと指導されるから、抗いようがない。
農民を支配した昔の武士や貴族でさえ、こんな考えは持たなかった。
豊作の祈願は重要な神事であり、武士の大半は農業をも生業とした。
亡国などと大袈裟なことを言いたくないが、ご先祖さまが営々と築いてきた遺産をないがしろにするのは、大切なものを失うようで、何だか合点が行かない。

かつて「晴耕雨読」とは知識人の理想の生活だった。
耕すとは、自然相手の農の営みで、知識に実を伴わせる知恵があったと思われる。
人が自然の一部である限り、不自然な都市化は長続きしない。やがて人々がスピードや競争、派手な自己宣伝や奇抜さに疲れ、その空虚さに気づくとき、静かな郷愁を伴って本来の自然との関係が姿を現すような気がしてならない。
—————————

ペシャワール会大阪 加藤勝美

この記事はペシャワール会本部(博多市)と中村医師の了解を得て、転載するものです。
副題を見て、とっさに今から50年余り前のことを思い出しました。
1963年の秋、大学生だった加藤は大学祭のテーマとして「豊饒の中の飢渇」を考えました。
当時の高度成長時代を謳歌する風潮に対する「われわれは精神的に飢えている」というメッセージでした。
しかし、「豊饒」も「飢渇」も耳に馴染みにくい言葉であり、別の表現(戦後日本は実在したか)に変えましたが、その時から半世紀余りたった今も日本社会の在り方は根本的なところで変わっていないのかもしれません。
その頃は携帯やパソコンもなく、瞬時につながる電子的なネットワークも存在せず、その分、便利になった今ですか、情報を求めているように見えて、実は慌ただしく情報に追いかけられているような気がします。

中村哲医師・ペシャワール会の関連記事

MK新聞について

MK新聞とは

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

www.mk-group.co.jp

フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、35年間にわたってMK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

この記事が気に入ったらSNSでシェアしよう!

関連記事

まだ知らない京都に出会う、
特別な旅行体験をラインナップ

MKタクシーでは様々な京都旅コンテンツを
ご用意しています。