ペシャワール会がアフガン難民へ食糧配布|MK新聞2001年掲載記事

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ペシャワール会がアフガン難民へ食糧配布|MK新聞2001年掲載記事

MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。

MK新聞2001年11月16日号の掲載記事の再録です。
原則として、掲載時点の情報です。

 

 

ペシャワール会がアフガン難民へ食糧配布

9月11日以後、ペシャワールという地名がマスコミにたびたび登場するようになった。
これまでこの欄では三度、中村哲医師とペシャワール会について触れたが、今回は、アメリカのアフガニスタン空爆によって大量に発生しているアフガン難民への食糧支給活動を始めたこと、そのため1億円を目標に日本国内で基金募集を始めたことを紹介する。

テロの二日後、9月13日、中村医師(55)は日本への帰国予定を変えて、井戸掘り活動を行っていたアフガニスタンのジャララバードに再度入った。
「邦人退去勧告」がパキスタンの日本大使館から出されたため、日本人抜きの現地活動継続を図るためだった。
この三日前まで中村哲さんはカブールにいた。巨大な難民キャンプと化していたカブール市内の五つの診療所を強化するとともに、新しく五カ所を増設し、さらにアフガン東部一帯の水源確保作業地を660募ヶ所から千ヶ所に拡大して旱魃対策を進めるためだった。
水源確保事業の事務所はジャララバードにあったが、空爆を前にしたこの町は意外に平静で、いつもの生活が営まれていた。
それは事情を知らないからではなかった。
イギリスのBBCのパシュトー語放送はアメリカの様子を伝え、事務所の現地人職員74人は日本人よりも正確に事態を判断していた。
三年前もアメリカの巡航ミサイル攻撃が行われ、今度の空爆がそれを上回る規模であることも知っていた。

今年二月、筆者がペシャワールを訪問して中村哲さんに会った時、こんなエピソードを聞いた。
NHKテレビが中村哲さんたちの活動を取材した時、中村哲さんが貧しい家の子どもを訪問する場面を撮りたいと要望したが、中村哲さんは即座に「私はドクターであってアクター(役者)ではない」と断った。
PMS(ペシャワール・メディカル・サービス)はたしかに貧しい人達を対象にして医療活動を行っているが、家まで訪ねていくことはしていない。
要望は確かにマスコミ好みの「美談」にはなるだろう。しかし、中村哲さんはそういう「やらせ」は嫌いで、マスコミに乗っかって自己宣伝あるいはPMSの活動を宣伝することはしなかった。
それは筆者のようなペシャワール会員からすれば歯がゆいほどの抑制だった。
一方、昨年からペシャワール会は懸命にアフガンの旱魃についてマスコミに働きかけたが、ほとんど相手にされなかった。
筆者はペシャワールで中村哲さんから、この二月までの井戸掘り活動についてまとめた原稿を預かったので、帰国してから大阪の二つの新聞社に、記事にできないかと働きかけたが、だめだった。
しかし、テロ事件以後、中村哲さんがマスコミに登場する機会が格段に多くなった。
これはPMSとペシャワール会が17年間も、パキスタンとアフガニスタンにまたがって、活動を続けてきたことがようやく認知されてきたことと、他方で、中村哲さんがアフガン難民の飢餓線上の人達に直接食糧を手渡したいという強い意思のもとに募金活動を始めたことが、マスコミに積極的に登場する理由になっていると思われる。

井戸の完成を喜ぶ子供たち(2001年1月。中央が蓮岡修さん)ペシャワール会提供
井戸の完成を喜ぶ子供たち(2001年1月。中央が蓮岡修さん)ペシャワール会提供

井戸掘りの現地指揮官、蓮岡修さん(28)もテレビやラジオに登場するようになったが、テロ事件以後、アフガニスタンのICRC(赤十字国際委員会)宿舎で開かれたパーティに招かれた時の体験は、欧米人とペシャワール会の現地人とのかかわり方の落差(というより次元の違い)を如実に示している。
その宿舎では二十人ほどがワインやビールを飲みながらおしゃべりをしていて、皆に可愛がられているマックスという犬が足元にいた。
そのうち、マックスが蓮岡さんに近づき、くんくんさせたと思うと、牙を向いて猛烈に吠え始めた。いくら叱っても吠えるのを止めず、外に出された。
スタッフは蓮岡さんに謝りながら「小さい時にアフガン人に苛められた記憶が残っているらしく、アフガン人スタッフには吠えたり噛みつく。君はアフガン人と抱き合ったり肩を組んだりしたろう。その匂いでアフガン人と勘違いしたんだろう」と言った。
しかし、蓮岡さんに言わせると、アフガニスタンでは男同士が抱擁するのは当然の礼儀であって、現場に出ると多い時で日に百人くらいとは肩を組んで抱き合う。
また、そうでなければ彼らとの会話もありえない。
「ここにいる小綺麗な身なりの人達はどうやって仕事をしているんだ?」と蓮岡さんは疑問にとらえられ、飲みかげのビールを置いてその場を去った。
(2001年10月27日の毎日新聞は、アメリカのアフガニスタンヘの食糧投下について、「爆弾を落とす人間から食糧をもらう人はいない」という蓮岡さんの談話をのせている。)
井戸掘りも中村哲さん、蓮岡さんが先頭に立って現地人と一緒に仕事をするが、欧米NGOは金だけ出して地元の業者任せにすることもある(中村哲『医者井戸を掘る』石風社、2001年10月新刊)。

2,000円で10人家族1ヶ月分

中村哲さんはテロ事件後、一度現地を去るに当たって「私達は帰ってきます、PMSが諸君を見捨てることはありません」と述べた時、長老らしい人が立ち上がり、「私達はあなたたち日本人と日本を永久に忘れません」と感謝の言葉を述べた。
今度の募金は10万名(1万家族)への食糧配布を直接行うため、1家族(10人)1ヶ月分の小麦粉・食用油の代金、日本円2千円として計算している。

アフガンいのちの基金

郵便振替口座 0179017-6559
口座名義 ペシャワール会「アフガンいのちの基金」と明記。
ペシャワール会事務局 福岡市中央区大名-1-10-25 上村第二ビル
tel 092(731)2372
fax O92(731)2373

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MK新聞について

MK新聞とは

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

www.mk-group.co.jp

フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、35年間にわたってMK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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