中村哲・旱魃のアフガニスタンに井戸を!!|MK新聞2000年掲載記事

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中村哲・旱魃のアフガニスタンに井戸を!!|MK新聞2000年掲載記事

MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。

MK新聞2000年10月1日号の掲載記事の再録です。
原則として、掲載時点の情報です。

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旱魃のアフガニスタンに井戸を!!

背中に荷を積んだラクダの行列がゆっくりと進んでいく。この誰もが知っている風景がアフガニスタンから消えようとしている。
ラクダがほとんど死んでしまい、遊牧民が全滅するかもしれない。
今年2000年に、アフガニスタンを直撃した大旱越のため人の飲み水もままならない。
現地に井戸を!
この7月から8月にかけて、京都市内2ヶ所をはじめ、九州、大阪など計8ヶ所で開いた講演会で、中村哲さんは現地に井戸を掘るための緊急支援を訴えた。

今年夏、アフガニスタン東部を襲った旱魃は今世紀最悪と言われている。
アフガニスタンとパキスタン北部の水源はヒンズークシ山脈の氷雪なのだが、地球温暖化の影響によって冬の積雪が異常に少なかったために、夏に水量が増えず、水田は例年の2,3割以下となり、長老も「こんな旱魃は経験したことがない」と語っているという。
中村哲さん(1946年、福岡生まれ)は九州大学医学部を卒業後、1984年にパキスタンのペシャワール・ミッション病院に赴任し、現地のハンセン病コントロール計画に携わったが、医療活動を行うためアフガン難民のための「日本アフガン医療サービス」を設立、1998年には「ペシャワール会医療サービス」病院を建設し、現在、2病院、5診療所がある。
職員は総勢152人(医師18)、日本人は中村哲さんを含めて5人。
アフガニスタン、パキスタン両国にまたがる“国境を越えた”医療活動を行い、昨年度は約15.5万人を治療している。
ペシャワール会(本部・福岡)は中村哲さんたちの活動を支援するために作られたボランティアの集団で、会員数約3,500人、運営はすべてボランティアの手で行われている。

ペシャワール会の収入は1999年度で1億円余り、その半分以上が会費・寄付で占められ、ほかに国際ボランティア貯金から2,800万円弱などがある。
支出は現地活動費7,000万円、広報費・事務局費600万円弱となっていて、収入の9割ちかくが現地での医療活動に当てられている。
このことが中村さんはじめペシャワール会の秘かな誇りである。
「手前味噌ですが、世界に誇るべき団体です」(中村哲さん)。
というのも、”国際官僚組織”では支出の9割が職員の給料に当てられ、その残りが現地での雇用と医薬品に当てられているにすぎないからだ。

「井戸が必要」と訴える中村哲さん

「井戸が必要」と訴える中村哲さん

さて、旱魃の被害だが、中村哲さんたち医療者にとっては住民の飲料水の欠乏が大問題となる。
井戸の底のわずかな泥水を飲むため、赤痢が大流行し、とくに子供たちが脱水症と栄養失調になり、診療所まで半日かけて歩いてきても、待ち時間のあいだに母親の手のなかで息絶えてしまう。
WHO(世界保健機関)地区委員会の地元責任者は「これにコレラが直撃すれば身が凍る」という危機感を表明しているものの、関連する国際団体のオフィスは書類整理に追われて現実的な対応が出来ないらしい。
2000年8月4日の読売新聞はアフガニスタンの旱魃について、「世界食糧計画(WPF)の7月報告によると、国民の15~20%にあたる300万~400万人が飢餓寸前の”もっとも危険な状態”にある」と伝えている。
中村哲さんたちの活動基本方針は、「皆が行くところへは行かなくてもいい。必要があるのに誰も行かない、行きたがらないところへ行く」というもので、この旱魃に際しては
「誰もやらねばわれわれがやる。必要なのはお喋りではなく、実弾だ」
と、現地の診療所近辺の村々で医師も参加して井戸を掘りはじめた。
20家族に一つの井戸が必要で、11月までに、「財政が許せば2,000本、少なくとも4,500本を掘りたいという。
「点と線ではなく面をカバーしたい」(中村哲さん)。
費用は既存のものを再利用する場合2~3万円、新たに手掘りをする場合6万円、ボーリングでは40万円、とりあえず2,500万円の募金を考えている。
「先生、お金大丈夫ですか?」と、よく聞かれるが、「ともかく始める、お金はどこからかついてくる」と答えることにしている。
アフガニスタンのタリバン軍事政権と西側諸国との仲が悪いうえに、内乱で明け暮れる政府に旱魃対策を行う余裕はない。
日本はアフガニスタンとは外交ルートがないうえ、欧米諸国が動かなければ、自分から動こうとしないという、主体性がないのが現状だ。
こう見てくると、「誰もやらねばわれわれがやる。必要なのはお喋りではなく、実弾だ」という中村さんの言葉が緊急の重みを持つことが実感
される。

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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