ペシャワール会・中村哲さんを偲んで(上)|MK新聞2020年掲載記事

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ペシャワール会・中村哲さんを偲んで(上)|MK新聞2020年掲載記事

MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。

2019年12月4日、アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた「ペシャワール会」代表で医師の中村哲さんが、現地で銃撃されて亡くなりました。
享年73歳。追悼のため、中村さんの歩みを記した「MK新聞1999年11月16日号」の記事を再掲載します。なお、記事中の年齢や日付、肩書き等は掲載時のものです。(MK新聞編集部)

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ペシャワール会・中村哲さんを偲んで(上)日本発の国境なき医師活動

「面従腹背という言葉は彼らのためにあるのではないか。にこやかな挨拶は目の前を過ぎれば罵倒に代わる。忠実さはしばしば敵意がないことの表明であり、敵と思えばその不幸を喜び、利害得失の前には簡単に心をひるがえし、悪いことも良いことも、弱さも強さも単純で分かりやすく、天真爛漫、性悪でかつ貴族的な高貴さを秘めている。物見高く自由で気儘、衝動的で粗野、割拠対立と滑稽なほどに高い自尊心」
これは半分がアフガニスタン側に、半分がパキスタンの北西辺境州に住む1,500万人のパシュトゥン部族について中村哲さんが述べていることだ。
普通の日本人なら、とても付き合いきれないと思うはずだが、しかし、中村哲さんはそこで医療活動を始めてすでに15年になる。
ソ連の崩壊後、民族紛争が激発するなかで、今年1999年のノーベル平和賞はフランスに本部を置く「国境なき医師団」に贈られることになったが、中村哲さんの活動はアフガニスタン、パキスタンの国境をまたがって続けられてきた。
アフガニスタンは、今年日本人技師たちが人質として拉致されたウズベキスタンの南東部で国境を接している。

中村哲さんが初めてパキスタンを訪れたのは1978年、カラコルムのヒンドゥクッシュ山脈の最高峰で、アフガニスタンとパキスタンを隔てるティリチ・ミール遠征隊に参加した時で、カラコルムの自然と蝶に誘われてのことだった。
途中、病人を診ながらキャラバンを続けたが、トラコーマで失明寸前の老人や病人に「待ってください」と追いすがられながらも見捨てざるをえないという体験が、後ろめたさを残した。

そして1982年、クリスチャンである中村哲さんは日本キリスト教海外医療協会から派遣されてパキスタンのペシャワール・ミッション病院の下見に来た時、初めてらい患者に接し、1984年には北西辺境州政府のらいコントロール計画に民間人として協力するため、この病院に赴任した。
ここのらい病棟の治療器具は故障したオーブン式消毒器、切れない包帯裁断用はさみ、使い古しの使い捨て注射器五本、壊れた聴診器一本など惨憺たるものだった。
中村哲さんは消毒と清潔(無菌状態)の観念を植えつけることから手をつけたが、急いで強制して、元の本阿弥になってはいけない。
そこで現地のスタッフに誇りをもたせる“地元方式”を取った。

まず、ほかの病院の悪い例を引き合いに出し、不潔なため病気になったとか、血清肝炎で死亡した実例をあげ、「医療関係者としてあるまじきこと。まさか君達はそんなことはあるまい」と言う。
「そんなことは常識だ」と返事が来るから、そこで汚い注射器などを見せると、「それは病院当局が要求どおり病棟に配らないからだ」と他人のせいにする。
翌日、真新しい多くのピンセットとガラスの注射器を全員に示して、消毒の原理を説明する。
わからなくても専門用語を交えて、彼らの自尊心を満足させ、その後は実地指導を根気よく繰り返して「われらの病棟はペシャワールでも大病院に劣らぬ質がある」という矜持を植えつけていく。
二年後には首都カラチの病院本部にいるドイツ人医師から「中村哲医師は奇蹟を実現した。小さな病棟は一個の宝石である」と評価されるまでになった。

中村哲さんはパキスタンの病院で現地スタッフに誇りをもたせる”地元方式”をとった

中村哲さんはパキスタンの病院で現地スタッフに誇りをもたせる”地元方式”をとった

 

実は中村哲さんが来た当時、着任したばかりのドイツ人看護婦が病棟責任者だった。古くからの現地人スタッフに命令口調で接していて、不信感と屈辱感を抱かせ、結局本人が疲れ果てて一年後に病棟を去っていった。
この病院はイギリスの統治時代、国教会によって開かれたものだが、中村哲さんはイギリス宣教団体の功罪についてこう述べている。
「管理面での欠陥は独立自尊の気風を封殺して、召使のような使い方をしてきたことである。致命的なのは、インド的なヒエラルヒー(身分制)を温存して秩序を作り、上層の協力者にエリート意識を植えつけた点である。英国人による管理が失われると、今度はこれら協力者たちが英国人に取って代わる支配層になろうとする傾向が目立つ」(中村哲『ペシャワールにて』54ページ。石風社 092-714-4838)
福岡市出身の中村哲さん(1946年生まれ)の活動を日本国内で支えているのが、パキスタンの都市の名に由来するペシャワール会で、本部が福岡市にあるが、専従者はおらず、約三十人のボランティアが活動している。
昨年、ペシャワール会医療サービス病院が開院し、その分院はアフガニスタンにある。
職員は合わせて155名、そのうち医師が17名で、日本人医師は中村哲さんを入れて2名、看護婦の藤田千代子さん(元・福岡徳洲会病院)はすでに10年になる。
この病院はパキスタン側とアフガニスタン側の事業とを統合した共通病院で、「ハンセン病を中心に、山村無医地区の診療態勢確立」という方針は一貫している。
施設はこのほかにパキスタンに二基地、一診療所、アフガニスタンに三診療所があり、さらに移動治療班が山岳地帯の谷間を「蟻のように這って」活動をしている。こうして、年間診療者数は全体で二十万人近くに達している。

ペシャワール会

〒810-0003 福岡市中央区春吉1-16-8 VEGA天神南601号
☎092-731-2372
FAX:092-731-2373
http://www.peshawar-pms.com/
peshawar@kkh.biglobe.ne.jp

(MK新聞1999年11月16日号)

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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