戦乱と旱魃の地で30年!ペシャワール会30周年現地報告会|MK新聞2014年掲載記事

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戦乱と旱魃の地で30年!ペシャワール会30周年現地報告会|MK新聞2014年掲載記事

MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。

MK新聞2014年8月1日号、9月1日号、9月16日号の掲載記事の再録です。
原則として、掲載時点の情報です。

 

 

ペシャワール会30周年現地報告会 ペシャワール会・ふくやま代表 松浦恵子

2014年6月7日、西南学院大学チャペルでペシャワール会30周年総会、現地報告会が開かれ、参加してきました。
中村哲医師がハンセン病診療のためペシャワールのミッション病院に赴任なさってちょうど30年。
赴任先の病院には、物もカネも技術もありませんでした。
その状況を見て中村哲医師は知り合いを集め「ペシャワール会」を組織されました。
以後、「誰も行かない所に命を守る医療を」「現地の生活・文化や習慣は尊重して」を指針として中村哲医師の活動は続きました。
ペシャワール会も、活動の変化、発展に応じて人的に、経済的に全面的に支えてきたのです。旱魃(かんばつ)と戦乱の地で30年! 言葉がありませんね。

中村哲医師の現地報告

アフガニスタンという国

日本人にとってもっともなじみの薄い国

  • ヒンズークッシュ山脈にすっぽり入る国。高山の谷あいに1,850~2,000万人の人々が集落を作り暮らしている。
  • 広い山の氷河や万年雪が、夏に次第にとけ出る水を命の源として人々は生きる。もともとは豊かな農業国であった。
  • 深い谷ごとに30以上の民族が暮らしている。多民族が使用する言語もそれぞれ異なり割拠制をもっている。中央政府の決定がすぐ地域に及ぶ日本のような国家ではない。
  • PMS(ペシャワール会医療サービス)は現在ジャララバードに事務所を置いている。120人の現地職員、500人の作業員が働いている。
  • ばらばらな民族国家を束ねているのが世界で最も保守的なイスラム教。警察、行政など全て自分たちで完結する地域を作っている。報道されるように血なまぐさいものではない。
  • 貧富の格差が非常に大きく99.9%の人は貧困と飢餓に瀕している。いかに少ない金で、いかに多くの人に恩恵を及ぼすかが特別に苦心するところだ。
ペシャワール地図
ペシャワール地図

活動の歴史と現地の日本観

  • 初期(1984年~)は、2千数百名に対し16のベッド数という酷い状態の中でハンセン病の治療をした。
  • 診療でもっとも苦労するのは患者の気持ちを理解すること。日本でも難しいが、現地では言語・習慣が異なっているのでなお一層難しい。
  • 外国人が陥りやすいのは、文化や習慣の違いを優劣や善悪の物差しで測ってしまいがちなこと。PMSは現地の文化習慣を尊重するという一貫した方針で活動してきた。
  • 10年に及ぶアフガン戦争で多くの人が飢餓状態の難民に追いやられ、ソ連撤退後は内乱に喘いだ。
  • 感染症が多発しているのに、ハンセン病患者のみ対象の医療では現地の状態に合わない。医療に恵まれない山の中に診療所を作り、結核、感染症などの診療にも当たるようになった。
  • 歩くと1週間以上かかる山岳地帯の村にも付き合いを深めながら診療所を開設してきた。アフガニスタンはこういう山岳地帯や農村がほとんどである。世界中で復興後のアフガニスタンとして報道される映像は、都市部の特殊な地域のものにすぎない。
  • 2000年ごろから旱魃が襲来し、「薬で飢えや乾きは治せない」と清潔な水確保の活動を始めた。
  • さらに自給自足できる農村を復興する事業(緑の大地計画)にも着手して、現在に至る。
  • 日露戦争の件で「大国に対しても堂々とものを言う日本」、ヒロシマ・ナガサキでは「廃墟から立ち直った日本」、さらに「経済大国になっても武力を使わない平和な国日本」と、日本に対する好印象は「美しい誤解」によって成り立っていた。日本人だということのみで、命拾い、仕事がうまくいったこともよくあった。
  • 1988年ソ連が撤退、ごたごたが続き現在にいたっている。戦争の多い国。
  • 1992年、患者は増えつつあるのに「ハンセン病コントロール計画」終結宣言が出され、外国の支援は撤退した。PMSは自前の基地病院を建設して「誰も行かない所にこそ医療を」という診療態勢を作り上げ、日本からの補給さえあれば自前の活動が出来る状態とした。
  • 2000年の5月、WHOは「中央アジアに旱魃が進行中、アフガニスタンが最も酷く1,200万人が被災、そのうち600万人は飢餓線上、餓死線上に100万人」と発表、注意を呼びかけたが、世界からの支援はほとんどなかった。診療所の近辺の村が次々と消えていく。この状態が現在も進行中であることはニュースでほとんど聞いたことがない。声を大にして訴えたい。
  • 食べ物が無くて栄養失調になった人は赤痢など感染症にかかるとすぐに亡くなってしまう。子どもを胸に抱えて診療所に来る若い母親が激増した。診療所についたとき冷たくなってしまった子を抱きしめる姿に、これは「医療以前の問題」と考え、清潔な水と十分な食べ物を確保する活動に乗り出した。
  • 5年がかりで1,600本の井戸を作ったり、カレーズ(横井戸)を修理したりした。

ニューヨークテロ・食糧配給(2001年)

活動はこれからだという2001年9月、ニューヨークテロ事件発生。
「アフガン報復空爆をする」とブッシュ大統領が宣言、国際社会もずるずると戦争に引き込まれた。
世界の関心は高まったものの、映像は爆弾を落とす側からのものであった。人々もゲーム感覚で見ていたと思う。
「アフガン問題はパンと水の問題」と訴えたものの、本流にはならず現在に至っている。
弱者は冬を越せないと募金活動へ。人々の良心から集まった「アフガンいのちの基金」で食糧配給を決行。
「同胞のためなら命をも顧みない」と、20人のアフガン人職員が、全滅することのないよう3チームに分かれて10数万人の人々に1,800トンの食糧を届けた。

タリバン政権は倒れ「自由とデモクラシーが保証されたと歓呼の声でアメリカ兵を迎える映像」が繰り返し繰り返し放送された。
そんな中でアフガニスタンは人々の関心から薄れていった。
しかし、実際は麻薬を作る自由、乞食をする自由、稼ぎ手を亡くした女性が外国兵相手に売春する自由、餓えて死んでいく自由を得ただけだった。
外国人におべっかを使うのがうまい人たちがますます豊かになる自由を得た。

通水前(2007年3月)
通水前(2007年3月)

大旱魃の進行は今も…「緑の大地計画」中村メソッドを全アフガンへ

アフガニスタンは農業国である。復興のためには水と食糧は欠かせない。
この数10年の間に農地はますます乾燥化している。
温暖化のため高い気温が続き万年雪は急速に解け大洪水となる。地表にとどまる間もなく流れ去るので地下水位も下がり、洪水のあとには旱魃が来る。
この繰り返しの大変な状況が、今なお進行中であり、旱魃に苦しむ地域も増えているということをよく理解してほしい。
学校も教育も、男女平等も大事だが、人間はその前に食べていかなくてはならない。
食糧の自給自足を回復するための事業が必要だ。

用水路は何百年先までも住民が自らの力で作り、メインテナンスできるものでなくてはならない。
そのために、コンクリートや重機を使わなくても建設できる日本の伝統的な治水技術を取り入れた。
日本とアフガニスタンは、山国で急流河川であること、激しい水位差が起きる点はよく似ている。
福岡県朝倉市の筑後川は暴れ川であったが、コンクリートが来る前の江戸時代には治水技術が確立しており、現在でも改修されつつ生きている。
筑後川の取水に対する考え方と技術を学んだ。
石出し水制を作り水をコントロール、ワイヤーと石で作る蛇籠は数万個を住民が作って利用した。
柳を堤防に植える柳枝工は柳の根が石を抱えて腐らず強くなる。土石流は自然と争わず下をくぐらせる方式で切り抜けた。

通水後(2009年3月)
通水後(2009年3月)

農業を可能とする安定的な水確保のためには、中小河川では沢山の貯水池を、大河川からは安全な取水をしなくてはならない。
当時現地にはなかった大きな貯水池を用水路沿いに作ったことにより地域の人は自信を深めた。
水が来ると砂漠化した土地はわずか数年にして緑に変わった。25.5kmの用水路を拓き、3,500ヘクタールの農地を回復した。水の威力には本当に自分も驚いた。

当時、「アフガン復興のためには米軍、国際治安維持軍が必要」と言われたが、現実は逆で、軍隊が来るとその地域の治安が悪くなった。
復興に必要なのは軍隊ではない。あの軍事費を水確保のために利用すればアフガン中が復興していただろう。

マルワリード用水路の末端、ガンベリ砂漠横断の工事は最も困難であった。
一夜にして砂嵐の中に全てが埋没する世界だ。作業員が53℃の中で熱中症にかかりながらも猛烈な勢いで働いた。
その働く意欲はどこからくるか、それは2つの願い、「三度三度の飯を食べたい」「故郷で家族とともに暮らしたい」だ。
用水路ができたとき、難民や傭兵にならずとも「ここで生きていける!」と歓声があがった。砂嵐予防の樹木が大きくなり、農地として、生きものの命をはぐくみながら進展してきている。
人々の協力をまとめ、地域の要となるモスクとマドラサ(学校)を建てた。

自立定着村では「地域の特性にあったものを作る」「自然循環性」を大切にしている。化学肥料や農薬は使わない。
(用水路末端の)この場所に住む職員が用水路を代々にわたって維持管理する。
彼らがアフガンの農村復興に重きをなすという長期的な展望に立って設計している。
「気候変動」の下では「戦より食糧」である。アフガニスタンは戦争では滅ばないが、手を打たなければ気候変動で滅びるだろう。
気候変動に伴う渇水対策がもっとも必要なことだと声を大きくして訴えたい。

会場の質問に答えて

Q1.用水路建設で下流と争いは起きないか?

―ダムだと起きるかもしれないが、取水量が少なく残った水は本流に流す方式を用いた用水路では起きない。

Q2.事業を行うために地元をどう組織したか?

―もともとの農村共同体組織があるので、長老が束ねている。
新開地では大変だが、多くは水を介して次第に仲良くなり共同体が出来る。争いも水を介し鎮める。
いずれの場合も地域の人を尊重することが大事。

Q3.技術習得はどのように?

―九州の河川を一つ一つ見て歩き、現地に合うかどうか試行錯誤しながら獲得した。

Q4.偉大な活動だ、その資金はどこから?

―用水路の総工資金16億円は全てペシャワール会の募金。JICAと協力して取水システム事業を拡大しようとしているが、主力はPMSで資金は皆さんの寄付によっている。

Q5.子どもの教育に行き詰っている、子どもひとりひとりの違いに対応できない時がある。価値観・人間観等の違いをどう克服したか?

―人やものなど全てにそれぞれ存在理由も自分とのつながりもあるはず。違いでなく共通点を探してみよう。そこに答えがあるはず。

Q6.宗教の違いは?

―自分はキリスト教徒、孔子の教えで学んだ。『恕・広い心で赦す』「人がしてほしいと思うことをしてあげなさい」等の教えは聖書にもある。多くの宗教も元へと遡れば大体同じことを教えているように思われる。末端に下がるよりは根本に遡るほうがいい。

Q7.日頃科学の恩恵を受け豊かな生活をしている我々だが、気をつけることは? 活動の情熱はどこにある?
Q8.日本の青年の自殺率が高いなど、危機に瀕しているのは日本だと思う。未来に命をつなぐにはどう生きればよいか?

―自然から収奪しての経済成長はすでに限界にきている。とりあえず現状維持。消費を減らすこともいるのではないか?
「命より目先の糧」の時代だが、命をとるか金=豊かさをとるのか、よく考えよう。例えば原発のように未来に禍根を残すものはいけない。
日本もこれから時間をかけ自然との折り合いのついた暮らしに向け、変わっていかざるを得ないだろう。今はそのスタート地点と思われる。

Q9.安倍政権の今の動きをどう思うか?

―集団的自衛権の行使は国際連合軍に参加するかどうかということ。連合軍のアフガニスタンでの結末は敗北。敵意を残しただけ。
集団的自衛権を行使する日本になれば、アフガン人は英米人に対してと同様、日本人に対しても敵意をもつようになるだろう。日本は別の道を考えるべきだ。

Q10.アフガンへの動機は何か?

―山岳隊への参加、海外協力会からの誘い、これが運のつき。抜けるに抜けられなくなった。しかし、川で重機を動かしている方が医者をしているより好き。もともと自分にあった道のようにも思える。

Q11.武力を使いたいと思ったことは?

―診療所に重機関銃をおいたこともあった。しかし決して打たせなかった。打たないことで信用され自分たちのいのちも守られた。
現地の人は銃を持つには持っているが、殺したら殺されるから、使わずに済むよう敵を作らないことに細心の努力をする。日本もそうすべきなのでは。

Q12.アフガニスタン(イスラム、テロ、自爆テロなどどうしようもない国のイメージがあるが)の未来?

―旱魃が来たときには連続堰等の成功例を提示して農村復興を拡大していくだろう。人の命を守るには、農村復興が最善の方法だと思っている。

完成した井戸に水をくみに来た子どもたち
完成した井戸に水をくみに来た子どもたち

30年間仕事をしてきて思うこと

東北大震災、原発事故を経験して思うに、日本人は自然をなめ過ぎている。
現地でも経験したが、人間が自然を完全に予測し、コントロールすることなど絶対にできない。自然に対抗するのではなく、折り合っていくのが大切。
そして、子孫に禍根を残さないようにしなければならない。

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「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、35年間にわたってMK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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