書評:高橋修 編著「アフガン農業支援奮闘記」|MK新聞2010年掲載記事

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書評:高橋修 編著「アフガン農業支援奮闘記」|MK新聞2010年掲載記事

MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。

MK新聞2010年4月1日号の掲載記事の再録です。
原則として、掲載時点の情報です。

 

 

泥・汗・涙と歓喜のドラマ 鬼気せまる中村医師の執念 貫く高橋哲学、人生論の書

パキスタン北西辺境州の首都ペシャワールをそのまま団体名としたペシャワール会の名は中村哲医師のパキスタン、アフガニスタンでの活動とともに一般に知られてきた。
近年は砂漠化したアフガニスタンの一地域に灌漑用水路を建設する姿がテレビに登場することも多く、去る2010年3月16日、朝日テレビ「報道ステーション」でも用水路がひとまず完成し、近くにモスク、マドラサ(神学校)とその寮も建てられ地元住民とともに祝い喜ぶ姿があった。
用水路によっていろんな作物が収穫される映像もあった。
しかし、その豊かな実りの背後に、現地で農業指導員として日々、地道な努力を数年間続けてきた日本人たちがいた事実はあまり知られていない。
それは指導というよりは現地住民との共同作業と呼ぶのが相応しく、失敗・落胆・泥と汗と涙、そして歓喜のドラマが400ページの本書に詰め込まれている。

編集者の高橋さんは、京都山科に住む1930年生まれ、1951年に京都府立農業講習所を出て農業改良普及事業に携わり、1990年から2001年までJICA(国際協力機構)の専門家として東南アジア8ヵ国で技術協力にあたった。
2002年、アフガニスタンのダラエヌール渓谷ではペシャワール会に試験農場用地を提供することを地元のジルが(長老会)が認め、会の農業計画の本拠地となった。
当時「緑の大地計画」を構想していた稲田定重さんに声をかけられた高橋さんが「オレで間に合うかなー」と思いつつ現地に立ったのが2002年3月だった。

ここで東南アジアでの経験が“生きる”。
日本の技術協力は現地の必要性、技術レベル、管理能力お構いなしに日本の物差しで指導・供与され(59ページ、以下数字はページ数)、1年近い実態調査も農家の意欲向上に結びつかなかった。
そこから簡にして要を得た高橋哲学が生まれる。
「農業計画は我々の自己満足・・・ペシャワール会のためでもない。一にかかってアフガンの農家自身のためにある」(62ページ)。
たとえば、伊藤和也さん(故人)が日本から小麦の新品種を入れて試験栽培をしたいと提案した際、「まずは現地で永年栽培されてきた品種の特性を100%発揮させることが先決」(101ページ)とし、結局現地農家の収量の2倍を実現した。
それは「特別に新しい品種とか技術を持ちこんだのではなく、単に農家の家家で行ってきた智恵を束ねたにすぎない。創意工夫は小さくても、それらを集結して体系化」した結果だと言う。
読者はここで「高橋さんはスバラシイ!」と思う。
が、またその反面もある。

日本の畑の畦幅はほぼ均一だが、ここでは「畦の頭としっぽでは幅が異なって」(195ページ)、「左右によじれ曲がった、蛇がのたうっているような畦」(309ページ、進藤陽一郎)となる。
また飼料作物ソルゴーの普及農家へ種子を配布する際、「スジ播き」をするよう伝えてあったが、一軒もそれをしなかった。
「なんと適当な人たちだ」(255ページ、山口敦史)。
見栄っ張りで強がり(320ページ)、その自信ありげな虚勢には何度も痛い目に会った(260ページ)。

だがそういう“批判”を高橋さんはしない。
「サチュマイモ誕生物語」には日本の種芋栽培で、村民や子どもが芋の蔓を切ったり、夜に畑を掘り起こして芋を持っていく話がある。
要するにドロボウだが、「日本と違って助け合いの社会であるためかそれほど罪悪感はない・・・腹が立ったが泥棒が多いということは普及の見込みがある」(113ページ)、宣伝にも役立つ、というふうになる。

そして、現地でともに生活をしていくには自ずと“高橋流”になる。
現地服を着て泥と汗まみれの姿を見て、顔役でもある長老が「本当に日本から来たのか」と聞いた。
外国人が汗だらけで働くとは思っていなかったためらしい(75ページ、橋本康範)。
また現地では男同士が手をつなぐことは仲のいい友人の証でもあり、人なつこい現地青年はよく手をつないでくれたが「この習慣になじめず、多分顔は引きつっていた」(69ページ、橋本康範)のは、ホホエマシイ。
村人は下ネタ話が好きで、全員それには悩まされたらしく、日本の少子化防止に役立とうとした村人もいた(291ページ、300ページ)。

興味をそそられるのは高橋さんが中村哲医師に“お願い”をする場面である。
ペシャワール会では中村哲医師の指示は絶対視され、高橋さんが知らぬ間に養鶏事業が決まっていた。
現地の事情を考えると問題がありすぎる。
京都での講演会の時、勇気を出して「直接ワーカーに農業計画の内容を指示いただくのは止めて欲しい」(178ページ)と要望、了解された。
ちなみに中村哲医師は1946年生まれ、高橋さんの16歳下である。
しかし、伊藤和也さんの不幸な死を契機に農業指導員を含む日本のワーカー全員が撤退することになり、その間、日本にいた高橋さんと中村哲医師が何回か手紙のやりとりをしていて、その文面から伝わる中村哲医師のほとんど鬼気せまると言っていい執念には圧倒される。
「小生はこれまで通り、現地と命運を共にいたします。いまさら置き去りにすることは出来ません。小ながら復興の範を築くことが私の最後の事業となります」(322ページ)。
「吾々が消え、たとい組織が消滅いたしましても・・・七度生まれ変わって行く末を見とうございます」(326ページ)。

現地撤収にあたって高橋さんが現地の指導員に送った通知には高橋美学の精華が凝縮されている。
「汗をかくことは自分のためでもある。“精一杯やった”という感慨は、長いこれからの人生のなかで、何物にも代え難い財産になる」(326ページ)。
本書は高橋さんと協同した日本の青年たちが自分をどう変えていったかの物語であり、もろもろの困難・挫折を伴いつつやがて楽しみを招き寄せる経験として、私たちに語りかけ、人々とかかわり合い、何かを実現していこうとする当事者に求められるのは何なのか、アフガニスタンという異郷体験を通じて静かに教えてくれる人生論の書でもあり、26年間に及ぶペシャワール会の歴史に残る記念碑でもある。(いや、それは褒めすぎです、と高橋さんは照れるだろうか)。

出版記念企画

本書の出版記念を兼ねて京都と大阪で次のような催しが予定されている。

京都

アフガン・緑の大地計画の現場から 復活しつつある農の営み

高橋修さん・進藤陽一郎さんによる講演会。
ひと・まち交流館京都(市バス「河原町正面」下車)大会議室にて2010年5月8日(土)、午後1時30分より(同1時10分受付開始)。参加費500円。
お問合せはピースウォーク京都℡090-6325-8054

大阪

ペシャワール会近況報告の集い(ペシャワール会大阪主催)

高橋修さん・藤田千代さんほか。藤田さんは永年現地病院の看護師、院長代理として中村哲医師と行を共にしてきた方で、発来阪となる。
大阪市立城北市民センター講堂(地下鉄谷町線「関目高殿」駅④番出口より徒歩3分)にて2010年5月29日(土)、午後1時30分~4時30分。会費1,000円。
お問合せはペシャワール会加藤勝美さん℡072-738-2932

『アフガン農業支援奮闘記』/高橋修編著/石風社/2,625円(税込)

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MK新聞について

MK新聞とは

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

www.mk-group.co.jp

フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、35年間にわたってMK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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