ペシャワール会・中村哲さんを偲んで(下)|MK新聞2020年掲載記事

よみもの
ペシャワール会・中村哲さんを偲んで(下)|MK新聞2020年掲載記事

MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。

2019年12月4日、アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた「ペシャワール会」代表で医師の中村哲さんが、現地で銃撃されて亡くなりました。
享年73歳。追悼のため、中村哲さんの歩みを記した「MK新聞1999年12月16日号」の記事を再掲載します。なお、記事中の年齢や日付、肩書き等は掲載時のものです。(MK新聞編集部)

 

 

ペシャワール会・中村哲さんを偲んで(下)”善意”が現地にもたらすもの

イスラムの国、パキスタンの辺境で医療活動を始めてすでに十五年になる中村哲さんは、自分が「高貴なイメージ」を持たれることをいやがる。
今年1999年の8月、京都で行われた講演会では「高潔な人間がヒューマニズムに燃えて―ではないんです。現地で見た患者さんを見捨てるに忍びなかったからです」と話している。
中村哲さんは現地の体験をもとに、欧米諸国の“善意”の現地支援のあり方を手厳しく批判する。
例えば、ソ連がアフガニスタンを侵略したあと、1988年に、二百余りの外国NGOの復興救援調整委員会が発足し、その会合がパキスタンの首都ペシャワールの最高級ホテルで行われた。

中村哲さんが所属するJAMS(日本―アフガン・医療サービス)もこの委員会の一員だったが、毎月送られてくる膨大な資料に目を通して、月に一度会議に出席する必要があり、年単位の事業計画書を出して業績達成を報告することが求められた。
しかし「余りに山師的なプロジェクトが目立つ」と判断し、中村哲さんの提案でJAMSは脱退した(中村哲『ダラエ・ヌールヘの道』52ページ 石風社 092-714-4838)。
ドイツ系の農業復興援助プロジェクトが送り込んだトラクターは、現地の段々畑には不向きなうえ、燃料補給が滞って錆びたまま放置され、結局住民が鉄屑にして運び去り、スウェーデン系の診療所はほとんど機能しないまま停止し、住民は「外国人の見せ物」と評した(同99ページ)。

中村哲さんが難民キャンプで宿泊していた時、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の担当官が来ることになり、普段は空っぽの施設が前日から掃除され、突然忙しそうに働く人達が出現し、担当官は難民施設を視察し、写真を撮って帰っていった。
人々は「配給が増える」「良い診療所が出来る」と囁いたが、何も起こらず、診療施設は再び空になった。
「配給物資の横流しやピンはねは日常茶飯事であり、難民救済寄金のかなりの部分が組織運営に当てられ、援助の中身は寥々(りょうりょう)たるものであった」(同24ページ)。
パキスタンの難民問題の担当官は中村哲さんにあっさりとこう話した。
「難民はいわば三流外人の雇用機会も提供している」

そして、こうした“援助”が何を現地にもたらしたか。
アフガン人医師の一人は、薄給のJAMSをやめて、ある支援団体のプロジェクトに関わり、薬品を車ごと売り飛ばして荒稼ぎをした。
「多数の難民たちが“援助”によって転落の道を歩んでいった」という(同60ページ)。

らい患者は感覚神経を侵されるため、足の裏が傷ついて穴が開いても気がつかない。
そのため、高価な見栄えがする靴を与えると、家族を抱えて生活に追われる患者は、その靴を現金に換えてしまう(中村哲『ペシャワールにて』61ページ、石風社)。
援助として薬品を難民にばらまくと、英語の表示があるものはバザールに出回る。
中村哲さんの病院は皮膚病の治癒のために配る石鹸を四つ切りにして渡しているが、さすがにそれはバザールには出回らない(同192ページ)。

こうして、中村哲さんは「こちらがよいと思っていても相手にとってはそうとは限らない」という平凡な真理に辿り着き、ペシャワール会の理念を聞かれると「無思想・無節操・無駄」の三無主義と答える。特別な思想信条、理論に囚われない。
「どだい人間の思想などタカが知れているという現地体験から生まれた諦観」である。
「自分だけ盛り上がる慈悲心や、万事を自分のものさしで裁断する論理」は苦手なのだ(同208ページ)。

アフガン難民の子供たち
アフガン難民の子供たち

ところで、ペシャワール会会報60号には1998年度の会計報告が掲載されている。
収入が会費、寄付、補助金、国際ボランティア貯金など約7,300万円、そのうち支出が事務局費・広報費の約8%、残りの92%が現地活動費に当てられており、これが会の“誇り”である。
中村哲さんによると、世界中から募金が集まるペシャワール・ユニセフ(国連児童基金)では収入の九割が国連職員の給料に当てられているという。ほとんど信じがたいことだ。
少し古い資料だが、『国際機関総覧』1991年度版でユニセフの支出実績を見ると、分野別の支出実績はあるが、人件費の項目はない。
中村哲さんの講演会のあと、このMK新聞に記事を掲載させていただきたいとお願いをして帰る時、小柄で細身のおばあちゃんが丁寧に腰をかがめて「少しですが」と小さなポチ袋を中村哲さんに差し出した。
その姿がひどく印象に残り、この人になぜ講演会に来られたのかお尋ねすべきだったという悔いがある。
“舶来”好みの私は時間とお金があればヨーロッパの史跡や美術館などを巡りたいという思いがあるが、中村哲さんの存在を知ってからは、そんなことよりも、アフガン難民の子供たちってからは、そんなことよりも、アフガニスタンやパキスタンなどへ行ってみる方が物書きとしては大事なのではないか、そう思い始めていることを書き留めておきたい。

ペシャワール会

〒810-0003 福岡市中央区春吉1-16-8 VEGA天神南601号
☎092-731-2372
FAX:092-731-2373
http://www.peshawar-pms.com/
peshawar@kkh.biglobe.ne.jp

(MK新聞1999年12月16日号)

中村哲医師・ペシャワール会の関連記事

MK新聞について

MK新聞とは

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

www.mk-group.co.jp

フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、35年間にわたってMK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

この記事が気に入ったらSNSでシェアしよう!

関連記事