中村哲医師とペシャワール会のアフガニスタンでの活動報告まとめ|MK新聞連載記事より

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中村哲医師とペシャワール会のアフガニスタンでの活動報告まとめ|MK新聞連載記事より

目次

アフガニスタンで長年人道支援に力を尽くしてきた中村哲医師。
中村哲医師が2019年12月に不慮の死を遂げたあとも、ペシャワール会が遺志を引き継いで活動を続けています。
MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。
これまで取り上げてきた活動報告記事のまとめです。

中村哲医師の活動

日本発の国境なき医師活動

1999年11月16日号

中村哲さんについてMK新聞で初めて取り上げられた記事です。
1999年当時の中村哲さんの活動が紹介されています。

”善意”が現地にもたらすもの

1999年12月16日号

“善意”の現地支援のあり方を手厳しく批判し、「無思想・無節操・無駄」の三無主義を主張します。
ペシャワール会は支出の92%が現地活動費に当てられているのが誇りです。

中村哲・旱魃のアフガニスタンに井戸を!!

2000年10月1日号

2000年夏、アフガニスタン東部を20世紀最悪という大旱魃が襲いました。
衛生状態が悪化して赤痢が大流行し、300万~400万人が飢餓寸前の”もっとも危険な状態”にあります。
「誰もやらねばわれわれがやる。必要なのはお喋りではなく、実弾だ」と井戸の建設に取り掛かりました。

アメリカの傀儡政権をアフガン住民は支持していない

2002年9月1日号

タリバン政権打倒によって“解放”されたのはアフガニスタンではなく麻薬であり、みだらな風俗です。
アメリカの傀儡政権だという意識が民衆に根づいており、99%までが、いいとは言わない。
自衛隊派遣は軍事協力であり、参戦にほかなりません。軍事協力はエスカレートするのが歴史の鉄則です。

中村哲・アフガン難民帰農へ14kmの灌漑用水路建設

2004年7月1日号

2004年にアフガニスタンでの活動を詳細に記録した「空爆と「復興」アフガン最前線報告」が刊行されました。
講演会では左足をかばうような中村哲さんでしたが、自ら重機をあやつり工事の先頭に立ってきた”勲章”です。
伝統工法を取り入れ、総力を挙げて14kmの灌漑用水路建設に取り組んでいます。

中村哲医師のアフガニスタン報告「飢餓と渇水に無力な医療人」

2008年3月1日号

2007年に京都で行われた講演会では、約700名の聴衆を前にユーモアを交えながら訥々と語り、活発な質疑応答が行われました。
もともと医療活動を行っていましたが、2000年の大干ばつによる飢餓と渇水を前に医療人はあまりにも無力でした。
農業復興のため試験農場、飲料水源事業、灌漑用水事業の三大方針を定めて事業を行ってきました。

戦乱と旱魃の地で30年!ペシャワール会30周年現地報告会

2014年8月1日号

2014年にペシャワール会は30周年を迎え中村哲さんによる現地報告が行われました。
アフガニスタン復興のためには水と食糧は欠かせません。用水路は何百年先までも住民が自らの力で作り、メインテナンスできるものでなくてはならない。
日本の伝統的な治水技術を取り入れた中村メソッドを全アフガンへと広げていかなければなりません。

中村哲講演会「カネ社会の終わりの鐘が鳴っている」

2015年10月1日号

2015年に箕面で行われた講演会では、現在アフガニスタンで日々続けられている灌漑用水路工事の現況を紹介し、人気のない砂漠が緑の沃野に変貌した映像に、会場は簡単のどよめきに包まれました。
アフガン人は日本を親しい国と感じていましたが、アメリカに追従する日本政府の姿に失望へと変わりつつあります。

水資源と灌漑事業の今とこれから 中村哲『アフガン・緑の大地計画』に見る

2017年12月1日号

2017年に中村哲さんの著書「アフガン・緑の大地計画」が出版されました。
アフガニスタンで営々と続けられている灌漑による沙漠の緑地化工事にあたる現地の人材育成のために作られた「作業の手引き」です。

中村哲医師、灌漑工事事業でアフガニスタン大統領から叙勲

2018年5月1日号

2018年に灌漑工事事業でアフガニスタンの大統領から叙勲されました。
ガニ大統領が中村哲さんの著書を読んだ感銘を受けたのがきっかけです。
中村哲さんもこの叙勲はPMSにとって特別嬉しいもので、全職員大いに励まさたと述べています。

中村哲医師が土木学会技術賞を受賞

2018年9月1日号

中村医師がPMSを率いてアフガニスタンで継続している灌漑事業に対して、日本の土木学会から平成29年度「土木学会技術賞」を受けました。
江戸時代のローテクを駆使した活動が土木学会技術賞を受けたことは快挙です。

飢餓の国vs飽食の国―飢餓のない国の精神の飢餓 中村哲

2019年6月1日号

かつて飢餓を体験した世代は、飢餓の問題に対して多くを語ることなく同情と支援の手が差し伸べていました。
都市化によって農村と切り離され、日本人はふるさとを喪失しました。

故 中村哲医師の 生々しい現場報告の集大成

2023年8月1日号

2023年に刊行された「中村哲 思索と行動『ペシャワール会報』現地活動報告集成[上]1983~2001」ペシャワール会発行・忘羊社刊の書籍紹介記事。
1983年から2001年まで、中村さんが会報のためにそのつど執筆した現地報告集です。
この本では次々に展開される〝中村節〟に圧倒されます。
アフガニスタンに関心を持つ人たちの〝座右の書〟となるのは間違いありません。

 

中村哲医師死後の活動

中村哲医師死後のペシャワール会①

2020年7月1日号

2019年12月4日の、アフガニスタンでの中村哲さんの突然の銃撃死以来、
PMSとペシャワール会は協議の結果事業継続を表明し、農業事業と灌漑事業を再開しました。
コロナウイルスの感染者が増えるなか、要請を受けて医療活動事業も再開しました。

中村哲医師死後のペシャワール会②

2021年4月1日号

取水堰の工事も順調に進み灌漑面積が新たに230ヘクタール広がる予定です。
ガンベリ農場では16ヘクタールの沙漠地の開墾も始まりました。

中村哲医師死後のペシャワール会③

2021年7月1日号

旱魃の悪化が心配されるなか、順調に主幹用水路の護岸工事が進んでいます。
アフガニスタンの元日にあたる春分の日には、公園に多くの人は花見に訪れて憩いの場となっています。

アフガニスタンの現状とPMSの今 ペシャワール会員・支援者の皆様へ

2021年10月1日号

タリバン政権復活の大混乱を受けて、ペシャワール会会員に向けて会長からメッセージが送られてきました。
8/15のカブール無血開城に伴い、PMS現地事業を一時休止しましたが、安全を確認の上医療など一刻も待てない事業を8/21に再開しました。
いまアフガニスタンが必要なことは戦闘ではなく、命をつなぐ行動です。現地の人々の求めに呼応して事業を継続します。

中村哲医師死後のペシャワール会④

2021年12月1日号

政変後、安全を慎重に確認の上、全事業が再開されました。
9・11の直後も日本大使館からは日本人退去要請が出ましたが、職員らは事態を正確に判断して平静でした。

中村哲医師死後のペシャワール会⑤

2022年6月1日号

食糧配給や野菜栽培、養蜂活動の紹介と、流域住民のアシヤール(奉仕作業)による用水路のバルカシコート堰完成報告です。
タリバン政権復活により治安は改善したものの、医療システムは崩壊の危機にあります。

中村哲医師死後のペシャワール会⑥

2022年11月1日号

アフガニスタンはタリバン政権の復活による経済制裁と食糧危機に陥りました。
政変後もPMSとペシャワール会は活動を続けています。

中村哲医師死後のペシャワール会⑦

2022年12月1日号

2021年度の医療事業、灌漑事業、ガンベリ農場の農業事業、緊急食糧支援などの活動報告と、2022年度の計画です。

アフガニスタンで続けられているペシャワール会の活動

2023年4月1日号

ペシャワール会会長らがタリバン支配下のアフガニスタンに初めて入りました。
女子教育問題などがあるものの、タリバン政権下で治安状況が改善しました。
受益者である村人らによって自発的に用水路の浚渫作業が行われました。

ターリバーン再支配下のアフガニスタンへ㊤

2023年8月1日号

RAWAと連帯する会の桐生佳子さんが8年ぶりにターリバーン再支配下のアフガニスタンを訪れました。
政変以後、アフガニスタンの女性や子どもたちはどのような状況にあるのかを知ることが目的です。
中村哲さんと一緒に仕事をしたという男性が身振り手振りで哲さんの素晴らしさを伝えてくれているのを見て涙が出ました。

 

ペシャワール会関係者などからの活動報告

戦乱と大旱魃のアフガニスタンから―ペシャワール会 講演会に参加して

2008年11月1日号

ペシャワール会事務局長である福元満治さんの講演記事です。
アフガニスタンを緑の大地に変え、子供たちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づける力になりたい、と伊藤和也さんはペシャワール会に参加しました。
伊藤さんが生きたのは31年間だけでしたが、やることをやった生涯であったと思います。しかし、その死はやはり無念でなりません。

アフガン緑の大地計画の現場から―ペシャワール会の農業計画は現地主義

2009年6月1日号

アフガニスタンで農業指導員として携わった高橋修さんの講演記事です。
自分たちの技術を教える技術移転ではなく、その土地にあった現地主義を貫くことで成果を上げました。
米、小麦、さつま芋などの主食から飼料作物、お茶などの嗜好品、除虫菊まで栽培に成功しました。

アフガニスタンに必要なのは土地・水・食糧だ

2009年12月1日号

ペシャワール会事務局長である福元満治さんの講演記事です。
「皆が行くところには誰かが行く。我々は誰も行かない所に行く」がペシャワール会のモットーです。
我々は、現地の人らの持つ自然治癒力を甦らせるお手伝いをしているのです。活動を支えてくださる皆さんに感謝します。

書評:高橋修 編著「アフガン農業支援奮闘記」

2010年4月1日号

2010年3月に刊行された高橋修さんの著書「アフガン農業支援奮闘記」の紹介記事です。
高橋修さんは、JICA(国際協力機構)で専門家として農業改良普及事業に携わってきました。
泥・汗・涙と歓喜のドラマ 鬼気せまる中村医師の執念、貫く高橋哲学、人生論の書です。

素人シェフ、辺境で奮闘する『アフガン飯炊き日記』を読む

2017年11月1日号

定年退職後にアフガニスタンで炊事担当者として9ヶ月間働いた荒野さんの記事です。
言葉の壁や治安状況に四苦八苦しながらも“本職”の料理人として高い評価を受けました。

アフガン訪問記「人と自然の和解」を実感

2019年11月1日号

映画監督/カメラマンとして1998年以来21年間断続的に中村哲さんの活動を記録してきた谷津賢二さんによる記事です。
ひび割れた大地と水なし地獄の荒れ野が緑濃き大地に生まれ変わりました。
中村哲さんがよく口にする「人と自然が和解」という言葉。丘の上に再び立ち、緑の沃野を目にした時、これこそが「人と自然の和解」なのだと気づきました。

アフガニスタンから25歳の女性が来日 RAWAと連帯する会が各地で講演会

2019年12月1日号

女性蔑視が強いアフガニスタンでは、1977年にRAWA(アフガニスタン女性革命協会)が設立されました。
女性たちが自分たちの権利について、教育を通して目覚め、自由を求めて闘う女になることを主要な目的にしています。
アフガニスタンがこれからどうなるか、国民の半数にあたる女性たちの手にかかっています。

中村哲医師とペシャワール会の35年【上】飢餓を救う命の水

2020年10月1日号

ペシャワール会大阪の松井千代美さんによるこれまでの活動報告の講演記事です。
中村哲さんは医師でありながら「飢えや渇きは薬では治せない」と命の水を求め土木屋として活動されました。
井戸と農業用水路による「緑の大地計画」を発表し、現地の人だけで維持管理可能な用水路建設にまい進しました。

中村哲医師とペシャワール会の35年【中】診療所より用水路建設

2020年11月1日号

八尾徳洲会総合病院で開催された中村哲さんの講演会を聞いたのがきっかけとなって後のペシャワール会大阪が立ちあげられました。
大阪で中村哲さんのほか、様々な関係者を招いての講演会を開催してきました。
今も中村哲さんの「みんなが行くところには誰かが行く。誰も行かない所にこそニーズがある」という言葉が思い浮かびます。

中村哲医師とペシャワール会の35年【下】想いを受け継ぎ伝える

2020年12月1日号

中村哲先生は今も、いつもそばにいます。先生に出会えたこと、私にとって一番の宝物です。
教育関係は、中村哲先生やペシャワール会関係の人々のお話を聴く機会を設けていただけたらと思います。

 

中村哲さんのあれこれ

故中村哲さんの父 中村勉の創作を発掘

2021年11月1日号

加藤勝美氏が中村哲さんの父の中村勉さんが抒情的な詩を執筆した同人誌を発掘しました。
作家の火野葦平は中村哲さんの伯父にあたります。

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