弱者の視点で紛争地を視る・玉本英子さんの講演から|MK新聞2018年掲載記事

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弱者の視点で紛争地を視る・玉本英子さんの講演から|MK新聞2018年掲載記事

MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。

MK新聞2018年2月1日号の掲載記事の再録です。
原則として、掲載時点の情報です。

 

 

弱者の視点で紛争地を視る

玉本英子さん

玉本英子さん

 

ジャーナリストになるまで

もともと新大阪のデザイン事務所でパン、お菓子メーカーのポスターを制作していた玉本さんは仕事が楽しく、何の不満もない生活を送っていた。
その1990年代前半の時期、たまたま見たテレビのニュース映像に衝撃を受けた。
ドイツで機動隊と対峙する一団の中から、自分の体にガソリンをかけて火をつけ、機動隊に突っ込んでいった男性。
このクルド人に関心を持ち、半年後、オランダの友人に相談すると、オランダにはクルド人がたくさん住み、アムステルダムの中心地にクルド人が集まるカフェがあるという。
そこに行くと、髭を生やした目力がある人が大勢おり、夕方にやってきた男性はまさにテレビで見た人物だった。
「素人なので失礼だったのですが、なんであんなことをしたんですか、と聞くと、僕の故郷に行けば君も同じことをするだろう、と言われました」。

焼身のクルド人、1994年3月22日ドイツ・フランクフルトで

焼身のクルド人、1994年3月22日ドイツ・フランクフルトで

クルディスタン(クルドの地)とはトルコ・イラク・イラン・シリアにまたがり、トルコでは5人に1人がクルド人という。
「行って人に会うには目的を説明しないといけない。フォトグラファーの名刺を作り豊能町の住所を入れました。わざわざ日本から来てくれてありがとう、こんなことが起きています、とたくさん言われました。当時、トルコのクルド人は非常に抑圧されていて、権利を求めて活動をすると弾圧される。ゲリラに協力した疑いで捕まった男性の爪は真っ黒でした。爪に電気を通されてから爪が伸びなくなった。」
「その時、私はすごく恥ずかしかった。彼らは伝えてほしいから話をしてくれたわけで、これはちゃんと伝えないとあかんのや。それでジャーナリストになる、と決めましたし。」

 

次に伝えたいこと3つについて話し始めた。第一は「今の戦争について」。

4年余り前から取材を続けているイラク北部。
イスラム国(IS)はアルカイダの分派などから成り、2014年6月、イラク第2の都市モスルを支配した。
玉本さんは取材した映像と音声を現地からインターネットで日本に送信し、放送局が編集して放送する。
去年2018年10月に放送した、テレビ朝日「報道ステーション」では、「今、シンジャル南部に来ています。家の前には拉致された女性たちが残した衣服が散乱しています」と玉本さん。

イラク北部のマフムールのキャンプには着の身着のままの人たちが後を絶たない。
「口を縫われたという話があります。これは冗談じゃないかと思っていましたが、ある少年は、口を縫われて晒し者にされていた人を見た、と言っていました。次のこの映像は何の刑か。出刃包丁が足の上に置かれています。公開処刑に呼ばれた町の人たちの前で足を斬り落とす。麻酔はするそうですが。また、同性愛とみなされた男性がビルの上から突き落とされる。どれもISがインターネットで公開したものです」。
「去年の2月、掃討作戦がすすみ、イラクの治安部隊に同行取材しました。モスルで子どもたちがいました。(ホワット アー ユウ ドゥイング? と言う玉本さんの声)アルミ缶や鉄屑を拾っていました。少年たちは14歳でした。ISの襲撃で、お金のある人から逃げ出して、親は仕事を失うので、子どもが稼がないと。日本円で50円から100円、アイスクリーム2つを買える程度です。公開処刑で首を斬られた人も目にして、ごく普通のことのように話す。本当に大変なことが起きていると感じました。」

 

2つ目のテーマは「弱者への迫害」

イラクのIS支配地域だったシンジャルにはヤズディ教徒が暮らし、ISから最も迫害を受けた。
信仰の対象が孔雀天使で、虐殺や拉致をされて女性は奴隷にされる。
助かった人の声。「まず男と女に分けて、男にはイスラム教への改宗を迫り、拒否するとその場で銃殺。14歳、15歳の女の子が強制結婚させられる」。
映像には傷のついた胸を見せる女性。「胸を見せるのは勇気が要ります。もしかしたら迫害が無かったことになるんじゃないか、と。顔も撮ってほしいがそれで家族や親族が傷つくかもしれない、と言います」。
「別の人は19歳のアムシャ。夫は改宗を拒否して銃殺。8ヵ月の子どもとお腹には赤ちゃん。毎日暴行されて自殺したかったが、子どものためにできない。しばらく逃げ出して、助けてくれる人のおかげで安全なクルド地区へ行けた。その後会えた時は赤ちゃんが生まれていた。名前はデルブリン。意味は“壊れた心”。ヤズディーの子どもは“何もかも失った“といったネガティヴなものばかりです。起きたことが忘れられて、無かったことにされるかもしれない。また子供たちも忘れないように、というのです」。

イラク地図

イラク地図

去年2018年の4月、ドイツに避難したアムシャと2人の子供、それに義理の母親と再会。
ドイツ政府はヤズディ教徒2千人を受け入れ、家を提供し、アムシャはひと月1,200ユーロ(約15万円)を支給されています。
小4しか出ていないアムシャはドイツ語を覚えてドイツで仕事を見つけようとしている。
「頑張っていますけど、トラウマから逃れられない。路面電車に乗っていた時、長い顎髪の男性が乗ってきた途端、ドイツにいると分かっていても、泣き叫ぶのを止められなかった。ISの襲撃を思い出して飛び起きることも。事件から3年、心の傷は簡単には治らないことを知っていただけたら」。

 

そして加害者については(報道特集の番組から)クルド自治区の治安施設で異例のカメラ取材が許された

「ジハードを信じるが、家族のため生きていたかった。2人の兄はアルカイダで、米軍に殺され、自分でISに参加した」。
3日間仕事、3日間家に帰る。月に30万ディナールの給料は建設現場で働いた時の2倍、今もISを信奉している。
もう一人は写真と音声のみ。イラクのマリキ政権下でシーア派の治安部隊から拷問を受け、スンニ派のISへの参加につながった。
「私は残酷なことをする悪魔のような人たちと思っていましたが、イラク政府に恨みを持ったり、仕事を失って家族を養うためなど、本当に普通の人たちです。彼らも被害者であり、それが加害者になった。その被害者が次の加害者になる。それが現実です」。

 

3つ目のテーマは「伝えること」

玉本さんの父はヒロシマの被爆者だった。10年前、イラクで原爆展を自力で開いた。
北東部の町ハラブジャはイラン国境に近く、イランに協力していると、旧イラク・フセイン政権が自国民に爆弾を投下、紫や黄色の煙が上がって、この毒ガスで5千人が死亡、今も後遺症に悩む人たちがいて、その資料館がある。
そこで日本の被爆の写真を展示し、かつ日本はよその国には加害者であったことも付け加えた。
「文部大臣が来て、われわれは被害者だと言うが、加害者だとはなかなか言えない、あんたは偉い、と言われました」。
「皆さんも戦争の経験がなくても、何かを伝えることはできる。私自身のことは、一つの例です。遠い国のことと思われるかもしれませんが、他人事ではないということを知っていただけたらと思います」。

(2017年12月21日記)

 

付記

講演に入る前、玉本さんは手話通訳と講演の要約筆記の女性たちのことに触れ、そこには裏方の存在に対する細やかな気遣いがあった。
また、ハラブジャ虐殺については筆者の長年の友人中川喜与志さんが朝日新聞1998年4月15日号「論壇」に寄稿し反響を呼んだ。
その著書『クルド人とクルディスタン』(南方新社、2001)はクルド問題必須の文献とされる。

 

玉本英子

東京都出身。
アジアプレス 大阪オフィス所属。
戦争や紛争地など戦火のなかの市民を視点に取材活動。
イラク、シリア、レバノン、コソボ、トルコ、アフガニスタン、ミャンマーなど、写真、ビデオで取材、発表。テレビのニュースリポートや新聞、雑誌、ラジオ、講演会を通して伝えている。
共著に『アジアのビデオジャーナリストたち』(はる書房)、「21世紀の紛争・中東編」(岩崎書店)、「現代イラクを知るための60章」(明石書店)など。

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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