アフガニスタンで受け継がれる現地での活動 中村哲さん死後のペシャワール会⑥|MK新聞2022年掲載記事

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アフガニスタンで受け継がれる現地での活動 中村哲さん死後のペシャワール会⑥|MK新聞2022年掲載記事

MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。

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アフガニスタンで受け継がれる現地での活動 中村哲さん死後のペシャワール会⑥

この文章は、ペシャワール会会長の村上優さん/PMS支援室が、7月6日発行の会報に記載された報告を、ペシャワール会の了解を得て転載するものです。

はじめに

アフガニスタンの人々の最大の苦難は干ばつによる飢饉(ききん)です。
中村哲医師は、地球温暖化の脅威の現れとして、この地の干ばつを繰り返し訴えていましたが、その声を国際社会は充分に聞くことはなかったのです。

2021年の春、WFP(世界食糧計画)などは、アフガニスダン国民の半数2000万人が飢餓に襲われると警鐘を鳴らし、当時のガニ大統領も6月には危機感を表明していました。

PMSとペシャワール会は、クナール河流域の用水路事業を進めるとともに、アフガニスタン全土への灌漑(かんがい)事業の普及を立案していたのですが、その矢先、8月15日に電光石火でタリバン政権が復活しました。
この政変に関しては様々な報道がなされました。
ただ、民衆―国民の八割以上を占める農民たち―が40年近く続いた戦闘を忌み嫌い、イスラム数の規範を最重要視するタリバン的秩序を受け入れたことは事実でしょう。
人々の関心は「いかに耕し、いかに生き延びるか」という、平和な農耕共同体の回復にあったのです。
しかしその結果、アフガニスダンは経済制裁を受け、貧困と飢餓の危機が増大しました。

私たちは、目の前の命の危機に手をこまねいてはおられません。
以前にもまして「水が善人・悪人を区別しないように、誰とでも協力し、世界がどうなろうと、他所に逃れようもない人々が人間らしく生きられるよう、ここでカを尽くします」(中耕哲、会報126号、2015年)がペシャワール会/PMSの指針となりました。

ペシャワール会の会員・支援者は政変以後、増え続けています。
皆様から寄せられる共感によって困難を乗り越え、事業を継続することができました。
心から厚く御礼申し上げます。
そして、危機に際して支えとなる中村哲医師に感謝します。

 

タリバン政権の復活

2021年度の事業に関する詳細は後述の報告をお読みいただくことにし、ここではタリバン政権へのPMS/ペシャワール会の対応について述べることにします。

タリバンは、ソ連軍撤退後の内戦時代の1994年に発足し、2年後には北部地域を除いてアフガニスタンをまとめました。
その基盤はイスラム教の教義に忠実であることです。
アフガニスタンの農村は元来伝統的な生活を守っており、血族や部族などで構成され、自治性が強い社会でした。
そのためタリバン統治と大きな摩擦はなく、多くの貧しい農民たちは内戦が終結したことを歓迎したのです。
一方、近代的な生活を享受していた都市住民や西洋の価値観を学び体験した人々はタリバンを忌避(きひ)しました。

2000年にアフガニスタンはアルカイダを匿(かくま)った「テロ支援国家」として国連より制裁を受けます。
そして、2001年9月11日のアメリ力同時多発テロに端を発して、同年10月には空爆を受け、1ヵ月後にタリバン政権は崩壊しました。
ただし、その後も農村部を中心にその勢力は維持され、徐々に拡大していきます。

2001年以降は国際治安支援部隊ISAFに支援されて、アフガニスタン共和国が継続することになります。
米国ブラウン大学ワトソン研究所の報告によれば、この20年間に2兆3130億ドルの資金がアフガニスタンに投入されたとのことです。
その多くは軍事費であったとしても、民生にもかなりの資金が流れたはずですが、その恩恵は一般の人々、特に貧しい農民には全く届いていなかったのが実状です。
詳細な報告は将来に待つとしても、極端な富の偏在があったことは事実でしょう。
その結果、外国軍の撤退と同時に、アフガニスタン首長国(タリバン政権)が復活しました。
まだ国際的に承認を受けるに至っていませんが、実際には国家・行政機関として機能し、前政権から97%の公務員を引き継いだとタリバン広報官は述べています。

欧米が最も問題視するのは「包摂的な政権ではない」「人権、特に女性の人権が守られていない」ことです。
包摂的でないというのは、政府がほとんどパシュトゥン族で構成されていること、女性の人権に関しては、高等教育が妨げられていることが挙げられています。
ことに欧米メディアでは女子教育に関して厳しい報道を目にします。
2000年の時には「テロ支援」の名目で制裁し、今回は「女性の人権」という見地から制裁を課しているようにみえます。

中村哲医師は『医者井戸を掘る』において、以下のように語っています。

「文明の名において、1つの国を外国人が破壊し、外国人が建設する。
そこに1つの傲慢が潜んでいないだろうか」と、一方的な価値観でアフガニスタンを裁き、支配することに異議を唱えています。
2001年にバーミヤン仏跡をタリバンが破壊し国際世論が沸騰した時には、「我々は非難の合唱には加わらない。
私たち信仰は大切だが、アフガニスタンの国情を尊重する。
暴に対して暴を以て報いるのは、我々のやり方ではない。
餓死者100万と言われるこの状態の中で、今石仏の議論をする畷はないと思う。
平和が日本の国是ある。
少なくともペシャワール会=PMSは、建設的な人道的支援を、忍耐を以て継続する。
そして、長い間には日本国民の誤解も解けり日が来るであろう。
我々はアフガニスタンを見捨てない。
人類の文化とは何か。
文明とは何であるか。
考える機会を与えてくれた神に感謝する。
真の人類共通の文化遺産は、平和と相互扶助の精神である。
それは我々の心の中に築かれるべきものである」

 

経済制裁と食糧危機

タリバン政権復活後、アフガニスタン中央銀行の資産90億ドルが凍結されました。
日本からのPMS運営資金の送金はできなくなり、アフガニスダンの銀行に預金していたドルも引き出し不能となました。
その後、アメリ力財務省外国資産管理室は国際機関などからの抗議により、人道支援に関しては送金可能とする指示を出しましたが、実際の動きは鈍く、混乱しています。
外国からの送金は人道支援と認められたNGOに限られるため、アフガニスタンの企業や個人に対しては制裁が継続しています。
その結果、失業、現地通貨アフガニの暴落、食糧価格の高騰は著しく、ウクライナ情勢も影響し、この3ヵ月間だけで小麦価格は2倍になりました。
貧しい人々は、緊急食糧支援にのみ頼る生活となっています。

危機を乗り越えて

2021年10月より様々な工夫をしてPMSへ送金してきましたが、今年の5月にはタリバン政権の指示により、アフガニスタン復興に寄与するNGOは銀行からの引き出しが一部可能となりました。
昨年来、給与の大幅な遅配に耐え、支出を抑え、農作物などの収益を事業費に充てるなどしながら、PMSは活動を続けてきました。
PMSスタッフと日本の支援者・事務局が信頼し合って危機を乗り越えてきたのです。
その努力はバルカシコート堰(ぜき)の完成などで報われました。
干ばつや経済危機は今も重くのしかかっていますが、現地事業が軌道に乗って進んだばかりか、緊急の食糧支援も手掛けることができました。
そのすべてに感謝し、以下に2021年度の具体的な報告を記します。(次号につづく)

政変後、ガンベリ農場でのトウモロコシの収穫(2021年10月18日)

政変後、ガンベリ農場でのトウモロコシの収穫(2021年10月18日)

 

■村上優プロフィール

大阪府出身。
九州大学医学部卒業。
精神科医として、国立肥前療養所(現国立病院機構肥前精神医療センター)をはじめ、各地の国立病院を経て、現在さいがた医療センター(新潟県上越市)に勤務。1992年よりペシャワール会の事務局長、副会長を務め、2015年ペシャワール会会長に就任。
中村哲医師(PMS総院長、ペシャワール会現地代表)の後を継ぎ、2019年12月よりPMS総院長に就任、ペシャワール会会長を兼任する。
中村医師との公私にわたる交友は46年におよび、ペシャワール会発足当初から一貫して活動を支えている。

*PMS:ピース ジャパン メディカルサービス(平和医療団・日本)

中村哲医師によって創設されたアフガニスタン現地事業体

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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