エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【441】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【441】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2026年1月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めて暮らしたい

『光る君へ』は二〇二四年のNHK大河ドラマだが、私は二〇二五年の昨年も録画したビデオで一年間ずっと観ていた。
まず、四十三分×五回に編集された総集編を一昨年末の放送時を含め、計三周観た。
次に、本編全四十八回を改めて一周観た。
それから、四分冊に全編を完全収録したシナリオ集を通して読んだ。これはデジタル書籍でのみ発売されたものだ。
そのうえで、今度はシナリオを手に本編ビデオを再生し、一時停止したり、巻き戻したりして、実際に放送されたドラマとシナリオとの相違を逐一突き合わせながら、もう一周観たのだった。
総集編は単なる抜粋版ではなく、本編を観た人にとっては別バージョンとして楽しめる工夫がなされていた。
まず物語の枠組みが、本編はナレーターによる進行だったが、総集編では紫式部自身が語り手として晩年に人生を振り返るという形式に編集しなおされていた。
そのために、紫式部役の俳優・吉高由里子によって、総集編のための場面撮影とナレーション録音が、本編とは別に追加で行われている。
そして、特に興味深いのは、最終部が本編と総集編で異なっているところだ。本編で紫式部は書き上げた家集(歌集)を娘に託して旅に出たが、総集編ではその巻頭歌を旅の途中で創作している場面がラストシーンになっている。
この巻頭歌は『光る君へ』を観た人にとって、あることを暗示していると思わせる、このドラマの秀逸な創作ポイントのひとつだが、総集編はそれをより強く感じさせる表現になっている。
シナリオと本編ドラマの相違については、かなり多いのが場面の順序。セリフやナレーションの省略も少なくない。場面まるごとカットもある。
場面の順序が所々変更されているのはなぜか。それぞれに理由があるのか、いずれも共通の方針によるものなのか。
省略は、演出上積極的にカットされたのか、あるいは放送時間に収まらないからやむなくカットされたのか。
それは撮影段階でカットされたのか、撮影はされたものの編集の際にカットされたのか。
いずれにせよシナリオからカットされた部分には傾向があるようだ。
概して、説明的なセリフや場面、感情や思考を表わす内心(俳優本人によるナレーション)、ナレーターによる追加情報や歴史に関する補足説明がカットされている。
つまり、観る者に想像や自習や考察をさせ、解釈の多様性をゆるす余白を持たせるのが制作陣のねらいらしい。
シナリオを読むと、ト書き(とがき)や、完成したドラマでは省略された部分から、脚本家・大石静による本来の意図、登場人物の内面の一端が垣間見えておもしろい。
また、カットされた中には、まひろ(紫式部)の弟の乳母〈いと〉が、姉弟の父である為時と男女の関係があったことをまひろに思わず明かしてしまったセリフがあったりして、『光る君へ』好きにとってシナリオ集は必読。でしょ?

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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