エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【186】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【186】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2006年10月16日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

日本人論の本は多い。特に、経済が調子のいいときや、逆に自信を失っているときに多いようだ。「日本人論好きの日本人」と言われることもあるが、人は得てして自分のことに一番関心があるものだから、これは何も日本人に限ったことではないのだろう。
アメリカ人もアメリカ人論が、中国人も中国人論が、いかにも好きそうではないか。もっとも、アメリカ人にとってはアメリカ人が、中国人にとっては中国人が、「人類のすべて」かもしれないが(笑)。
それもまあ、ステレオタイプな偏見だとして、日本人論には逆に「日本人だけが違う」というパターンがあり、これは自虐にも自賛にも使われる。自虐なら、例えば「こんなことをしているのは世界中探しても日本人だけですよ」という言いまわしがあって、このあとに「遅れている」や「恥ずかしい」というニュアンスを込めた指摘が続く。
自賛なら、「四季がある日本人独自の繊細な感性」なんて言いまわしがある。でも、地球は球体だから、気候に変化がある国は決して例外ではない。あたりまえの話だ。ところが、「日本だけに四季がある」と安易に口にする人がいるのは不思議である。

「四季」は日本語だから日本にしかないという冗談はさておき、年中暑いか寒い国以外は、分け方や呼び名、数は別にして、季節はどこにだってある。また、アメリカ(中国)人だって、「こんなことをするのはアメリカ(中国)人だけだ」と自省(あるいは意見を異にする人を批判)することもあるに違いない。
ところで、「日本人による日本人批判」にこんなのがある。海外での大きな事故が日本で報道される際、「日本人被害者はいませんでした」とアナウンスがあることを指して「日本人であろうと外国人であろうと被害に遭った人がいるのに、日本人の安否にしか関心がない。日本人被害者さえいなかったらいいという感覚は国際社会では……」と批判するものだ。
でもこれは、お決まりの「難癖付け」としか言いようがない。日本で流す海外の事故のニュースで日本人被害者の有無を伝えるのは当然ではないか。当該地域に家族や関係者がいる日本人もいるのだ。日本人以外は被害に遭おうがどうでもいいなんて、そんなこと誰も思っちゃいない。

 

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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