エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【437】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2025年5月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
「人生を変えたこの一冊」なんて大層な本は、私にはない。
こんなにたくさんの本を読んでいるのに。いや、それゆえに、か。
ただ、自室の棚に並んでいる本の中には、この本はいつどこで買ったとか、この本はどんな状況で読んでいたとか、憶えているものがある。
『小島信夫全集』全六巻を購入したのは、河原町今出川上ル東側にかつてあった古書店、善書堂だった。
インターネットのない時代に、東京神田の古書店街への遠征も含め、長年探していた。
Aさんとのデート中、たまたま通りかかったので「ちょっとだけ、いい?」と入った際に見つけた。
デートは急遽そこで終了。本を抱えて一人、タクシーで帰宅したエピソードは、十年ほど前にこの連載で書いた。
ちなみに、この古書店は本を担保にお金を貸す質屋もやっていた。
安部公房の『笑う月』は、毎年お盆に開催される「下賀茂納涼古本まつり」の記念すべき第一回で買った。
百万遍の知恩寺や岡崎の京都市勧業館で開催される古本市に続き、昨年で三十七回を数える恒例行事になっている。
職場の同僚Bさんと二人で仕事帰りに私の自家用車ででかけた。
夢にまつわる掌編をまとめた作品集。文庫本ではなく一九七五年刊の元版で、B5判の大きなサイズ。函入。安部真知の挿絵、ゆったりとした文字組の素敵な装幀だ。
彼女はその後しばらくして仕事を辞めた。故郷に帰ると言って。
小玉和文『スティルエコー 静かな響き』は、Cさんと南紀を温泉旅行した際、乗り継ぎの待ち時間が長かったので、駅前をまっすぐに伸びる通りをあてもなく歩いていた時に通りかかった小さな書店で買った。
小玉和文は私が好きなバンド、ミュート・ビートのトランペット奏者で初の著書。出版について知らなかったので、旅先の書店の新刊棚で目にして驚いた。旅行中の楽しみが増えた。
また、Cさんと黒部峡谷のトロッコ電車に乗って温泉めぐりをしたときに鞄に入れていったのが『安部公房の劇場』(ナンシー・K・シールズ著)だった。作家の演劇活動を取材したルポルタージュだ。
峡谷の露天風呂に入浴している彼女の横で、大きな岩に座って私はその本を読んでいた。
Cさんとの旅行はすべて温泉だった。が、これが最後になった。
書店での出来事についての記憶もある。
四条河原町上ル西側にあった今はなき京都書院バージョンB。二階へあがる階段脇に、マイナーな映画の上映会や小劇団の公演などのビラが所狭しと置かれていて、よく行った。
ある日、書棚を眺めていたら、丸坊主のふんどし一丁で、全身を白塗りにした前衛舞踏集団「白虎社」の何人かが、公演の宣伝のためにパフォーマンス行進をしていた表通りから店内になだれ込んできたことがあった。
悲鳴をあげ、ざわつく客に彼らは身体を奇妙にくねらせながらビラを手渡してまわった。店側の許可は事前にとってあったのだろうが(なかったりして)、今なら完全にアウトだな、なんて思い出したりする。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)