エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【433】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【433】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2024年9月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めて暮らしたい

源氏物語は、しばしば「奇跡」と形容される。
世界の各地域で説話的あるいは短編連作的な文学作品が創作された何百年も前に、近現代の読者を感嘆させるリアリティや洞察、入り組んだ展開、持続的・統一的な構造を持つ長編小説――その最初で、かつ最上の作品が、今どきの言葉でいう「爆誕」したのだから。
ポストモダン小説的な趣向まで見られるのには驚くばかりだが、モダン小説を飛び越えた千年前に書かれたのだから、源氏物語が一周まわってポストモダン小説的なのはむしろ当然か。
ここで、手近にある蔵書から「奇跡」との評言を実際に拾ってみよう。
明治から大正にかけて初めて源氏物語を現代語訳した与謝野晶子はこう言っている。「西暦十世紀の世界に、ことに僻遠な東方の日本に生まれた一女詩人の遺した功績として、まことに奇蹟的の事実といわねばならない」(「紫式部新考」、雑誌「太陽」初出)。
源氏物語の完訳英語版を一九七六年に出版したエドワード・ジョージ・サイデンステッカーは「(先にも後にも並ぶものがなく、日本文学の最高である)『源氏』は一つの奇跡」(『日本古典文学全集 土佐日記・蜻蛉日記』月報26、小学館)だと言う。
欧米の近代文学にも日本の古典にも詳しい(私も愛読する作家)中村真一郎は「『源氏物語』は世界文学史上の奇蹟である。紀元十世紀から十一世紀に移る頃、(西欧や中国、アラビアでも)長編小説というジャンルの意識は発生していなかった」(新潮文庫『王朝文学』、一九九三年)。
こんなふうに、源氏物語「奇跡」発言はいくつでも見つけられる。「奇跡」なんて安易な語で片づけるのをよしとしない一流の言葉の使い手たちが一様に口にしているのだから、そうとしか言いようがないのだろう。
「奇跡」を国語辞典で引くと「実際に起こるとは考えられないほど不思議な出来事」とある。別の辞典には「特に、神などが示す思いがけない力の働き」とも。
鎌倉時代初期の評論集「無名草子」には既に、源氏物語は「誠に仏に申し請ひたりける験(しるし)にやとこそ覚ゆれ」(仏に祈り請願した効験が現われたとしか考えられない)と記されているが、このような世界観がやがて、紫式部がどこやらの寺院に参籠して源氏物語の着想を得たという伝説へとつながったのかもしれない。
源氏物語が書かれて二百年ほどのちに、何らかの思惑もしくは不作為により、出所や文脈の異なる複数の伝承や憶測やイメージが混交し、さらに具体的なディテ-ルが「盛られる」ことで伝説は肉づけされ、整えられていったのだろう。
起筆伝説以外にも、紫式部は淫らな絵空事を書きちらした罪業により地獄に堕ちて責め苦にあっているとか、その裏返しで、創作により衆生を浄土に導く観音さまの化身であるとか、人々は彼女について様々に語り伝えてきた。
これらは「奇跡」をこの世に位置づけるために我々凡夫が必要とし、共有した物語なのだろう。源氏物語とは対極のありふれた物語であるが。
紫式部は後世の評価や伝承をあの世でどう受けとめているのだろうか。

MK新聞について

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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