エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【444】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【444】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2026年7月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めて暮らしたい

仮にGさんとしておく。
古い日記が出てきた。日記をつける習慣はなかったので、これ一冊しかない。
ページを開くと、七月二十日で終わっている。やはり続かなかったのだろう。
一九八三年。なぜ、この年に限ってつけていたのかというと、この日記帳を気に入って買ったからだ。
一月二日、初詣に伏見稲荷大社へ誰かと二人で行っている。だが、それが誰かは思い出せな
い。
名前を書く必要がなかったのだろう。そのときの私にとって、それがGさんであることは自明のことだった。
いつか日記を読んで、これが誰かわからない日が来るなんて、思ってもいなかったに違いない。
一九八三年という手がかりから推測できそうなものだが、仲のいい女性「友だち」は何人か
いたので確信が持てない。
思い出せないからか、Gさんが誰だったか逆に気になる。
少なくともどちらかが誘ったのだ。初詣に。
この日記を書いていなかったら、そしてこの日記が出てこなければ、私の人生にはもうGさ
んはいなくなっていた。
Gさんは憶えているのだろうか。一九八三年一月二日、私と二人で伏見稲荷大社に初詣に行ったことを。

うら恋しさやかに恋とならぬまに別れて遠きさまざまな人

ここで若山牧水のよく知られた歌を引くのはベタ過ぎるか。
ただ、こうして散文で書くと薄いエピソードも、短歌という器ならそこに美しく留められるものがあるように思える。
こんな人気の歌もある。

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)

あなたにとってはある日一日のできごとに過ぎないかも知れないけれど、私にとっては一生の思い出です、と。作者は栗木京子。
Gさんは忘れてしまっていたとしても、私は今、こうしてあなたを思い出す機会が与えられた。
ところで、私は現在もそのころと同じ家に住んでいる。伏見稲荷大社の近くで、当時は初詣以外の時期は、千本鳥居などは閑散としていたことを思い出す。
少し薄暗く、人とすれ違うことがほとんどないので、怖いくらいだった。十数年ぐらい前までそうだった。
千本鳥居を横切り、本殿脇を通過するのがお気に入りの散歩コースで、時おり歩いている。
近年、千本鳥居は満員電車なみの混雑で、散歩にふさわしいとは言えないのだが、なぜ好きこのんでそんなところに向かって歩くのかというと、世界中のさまざまな地域の人々が集っていて、誰もがとびきりの笑顔で、本当に楽しそうだから。
その中を歩くだけで、自分も晴れやかな気分になれる。私のスマイルスポットだ。

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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