エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【443】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2026年5月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
また前回の続き。『光る君へ』で紫式部が源氏物語をまさに起筆する瞬間をテレビドラマとしてどう表現するのか。目には見えない脳内のひらめきを映像化するのは難しかったに違いない。
紫式部が書き始める決心をし、自邸の机に座って、墨をする。筆を手にし、白い紙に向かって意識を集中する。
書く目的、主題、構想、設定、展開。これまで経験したことや感じたこと、考えたこと。人に聴いた話。社会や政治のありよう。宮廷の日常。生老病死。読み親しんだ漢籍、本邦の物語の数々……。
言葉が、想念が、彼女のまわりを舞う。
そしてその時がくる。
放送された映像が、果たしてこれ以外にない、これ以上はないと言える表現だったかどうか。その評価は保留するにしても、紫式部による偉大な創造の瞬間を真向から描こうと、絵になりにくい場面であるにもかかわらず挑戦したところに、私は『光る君へ』の作り手たちの矜持を感じた。
というのは、紫式部が源氏物語を起筆した経緯と言えばしばしば言及される、とある寺院やその信仰の功徳を説く――絵になるあの「伝承」に、安易に乗っかることをしなかったからだ。
想像だが、この点についてはプロデューサーや演出家、脚本家のあいだで企画当初の段階から話し合って決めていたことではないか。
源氏物語は観音様が着想をもたらしたのではなく、あくまで平安時代を生きた一人の女性、人間・紫式部が創造したものだと。
とはいえ、大河ドラマを一年にわたって盛り上げていくためには、「伝承」で著名な寺院にも関連のイベントや広報番組その他で協力してもらわなければならない。
紫式部が影響を受けた蜻蛉日記の作者・藤原道綱母との出会いの場として、さらに源氏物語の主題に関わる紫式部の不義密通の現場として、二度もドラマの重要場面の舞台にその「伝承」地を設定したのは、オトナのおつきあいなのだろう。
あるいは、源氏物語ゆかりの地として偶像を求めた庶民の歴史ロマンを尊重してのことか。
さて、ドラマは源氏物語を書き終えた後の紫式部も丹念に描いた。人類にとって彼女は源氏物語の作者だが、彼女にとって源氏物語がすべてではない。人生は続くのだ。
燃え尽きた。必要とされなくなった。自分は他に何があるのか……。
それは、例えば定年や引退など、晩年に大きな節目を迎えた現代の一般人でも、誰もが直面する問題だろう。
ところで、紫式部の自邸に吊り下げられたままの、小鳥が逃げて空っぽになったかごが、第一回から度々クローズアップで映されていた。
その時々にかごが象徴したのは、家であり宮中であり平安京であり、また身分であり男性社会であり、執筆中は源氏物語も、言わば藤原道長も、結局のところ自分自身でもあったのだろう。
最終回で、朽ちて落ちたかごを紫式部は処分する。そして、小鳥のようにかごから解き放たれた彼女は最後の旅に出る。
武士の時代という嵐が近づいていた。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)
本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー
MKタクシーのオウンドメディアであるMKメディアの編集部。京都検定マイスターや自動車整備士、車載広報誌のMK新聞編集者、公式SNS担当者、などが所属。京都大好き!旅行大好き!歴史大好き!タクシー大好きです。
