エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【220】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【220】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2008年3月16日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

『広辞苑』(岩波書店)の改訂版が十年ぶりに発売されたが、記述に誤りがあるという指摘が「相次いでいる」という。
報道によると、これまでに明らかになったのは三か所。そのうち一つは、一九五五年の初版以来の誤りらしい。
別に擁護をするつもりはないが、出版物に誤りはつきもの。本好きのあいだでは、文学などは初版本が珍重されるが、辞書は内容の誤りや誤植が修正されて増刷を重ねたものを(待ってから)買う方がいいと昔から言われている。

もちろん、ミスのないよう製作者は努めなければならないが、辞書の世界ではこれまでにも一般的にあったことを、わざわざ昨今のクレイマー的風潮を煽るかのごとく、「驚いたように」報道するのはどうかと思う。
そのうち、『広辞苑』の「規範神話崩壊」「もう、何を信じていいのかわからない」などと騒ぎ出すのだろうか。

ところで以前この欄で、書名を間違った“珍品”をご紹介したが(小学館文庫。ジャケットの表は『大蔵省権力闘争の末路』となっているのに、背は『大蔵官僚権力闘争の末路』)、最近手に入れたばかりの二冊の本にも“大胆な”ミスがあったので、ついでにここでご紹介しておこう。
一冊は、二月十六日に買った古本で『現代の文学10 藤枝静男・秋元松代』(講談社)。
表紙と本文が天地逆さまに製本されていた。実は、このことに初め気づかなかった。本を読んだ後で函に戻す。
次に読むときに函から本を抜く際、「あっ、逆向きに入れてた」と一瞬思って、向きを変えて読み始める。
読み終わって本を閉じると、そのまま函に入れる。次に読むときも、「あっ、また逆向きに入れてる」。「ん?」と本を抜き、ページを開いて引っ繰り返し、改めて表紙を見たら、あーら逆だった!というわけ。

もう一冊は、三月八日に購入した秦剛平著『乗っ取られた聖書』(京都大学学術出版会)。
「あとがき」の日付が二〇〇七年六月なのに、奥付の発行日が二〇〇六年十二月十日になっている。他にも「はじめに」に「去年(二〇〇六年)の九月に」という記述があるから、奥付の方が誤植なのだろうと思ったが、本の出版年は重要なので念のため出版社に電話してみると、「奥付が正しい」ということだった。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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