エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【425】|MK新聞連載記事

よみもの
エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【425】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2023年9月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

ロシアによるウクライナ侵攻に関するニュースや、真夏の恒例となった戦争関連ドキュメンタリー番組が、テレビで連日放送されている。
今回はそれにあわせて、蔵書の中から古書店で手に入れた戦争に関する書物をご紹介する。
B5判、本文八十二ページ。表紙には「遺族読本 第二集 京都市刊」とある(漢字は新字体に改めた、以下同)。
研究者ではないので、この冊子発行にどのような背景があったのか、私にはわからない。
非売品。扉に「此の一篇を御遺族の皆様に捧ぐ 京都市」と記されている。
どうやら、兵士の遺族に京都市から贈られたもののようだ。
奥付によると「昭和十七年三月三十日発行」、発行所は「京都市役所」。
編集人兼発行人である西田季雅の肩書は「京都市防衛部軍事課代表者」。当時の京都市長である加賀谷朝蔵は表紙題箋を寄せている。
内容は、歌舞伎の読みもの四篇(執筆・食満南北)で、巻頭カラー口絵が別丁四ページあり。
序文を一部引用する。
「昭和十六年十二月八日。それはどんな日でありましたかは、今更らしく申上ぐるまでもないと存じます。さればこそ、大詔は渙発されました。彼等米英の永きに渉つた東亜侵略の迷夢も全くさめ果てゝ、今日ではひそかに悔悟してゐることゝ存じます。是全く大稜威によるところであります。さうしてわが陸海空の勇士の「忠義」の賜物でなければなりませぬ。「銃後」も亦銃後としての勤めに盡されて来たあらはれに外なりません。私は此國に、その「忠義」を昔よりの「歌舞伎」に求めたいと存じます。それに就て、豫備智識など申上ぐる程のことでは御座いませんが、「歌舞伎」といふものに是迄関心を持たれなかつた方々の為に、その濫觴を申上げて置くのも全くの無駄ではなからうと存じます。(中略)「忠義」を描いたものをのみ選んで都合上種々のお物語を致さうと存じます」
もちろん、当時、この小冊子に少しでも慰められたという遺族もいらっしゃっただろう。
しかし、一方で、わが息子や兄弟の戦死を類型的な「忠義」の物語になぞらえて受容するよう、なんで御役所なんぞに諭されなければならないのか。
そう感じた遺族もいらっしゃったのではないだろうか。
そもそも「遺族読本」という書名からして、ふざけている。遺族のための
教科書だなんて。国家にとって清く正しい遺族になるための。
京都市民が悲嘆のなかで『遺族読本』を受け取った日から、まだ百年も経っていない。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

この記事が気に入ったらSNSでシェアしよう!

関連記事

まだ知らない京都に出会う、
特別な旅行体験をラインナップ

MKタクシーでは様々な京都旅コンテンツを
ご用意しています。