ペシャワール会・中村哲医師のアフガニスタン報告|MK新聞2008年掲載記事

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ペシャワール会・中村哲医師のアフガニスタン報告|MK新聞2008年掲載記事

MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。

MK新聞2008年3月1日号と3月16日号の掲載記事の再録です。
原則として、掲載時点の情報です。

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ペシャワール会・中村哲医師のアフガニスタン報告

中村哲医師の講演 飢餓と渇水に無力な医療人

2007年11月25日、京都ノートルダム女子大でペシャワール会現地代表の中村哲医師の講演会がありました。
2001年から恒例となっているこの会場で、約700名の聴衆を前にユーモアを交えながら、訥々と語られました。以下、講演会の報告をします。

中東アジアの国アフガニスタン(以下アフガンともいう)は、面積約65万k㎡、日本の約1.7倍、人口は約2,500万人。宗教は100%近くがイスラム教徒、ごく少数ですが、ヒンドゥ教徒、仏教徒、キリスト教徒もいます。
気候は大陸性で、夏は猛暑、冬は酷寒というところです。
面積は日本の1.7倍とはいえ、国土の真ん中に6,000mから7,000m級の山々が林立するヒンドゥークッシュ山脈を抱えている、文字通り山の国。
高い山、深い谷のこの地は交通の便は悪く割拠性が強く、地域の自主性のもとにそれぞれの地域をそれぞれの勢力が治めています。
部族共同体の中で社会を律し、個人をつなぐ要の役割をイスラム教が果たし、我々がイメージする中央集権的な国家とは異なる実態があります。

アフガンでは、遊牧民も入れると人口の9割以上が農業に携わり、自給自足の農業を乾燥したこの地で支えているのは雪です。
アフガンでは「金はなくても食っていけるが雪がなくては食っていけない」ということわざがあるくらいです。
しかし近年は雪が減り、2000年夏からは大旱魃がアフガンを襲いました。
以来、ペシャワール会の活動は医療と平行して、農業復興のための水対策が大きな比重を占めることとなりました。

飢餓と渇水を前に医療人はあまりにも無力でした。
大旱魃以来、「とにかく生きておれ、病気は後で治す」と水の確保に走ることとなりました。
飲料水を得るための井戸の再生1,500本、農業用灌漑用水37ヵ所、そして自然災害との戦いに明け暮れる用水路の建設へと規模は拡大していったのです。

その間、2001年9・11があり、旱魃に対する支援があるかと思いきや、10月からはアメリカによるアフガンへの空爆開始、11月にはタリバン政権は崩壊した。
この空爆の最中、ペシャワール会は「アフガン命の基金」を立ち上げ、小麦と食用油を送り続け、診療所を維持しました。

この6年間、「アフガニスタン復興のため」の名の下に外国から持ち込まれた自由とデモクラシーがもたらしたもの、それは(評価は別にして)非常に厳格な宗教至上主義であるタリバン政権では絶滅していた芥子の栽培が復活、世界の93%を栽培する麻薬王国となり、カルザイ政権をして「使う者がいるから」と言わしめています。
一方、何に対する自由かというと、売春の自由、寡婦が該当で乞食をする自由、農民が餓死する自由、ずるい政商になる自由、貧しい者がより貧しくなる自由なのです。

このような中で我々ペシャワール会は食料の自給率向上に向け、荒地に合う作物を探るため試験農場を開設し、さつまいも、お茶、飼料等の改善を試みました。
これらは米、小麦、大豆、蕎麦等とともに安定した収量が得られる技術が実践されつつある。こうして農業復興のための三大方針、すなわち、試験農場、飲料水源事業、灌漑用水事業は進展をみたのです。

用水路通水時の様子を見守る中村哲医師(ペシャワール会HPより)

用水路通水時の様子を見守る中村哲医師(ペシャワール会HPより)

 

1984年に「らい(現在はハンセン病)コントロール5ヵ年計画」から始まった医療事業は、他の病が多発し、感染症の巣窟とも言えるアフガンの無医地区では実情に合わず、現在は、一般診療しながら、そのうちの一つとしてハンセン病を捉えています。
当初、設備としては、ベッド数16床、足は1本折れ、押すと倒れるトロリー、ねじれたピンセット、耳にはめると怪我をする聴診器が1本、これが全て。
ここからスタートした医療活動は、アフガン北東山岳部に3つの診療所を設立、1998年には基地病院をペシャワールに建設(基地病院はイラン、パキスタンで300万人とも言われる難民を強制送還させるという国家の方針に伴う諸事情により、ジャジャラバードに移転)、その後改善を重ね、現在ではハンセン病については、パキスタンの北西辺境州全体、パキスタンの北部全体、アフガン全土で唯一、ここに送りさえすればなんとななるという病院にまで発展しました。

23年にわたるパキスタン、アフガニスタンにおける活動で思わされたこと、それは、自分たちにとって見慣れないもの、違うというだけのものを、優劣とか善悪という範疇で見ないということ。
そして「金さえあれば幸せになれる」「武力さえあれば身を護れる」という世界中を席巻しているこの二つの強力な迷信から自由でいられることです。
お金や地位を持てば持つほど、失うまいと人間の顔は暗くなるのです。アフガンの貧しい人々の明るい顔、決して暗くはないのです。
また、1992年ダラヌエール診療所が襲撃された時、職員に「死んでも撃ちかえすな」と報復の応戦を止めたことで信頼を得、安全に丸腰のボランティアが続けられるのです。私たちの安全保障は地域住民との固い絆なのです。

医療活動に始まり、農業復興のための水源確保の水路建設事業にまで及ぶ私たちの事業をサポートしているのがペシャワール会です。
この、組織としてはあるかないかのような会の会員は約1万2,500名、支援者を含め2万人もの人々の会費と募金により、年間予算約3億円にも上る事業の全てが行われています。

現地事業は、現地の民衆に必要とされるものを汲み取り、野心や利害、対立や矛盾を超え、日本と現地の人々との共通の良心の協力があればこそできるのです。情けは人のためならず、助けられたのは自分であり、助けることは助かることでした。

山岳部で診療する中村哲医師(ペシャワール会HPより)

山岳部で診療する中村哲医師(ペシャワール会HPより)

 

質疑応答 復興資金の3割だけがアフガンに

Q1.他民族が暮らす中で言葉の壁を越える方法は?

A.現場に抛り込むのが一番。半年もすれば不思議に自然に覚えます。ペルシャ語、ウルドゥ語、パシュトゥン語。英語は使いません。
宗教や政治の話はしない。皆同じ人間であり人間は神様によって創られたという思いの中、人間が神を創ったとなると顔色が変わりますが、宗教、文化を理解すれば難しいことではない。

Q2.雪山の雪がなくなってきた原因は地球温暖化だけか?

A.1978年の雪線は3,200m、2007年は4,000m。
温暖化により春の高温化による大洪水、モンスーンの減少これらによりネパールでは洪水が起き、ヒンドゥークッシュは雨が降らないという状況です。

Q3.対テロとの戦争を支援してきた日本に対する現時点での認識は? また、平和憲法についてどう捉えているか?

A.対テロ戦争の実態が分かっていない。テロ=殺人ということであれば米軍もテロリスト。9・11のことは、口には出さないが、天罰と捉えている。9・11の10倍の人が空爆で死んでいる。
日本については、どんな辺境の地でも、日露戦争に勝利したこと、広島、長崎に原爆が投下されたことは知られている。
小さな日本が大国ロシアをやっつけた。また、原爆投下されたにもかかわらず復興し、経済大国となった。そして経済大国であっても戦争をしないという、平和憲法というか非核三原則については評価されている。

Q4.感慨事業のおかげで難民の帰還が可能になったとはいえ、パキスタンが行っている強制送還に対処できるか? 国内難民にならないか?

A.300万人の難民のうち、1割を返した。アフガニスタンで食べられないからパキスタンへ流れ難民生活を送っていたのに、難民キャンプを焼き払うなどして強制送還が行われたが、現在は、両国の話し合いにより強制送還は少し緩くなっている。
カブールは、農村では食べられないので日当を求めてくる人々もあり、人口は500万人にふくれ上がっている。
このままではスラム化し、春には難民の行動により治安の悪化が懸念され、NATOは兵を8万人に増強している。

Q5.現在のアフガニスタンの医療状況は?

A.看護師の養成など、少しずつ力を入れている。日本やアメリカなどの豊かな医療制度をそのままコピーし、資格ばかり強化している。資格を得ると高収入を求めるようになる。
産院が少ない、器械がない、分娩室がないなど、現状に見合った状況ではなく、ペーパーワークが叫ばれ実技が伴わない。
これまで実質医療を支えてきたのは薬屋さんである。農村では分娩は自宅であり、欧米のモデルをコピーしようとしていることに無理がある。

Q6.30年前アフガニスタンに行った時、工芸品等を見ても、豊かな国という印象でしたが、今の状況は?

A.金はないが、農業は豊かで、貧しい国ではなかった。しかし、このまま温暖化が進めば旱魃は止まらない。用水路、井戸、緑を取り戻すのが先。
一番悪いのは、外国人が入ってきて、自分たちの考えを押し付けること。部族による内線はアフガンが解決。アフガン人がアフガンを決めるべきだ。
2002年東京の復興支援会議におけるアフガン支援額は45億ドル。5年間でアメリカが使った軍事費は300億ドル。
「この金が復興に使われていたら、復興は進んだであろう」と政権自体が述べたと言われている。

Q7.アメリカの報道では、報道関係者及び民間人が行けるのはカブール周辺だけで、他は危ないと伝えられている。

A.報道の自主規制もあり(関係者が被害に遭うと社が非難されるから)、現状が伝わっていない。
旅行関係者がひょろひょろ歩くところではないが、米軍にとって危ないところが危ないとは限らない。
兵が幼いから、ひげ面を見ると発砲したり、禁酒のイスラム圏で装甲車の上でワインをラッパ飲みし、瓶を通行人に投げるなど、兵のモラルは低下している。外国兵に近寄らないこと。
習慣を理解し、現地の人に自分たちがどう見えるか考え、長老の理解を得ることができれば、大規模な戦闘の中、流れ弾に当たる危険はあっても、やみくもに危ないというところではない。

護岸用の蛇籠を修繕する中村哲医師(ペシャワール会HPより)

護岸用の蛇籠を修繕する中村哲医師(ペシャワール会HPより)

Q8.用水路や井戸を現地の人で造れないか?

A.井戸掘りは深くなると個人的にはできない。農民には財政的な基盤はなく、金不足のところを助け合い、補っている。
用水路については国家レベルの問題だが、あの貧しい中では無理。国がしないから我々がやっている。
日本も江戸時代には、人力、牛馬がメインだった。蛇籠を使う工法は周辺に技術が定着したので、補修は可能だ。百姓と医者で造った。
自分たちの持ち物という意識が連帯感を強める。自分たちでできるなら(我々が)行く必要はない。

Q9.基地病院のパキスタンからの撤退についてショックを受けている。

A.内容は変わらないのでショックを受ける必要はない。
アフガン東部とパキスタンの国境沿いで医療活動を続けて23年、基地病院は政府に認可され、ハンセン病を柱にアフガン難民の一般診療を行ってきた。
9年前には、ハンセン病患者のための社会福祉法人として北西辺境州認可の合法的位置も得た。
しかし今年5月パキスタン政府から出された改善命令は、難民支援機関でありながら州の福祉法人とする二重登録は違法であるとか、政府が認める正規の医師、看護師を置き、管理者もパキスタン人にせよ等であった。
また、それまで1~3年発給されていた入国ビザが2週間しか許されず、病院の実質的な管理が不可能となり、アフガン側に場所を移すこととなった。場所が変わるだけである。
元々患者の半分はアフガン人で、彼らの国境を越えてやってきていた。

Q10.アメリカについて。日本政府もいいとは思っていないが、強いから仕方なしに逆らわない立場をとっているのか?

A.それは福田・小沢両氏に聞いてください。
アメリカがいないと成り立たないという妄想の上に、人殺しまで正当化することがどういうことか、真の友好国なら止める。
日本人が誇りを持って堂々と生きていけばアメリカともうまくやっていける。日本の文化まで否定し、博物館入りさせ、51番目の州にどうかと国民投票してもらいたい。

Q11.アフガン、パキスタン、ペシャワール会の医療並びに日本人スタッフについて。

A.アフガンも基本的には日本の医療と変わらないが、器具や薬品が少ない。
ペシャワール会の医療活動は、無医地区に出すこと、及び、ハンセン病等、人が診たがらない病に対処すること。一般的に医者の確保が難しい。
腕が良くなると、より以上の待遇を求めて出ていってしまう。医療人のモラルを持った人が少ない。純真な人を一から育てるようにしている。モラルは日本人の方が高い。
30~40年前の日本の医療、理学的で当たらずも遠からず、つまり当たる。
お金を使わない医療。たとえ誤診率が少し高くなっても、五感を使っての診療、職人としての医師が求められる。

Q12.カルザイ政権は9割が農民という国で、用水路に力を入れないで何に力を入れているのか? アフガンの将来は?

A.(首都から)遠くにいるので見ていないが、カルザイは自分が思うようには使えないのではないか。
東京の復興支援会議で決まった45億ドルにしても、7割は国連等の団体、アフガンが使える額は3割である。
国連やNGOが考える成果、つまり、出資国の国民が拍手喝采しそうなことへの援助が優先される。外国人の意図により動かされているところがたくさんある。
自国民(出資国の)を喜ばすのではなく、アフガン人のための援助であってほしい。
学校、寮があるマドラッサで宗教も含め学び、皆で見るという国民教育に力を入れている。

Q13.旅したイランでアフガン難民のハザラ人に会った時、パシュトゥン人(タリバン)に対して悪感情を持っているようでした。他のアフガン民族における意識について。

A.タリバンは国粋主義であり、パシュトゥン人が中核を占め、他の民族に機敏過ぎた感はある。
ハザラに対しても然り。パシュトゥン人は概ねタリバンに好意的である。パシュトゥンでも親米派は反タリバンである。
下級兵士や農民、一般人は他民族に対する偏見はない。少数派のタジクが権力を握ると、往々にして偏見を持ちがちであり、宗教至上主義の人に対抗する宗教を弾圧する傾向にある。
パシュトゥン対少数民族という単純な図式ではない。

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、35年間にわたってMK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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