フットハットがゆく!【356】「虫送り」|MK新聞連載記事

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フットハットがゆく!【356】「虫送り」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、塩見多一郎さんのエッセイ「フットハットがゆく」を2001年11月16日から連載しています。
MK新聞2023年8月1日号の掲載記事です。

虫送り

京都で7月中旬といえば祇園祭ですが、まさにその時期、僕が移住した小さな村では「稲の虫送り」という伝統行事が行われました。伝統行事といっても、村の過疎化により規模は縮小の一途を辿り、参加者は村人数十人。何とか伝統を守ろうと若い衆(といっても五十代)が呼びかけ、今年は参加者約80人まで回復しました。

どんな行事かと言いますと、日が暮れたあと、村人が一人一本の松明を持ち、真っ暗な田畑の道を練り歩く、というシンプルな内容です。農作物の豊作を願う行事とされています。僕は村人の一人として「虫送り」の様子を映像に収めて記録する役でしたので、編集のために色々と調べました。

「稲の虫送り」が始まったのは江戸時代初期(もしくは戦国時代)で、この村の米が美味いと評判になり、殿様に献上することになったことがきっかけになります。当時は、ニカメイチュウというガの幼虫が稲につき食い荒らすことがよくあり、害虫に食われた米を差し出すわけにはいかないと、その駆除方法が考案されました。ガは夏に大量発生し、夜行性で明るいものに集まる習性があります。真っ暗な夜に松明を焚き、川上から川下へ炎をリレーしていきます。その過程でどんどんとガが集まり、松明の炎に飛び込んで焼け死んで行くのです。まさに飛んで火にいる夏の虫、とはこのことです。炎に引き寄せて稲につく虫を下流に送って行き退治するということで、「稲の虫送り」という名が生まれました。

虫送りは実質的な害虫駆除方、夏の伝統行事として昭和まで続きました。戦後、農業の形が大きく変わりました。ニカメイチュウというガは、刈り取られた稲、ワラに卵としてくっついて越冬し、翌年に成虫として羽化します。しかし、近代化が進み、ワラを使う生活というのがほとんどなくなりました。ニカメイチュウは越冬できずに、翌年に大量発生することはなくなりました。また、農薬の出現により、害虫は農薬で駆除する、ということが当たり前になりました。こうして、かつては多くの村で行われていた虫送りは、「実質的に意味がない。」ということでどんどんと消えて行きました。僕の住む村だけは「豊作祈願」の行事として現代まで残りました。

しかし先に述べたように、その伝統行事も風前のともし火のごとく消えかかっていました。僕自身は最近移住した身ではあるけども、この虫送りを後世に伝えることに非常に意義を感じています。昔は川下に虫を送り駆除する、という意味の虫送りでしたが、農薬がその役に取って代わった今、人間の都合で殺された虫の魂を天国に送る、という意味の虫送りとして、存続すべきだと思います。一寸の虫にも五分の魂、です。人間の一方的な都合だけで虫を殺し続けたら、いつかしっぺ返しが来ることでしょう。農薬で土地を汚染し、生態系を破壊しまくる、そんな現代社会への警鐘という意味でも、虫送りの行事を継承していくことに意義を感じています。

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