あなたはいくつ分かる?京都観光に関する漢字の間違い探し20問

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あなたはいくつ分かる?京都観光に関する漢字の間違い探し20問

京都の寺社などの観光に関する漢字表記について、よくある誤字がいくつかあります。一目で違和感を感じる誤字もあれば、案外気づかない誤字まで。
あなたはどこが間違っているかすぐにわかりますか?

 

初級編(これを間違えたら恥ずかしい)7問

問1.岩清水八幡宮(いわしみず はちまんぐう)

正しくは「清水八幡宮」

これはさすがに気付きますよね。
一般名詞としての「いわしみず」は、石清水と岩清水のどちらも使いますが、固有名詞としては石清水八幡宮以外は不正解。
岩清水八幡宮というのは、京都にそれほど縁のない方でも一目で分かるレベルの誤字です。
間違って使わないように気を付けましょう。

石清水八幡宮とは

859年に宇佐八幡宮から標高143mの男山に、国家鎮護の神社として勧請されました。
伊勢神宮と並ぶ宗廟として、天皇や上皇の行幸は240回を越えます。
源氏の氏神として武士たちからも篤く崇敬されました
全国に44,000あるとされる八幡神社の多くは石清水八幡宮から勧請されたものです。

 

問2.清明神社(せいめい じんじゃ)

正しくは「明神社」

陰陽師安倍晴明を祀った神社です。
清明神社というのは、人の名前を間違えるという、最もやってはいけないパターンの誤字です。
ましてや安倍晴明の名前を間違えてしまったら、いったいどんなたたりがあることか。

今回取り上げた誤字のなかでも、最もよく見かける誤字が清明神社です。

晴明神社とは

一条戻り橋の北西にある安倍晴明の屋敷跡とされる地に1007年に創建されたとされます。
その後長らく荒廃し、今の形で整備されたのは戦後になってのことです。
平成以降の陰陽師ブームによって多くの参拝客が訪れるようになり、一躍人気観光スポットへと仲間入りしました。

 

問3.下賀茂神社(しもがも じんじゃ)

1918年発行 日本名所案内社「三府近郊名所名物案内」(国立国会図書館デジタルコレクション)

1918年発行 日本名所案内社「三府近郊名所名物案内」(国立国会図書館デジタルコレクション)

正しくは「下神社」

上賀茂神社の表記と混同して下賀茂神社と誤記するのはよくあるパターンです。
下加茂神社という誤りもあります。
逆に上鴨神社という誤字のパターンもありますが、下賀茂神社よりはかなり少なめ(かつては上鴨警察署(現:北警察署)というのがありました)。

もともと「かも」というのは「神(かみ)」のことという説が有力で、鴨、賀茂、加茂はすべて当て字に過ぎません。

正式名称の賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)では「賀茂」の方が使われています。葵祭の正式名称も「賀茂祭」です。
このことからもわかるとおり、かつては下賀茂神社という表記が主流でした。
江戸時代頃から下鴨神社という表記が主に変わり始めました。

下鴨、下賀茂あるいは下加茂という表記はいずれも歴史的に使われてきた表記です。

下鴨神社とは

京都最古の神社の一つ。原生林・糺ノ森(ただすのもり)に包まれた静かな社です。
平安京の守り神として信仰されてきました。現在境内のほぼすべての社殿が重要文化財・国宝に指定されています。

 

問4.太田神社(おおた じんじゃ)

正しくは「田神社」

太田と大田の間違いは京都でなくても良くある間違いです。
ただし、927年に完成した延喜式の神名帳では、太田社として記載されており、元は太田神社が正しかった可能性があります。
上賀茂神社の境外摂社のひとつですが、創建は上賀茂神社よりも古いともされ、「大田」あるいは「太田」の由来もよくわかっていません。

大田神社とは

上賀茂神社の境外摂社で、アメノウズメを祭神として祀っています。
国指定天然記念物である「大田ノ沢」のカキツバタ群落が有名です。

 

問5.泉湧寺(せんにゅうじ)

正しくは「泉寺」

「涌」は「湧」の異体字なので、根本的な間違いではありませんが、泉湧寺は字面が結構違うので一目で間違いがわかってしまいます。
前身は同じ読みの「仙遊寺」とされます。

普通「せんにゅうじ」では「泉涌寺」と一発変換されないので、「いずみ」+「わく」+「てら」と入力して変換するため泉湧寺という誤字が発生してしまいます。
同様にプロ野球の涌井投手を湧井と誤記しているのもよく見かけます。

泉涌寺とは

「御寺(みてら)」と呼ばれるのは歴代天皇はじめ、代々の皇室からの帰依が厚かったことによります。
泉涌寺では鎌倉時代から江戸時代を中心に歴代の天皇の葬儀が営まれてきました。

 

問6.健勲神社(けんくん じんじゃ/たけいさお じんじゃ)

1873年発行 明法寮 編「憲法類編」(国立国会図書館デジタルコレクション)

1873年発行 明法寮 編「憲法類編」(国立国会図書館デジタルコレクション)

正しくは「勲神社」

創建当初は「健織田社」という社名でしたので、全く根拠がない誤字というわけではありませんが、現在では誤字として扱われます。
「建」と「健」の間違いは寺社名に限らずよくありますよね。

建勲神社とは

織田信長を祭神として明治維新後の1869年に創建された神社です。
平安京造営にあたって起点とされた112mの船岡山に位置し、境内からは京都盆地を見渡すことができます。

 

問7.管大臣神社(かんだいじん じんじゃ)

正しくは「大臣神社」

同じく「かん」と読む菅(すが)と管(くだ)の誤字は京都の寺社名だけでなく、世間でもよくあります。
この菅大臣というのは、学問の神様である菅原右大臣道真のことです。
管大臣神社はかなりマイナーな神社ですが、菅原道真を管原道真と書く誤字は結構あります。

同じく菅原道真出生地との伝承を持つ菅原院天満宮を管原院天満宮と誤る例も散見されます。

菅大臣神社とは

菅原道真生誕地にある神社です(京都市内だけでも多数の生誕伝承地がありますが)。
天満宮らしく、本殿前に紅梅、白梅、枝垂梅が植えられています。本殿は1872年に下鴨神社から移築したものです。

 

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中級編(知名度は低めだけど気付いてほしい)6問

問8.蘆山寺(ろざんじ)

正しくは「山寺」

世界遺産としても知られ、中国では仏教の聖地であった廬山(ろざん)に由来します。
「廬」という漢字はあまり使うことがなく、垂れが二重になっている字形のため、特に手書きするときに蘆山寺と間違えがちです。

廬山寺とは

正式には廬山天台講寺といい、皇室の仏事を担う四箇本寺の一つとして高い格式を誇りました。
秀吉の京都改造に伴い寺町である現在地へと移転し、境内には御土居も残っています。
現在地は紫式部の邸宅跡と推定され、源氏物語執筆の地として注目を集め、1965年には「源氏の庭」が整備されました。

 

問9.園通寺(えんつうじ)

正しくは「通寺/通寺」

「圓」と「園」がぱっと見には似ていることから来る誤字のひとつです。
同様に一乗寺の圓光寺や高台寺塔頭の圓徳院も園光寺や園徳院と間違えられることがあります。
圓は円の旧字体なので、どちらも正しい表記です。
圓光寺や圓徳院でも同系統の誤字が散見されます。

圓通寺とは

比叡山の眺望が良い場所を選んで作られた後水尾院の幡枝(はたえだ)離宮をもとに、1678年に創建されました。
後水尾院が自ら作庭したといわれる名勝庭園は、比叡山を借景として取り入れており、日本を代表する借景庭園として有名です。

 

問10.今熊野神社(いまくまの じんじゃ)

正しくは「熊野神社」

地名の今熊野(いまぐまの)と寺院に今熊野(いまくまの)観音寺があるために起こる誤字です。
新熊野神社も今熊野観音寺も新日吉(いまひえ)神宮も後白河法皇によりほぼ同時期に創建されました。
新と書いて「いま」と読むことは珍しいので、逆に「新熊野観音寺」という誤字は稀です(たまに見かけますが)。

新熊野神社とは

1160年に京都における熊野信仰の拠点として、後白河法皇の命を受けた平清盛によって創建されました。
1375年に観阿弥と世阿弥が足利義満の前で猿楽能を披露したため、「能楽発祥の地」とされています。

 

問11.楊谷観音(やなぎだに かんのん)

1941年発行 藤田元晴「近畿の山々と史蹟巡り」(国立国会図書館デジタルコレクション)

1941年発行 藤田元晴「近畿の山々と史蹟巡り」(国立国会図書館デジタルコレクション)

正しくは「谷観音」

正式には柳谷観音楊谷寺(ようこくじ)と称し、「柳」と「楊」の両方が出てくることから起こる混同です。
どちらもヤナギと訓じますが、厳密には「柳」は枝垂れるシダレヤナギなどのことを指し、「楊」は枝垂れないネコヤナギを指すという区別があります。
ただし寺名はこの区別に基づいて名づけられたわけではなく、公式HPでも由緒を「柳(楊)生い茂る渓谷の岩上に生身の観音様を見つけられ~」と記載しています。

なお、三十三観音のひとつに、その名も楊柳(ようりゅう)観音という、病苦からの救済を担当する観音様がいます。前述のHPには言及されていませんが、柳谷観音楊谷寺という寺名と無縁ではないでしょう。

柳谷観音とは

眼病平癒のご利益で古くから信仰を集めてきました。空海が発見した独鈷水(おこうずい)は、眼病だけではなく癌封じにも効果があり、度々天皇家にも献上されてきました。
近年は花を美しく生けた花手水が人気を呼んでいます。

 

問12.苔寺西方寺(こけでら さいほうじ)

1943年発行 加藤順三 著「葦火 : 歌集」(国立国会図書館デジタルコレクション)

1943年発行 加藤順三 著「葦火 : 歌集」(国立国会図書館デジタルコレクション)

正しくは「苔寺西寺」

創建当時は設問のとおり西方寺と称していましたが、室町時代はじめに夢窓疎石(むそうそせき)によって臨済宗(禅宗)へと改宗されたときに西芳寺と改められました。
読みは「さいほうじ」で同じですが、西方寺が西方浄土(極楽浄土)に由来するのに対し、西芳寺は禅宗の開祖である達磨大師の「祖師西来 五葉聯芳」という句に由来し、意味が異なります。

「西方寺」という名称の寺院は、京都に限らず多数あります。
ほとんどが西方浄土(極楽浄土)の阿弥陀如来を本尊とする浄土宗か浄土真宗の寺院です。

寺名だけではなく、作庭者の夢窓国師(夢窓疎石)を夢国師と誤る例もかなり見られます。

苔寺西芳寺とは

奈良時代に行基が創建したと伝えられる歴史の古い寺院です。
今の形に整ったのは、室町時代のはじめに夢窓礎石によって再興されてからです。
夢窓疎石が作庭したと伝わる庭園は特別名勝に指定されており、美しい苔が広がる庭から「苔寺」の通称が生まれました。
世界遺産にも登録されています。

 

問13.霊仙歴史館(りょうぜんれきしかん)

正しくは「霊歴史館」

東山三十六峰のひとつ、霊山(りょうぜん)に由来します。
鈴鹿の名峰・霊仙山(りょうぜんさん)との混同から誤字が散見されます。
近隣には同じ由来の霊山観音や霊山護国神社、霊山正法寺があります。

霊山歴史館とは

松下幸之助が中心となり、幕末維新をテーマとした博物館として1970年にオープンしました。
坂本龍馬をはじめとした志士たちの貴重な資料が展示され、様々なテーマの特別展が開催されます。

 

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上級編(これを一目で見抜けば一人前)7問

問14.六波羅密寺(ろくはらみつじ)

1891年発行 片山賢三 編「定刻京都名所図絵」(国立国会図書館デジタルコレクション)

1891年発行 片山賢三 編「定刻京都名所図絵」(国立国会図書館デジタルコレクション)

正しくは「六波羅寺」

いうまでもなく「密」と「蜜」は全然別の漢字です。
でも字面はそっくりなので見落としがちなのが六波羅密寺という誤字です。

古くから六波羅蜜寺と六波羅密寺とはよく間違えられてきました。
般若心経の正式名称を「般若波羅蜜多心経」というとおり、仏教用語から来ています。
波羅蜜多はサンスクリット語のパーラミターを音写したものです。
とはいえ、数ある同音の漢字のなかから「蜜多」という漢字を選んだのは、ポジティブな意味を持たせているのでしょう。

なお、お寺の周囲の地名としては「六原」という表記になります。
地名の六原が先にあったという説もあります。
歴史的には六波羅探題の所在地としても有名なところです。

六波羅蜜寺とは

951年に空也上人が開いた道場に由来する寺院で、口から六体の小さな阿弥陀仏が飛び出している空也上人像が有名です。
近隣には平家一門の六波羅殿や鎌倉幕府の六波羅探題が置かれました。
西国三十三ヶ所巡礼の第17番札所です。

 

問15.隋心院(ずいしんいん)

正しくは「心院/心院」

「隋」と「随」は別の漢字として扱われていますので、隋心院は誤字になります。

「隋」は中国史くらいでしか使いませんが、「随」は付随、随行など結構使います。
字面は似ているので見逃しがちですが、こういう微妙な違いに気づけるようになったら一人前かも。
なお「隨」は「随」の旧字体なので、どちらも正解です。

隨心院とは

991年創建の真言宗小野流の中心となった寺院です。
五摂家出身者が多く入寺した門跡寺院として高い格式を誇っています。
小野は小野氏の根拠地であり、小野小町ゆかりの化粧井戸や文塚が遺されています。

 

問16.枳穀邸(きこくてい)

正しくは「枳邸」

ぱっと見ただけでは分かりにくいですが、「穀」と「殻」が違います。
「きこく」で枳殻とはなかなか変換してくれませんが、由来となった「からたち」と打てば「枳殻」に変換してくれるはずです。

実際は正式名称である「渉成園(しょうせいえん)」と書くことの方が多いのですが。

枳殻邸とは

東本願寺の飛び地境内であり、面積3.4haに及ぶ庭園です。
正式には渉成園といいますが、枳殻(からたち)が植えられていたため枳殻邸との別名もあります
徳川家光より寄進された地に、1653年に回遊式庭園として作られ、石川丈山が作庭に関わったといわれています。
園内には「渉成園十三景」といわれる名所があります。

 

問17.曼珠院(まんしゅいん)

1887年発行 石田旭山 編「京都名所案内図会」(国立国会図書館デジタルコレクション)

1887年発行 石田旭山 編「京都名所案内図会」(国立国会図書館デジタルコレクション)

正しくは「曼院」

寺名の由来には諸説ありますが、一説には「曼珠沙華(彼岸花の別名)」に由来するともいわれます。であればむしろ曼珠院の方が正しいことになります。
ただし、「曼」「殊」という縁起の良い意味を持つ漢字を採ったというのが本当のところだと思われます。

曼殊院は誤字のパターンも多彩です。
「曼」の方の誤字も多く、漫殊院、慢殊院、蔓殊院、萬殊院などいろんなパターンの誤字がわんさか出てきます。

曼殊院とは

伝教大師最澄により比叡山内に創建されたのがはじまりの格式高い門跡寺院です。
江戸初期にこの地に移され、優美な庭と簡素な建築から江戸期の京の文化を知ることができます。
狩野永徳筆の虎のふすま絵や竹の版画など多くの文化財を有しています。

 

問18.常磐地蔵(ときわじぞう)

正しくは「常地蔵」

「常盤」「常磐」と書いて「ときわ」と読む地名は全国的に存在しますが、ここは常盤です。
地名の常盤は、このあたりに別荘を構えた源常(みなもとのときわ)に由来するとされます。
源義経の母である常盤御前の出生地に由来するという説もあります。

ただし学区名は「常磐野(ときわの)」です。
これは、常盤村と中野村に小学校を設置するとき、常盤と中野が磐石に結ばれるという意味を込めて名付けられたためです。
常盤野にすると、常盤村の色が強くなりすぎることへの配慮だったのではないかと想像します。
合成地名を作るときにはこういう配慮をすることはよくあります。

常盤地蔵とは

正式には源光寺といいます。
京都と郊外を結ぶ六ヶ所にある六地蔵のひとつで、毎年地蔵盆の時期には大勢の参拝客でにぎわいます。

 

問19.清涼寺(せいりょうじ)

正しくは「清寺」

最初に、これは厳密には誤字ではありません。
「凉」は「涼」の異体字なので、根本的な間違いではありませんし、ぱっと見てもなかなか気付かないでしょう。
本来、ニスイは氷を表し、サンズイは水を表しており、若干ニュアンスが異なっていたのですが、歴史的に長く混用され、大半が異体字の関係にあると整理されています(今も全く別の漢字として扱われているのは「治」と「冶」くらい)。

清凉寺とは

嵯峨釈迦堂と親しまれる清凉寺。
インド、中国、日本を経て伝わった「三国伝来」の釈迦如来像(国宝)は香木で彫られた少しエキゾチックな顔立ちの仏様です。
もとは光源氏のモデルと言われる源融の山荘跡です。

 

問20.恵比寿神社(えびす じんじゃ)

正しくは「恵比神社」

都七福神にもなっている大和大路の「えびす」です。

日本各地にある「えびす」は恵比須、恵比寿、恵美須、夷、戎と様々な表記がある中で、たまたまここは恵比須を正式名称としているだけです。
そんなに目くじらを立てるほどの誤字ではありません。

恵比須神社とは

栄西が建仁寺を建立するときに鎮守社として創建した神社です。
西宮、今宮(大阪)と並んで日本三大ゑびすの一つです。
商売繁盛の神様として、毎年1月10日には十日ゑびす大祭が盛大に催されます。
都七福神のひとつでもあります。

 

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番外編(おまけ)

問.エムケー

正しくは「エムケ

普通はMKタクシーと呼ばれることが多いですが、正式にはエムケイ株式会社です。「K」は「ケイ/ケー」の2つの表記があり、エムケー精工という上場企業があることからよく間違われてしまいます。

 

問.「げんこうあん」

× 原稿案 × 現行案 ○ 源光庵

誤字ではなく誤変換ですね。

何か文章を書けば「原稿案」、企画書を書けば「現行案」、そしてお寺の「源光庵」。いずれもよく使う単語です。
みなさんのパソコンやスマホで「げんこうあん」を変換すると、どの漢字が出てくるでしょうか?

 

おわりに

さて、20問中何問の誤字が分かりましたか?
全問正解できたという方でも、上級編ともなると誤字があるという前提で見ないと気付かずスルーしてしまう可能性が高かったのではないでしょうか。

今回の20問の中には、実際過去にやってしまった誤字も複数含まれます。
恥ずかしい誤字をやってしまわないよう、十分に気を付けていきましょう。

最後に、エムケータクシーではなく、エムケイタクシーをよろしくお願いします。

 

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