夏にも涼を感じられる、京都の桔梗(キキョウ)おすすめスポット7選
目次
酷暑で知られる京都の夏に、涼やかさを与えてくれる花がキキョウです。爽やかな青紫色は清涼感にあふれます。青紫だけではなく白や青紫と白のまだらや、八重の花など、意外とバラエティに富んでいます。
キキョウの清楚な美しさは夏の京都にぴったりです。
暑い時期に少しでも涼を感じるために訪れて欲しい、そんなキキョウの京都にあるおすすめスポットを6ヶ所ご紹介します。
MKトラベルでも、キキョウスポットを巡るツアーを催行します。
桔梗(キキョウ)とは
青紫の一重咲きだけではないキキョウ
自生種は減りつつあるキキョウ
キキョウ科キキョウ属の草本植物です。
日本から東アジアにかけてに日当たりのよい山野に自生しています。
しかし、自生のキキョウは近年減少しており、環境省は「絶滅の危険が増大している種」としてキキョウを絶滅危惧Ⅱ類に指定しています。
京都府においては「絶滅寸前種」に指定されており、今や丹後半島や京都府最南部などにわずかに残っているだけです。
参考サイト:京都府レッドデータブック2015
1990年に花の京都緑のフォーラムが非公開庭園特別公開来場者を対象に行った「京都に似合う花」の意識調査では、圧倒的1位の桜に次いで、キキョウが2位に入りました。
八重咲きに白やピンク、藤色などもあるキキョウ
キキョウは、一重で青紫色の涼しげな花を咲かせます。
江戸時代から八重の花や白色をしたキキョウの品種が知られており、青紫色のキキョウと並んで白いキキョウの姿も描かれています。
近年では藤色、ピンクをした花や、二色の絞りが入ったキキョウもあり、人気を集めています。
多重咲きの大きな品種もどんどん作出されており、これからのさらなる発展が楽しみです。
英語では”balloon flower”
英語では、キキョウをバルーンフラワー(balloon flower)と言います。
咲いている姿はバルーンとは程遠いですが、つぼみの姿はまさにバルーンです。
つっついたら、パンクしそうな姿です。
咲いている姿もさることながら、つぼみの姿もかなり人気です。
キキョウ科には、他にホタルブクロやツリガネニンジン、イワギキョウなどが含まれます。
トルコギキョウという園芸植物も近年人気ですが、キキョウ科ではなくリンドウ科です。
キキョウとついていますが、キキョウの仲間ではありません。
秋の七草のひとつ
6月下旬頃から10月頃まで咲くキキョウ
キキョウは「秋の七草」のひとつに挙げられ、秋の季語ではありますが、6月下旬頃から10月頃まで長期にわたって開花します。
キキョウは7月頃と9月頃の2回見頃を迎えますが、9月よりは7月の方が多くの花が咲きます。キキョウは秋の花というよりも、夏の花です。
秋の七草といえば、万葉集に収められている山上憶良(やまのうえのおくら)の「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」という歌が有名です。
山上憶良の歌のなかにキキョウは出て来ませんが、最後の朝貌(あさがほ)がキキョウを指すという説が有力です。
ただし、「あさがほ」とはキキョウではなく、ムクゲ(木槿)やアサガオ(朝顔)、ヒルガオ(昼顔)のことだという説もあります。
源氏物語や枕草子では、キキョウと朝顔は区別されており、別の植物と認識されていたという根拠のひとつになっていますが、山上憶良と紫式部では時代が300年隔たっていることにも注意が必要です。
ただ、朝顔にしろキキョウにしろ、秋の花というにはやや違和感があります。
漢方薬にも使われるキキョウ
キキョウは薬用植物としても広く利用され、キキョウの根をそのまま乾燥させた「生干桔梗」や皮をとってから乾燥させた「晒桔梗」は、咳、痰止めの薬として使われます。
今も生干桔梗や晒桔梗は中国などから輸入して広く利用されています。
桔梗という名称も、もともと漢方の薬草名である「桔梗(きちこう)」が転じて「キキョウ」となったという説が有力です。
桔梗とは、根が硬いという意味があります。
① 晴明神社(せいめいじんじゃ)〈上京区〉
五芒星と同じ形をしたキキョウの花
五角形の形をしたキキョウの花は、陰陽道(おんみょうどう)で魔除けの呪符として使われる五芒星(ごぼうせい)とそっくりです。
五芒星のデザインは、古代メソポタミアから使われてきました。
西洋でも魔術の記号として使われるなど、世界中で広く使われてきました。
陰陽道では、木・火・土・金・水の陰陽五行説を示したものであり、魔除けの呪符としてよく使われています。
京都に結界を張って守護したという晴明神社の祭神である安倍晴明も、キキョウを図案化した晴明桔梗紋と言われる紋を使っていました。
晴明神社では、晴明桔梗紋が神紋として扱われています。絵馬をはじめとして境内いたるところで晴明桔梗紋を見ることができます。
神紋は「晴明桔梗紋」
毎年秋分の日に開催される晴明神社の例祭である晴明祭では、晴明桔梗紋の法被を着た男性が神輿をかつぎます。
神輿のほか、鉾や八乙女などの総勢約500人が西陣を練り歩きます。
キキョウ自体も魔除けのシンボルとして扱われることもあります。
晴明神社の境内では、各所でキキョウが植えられています。
青紫のキキョウだけではなく、白いキキョウも含めて約1,500株が咲きます。
入口付近や晴明神社社務所前、安倍晴明像前などでキキョウが咲いています。
晴明神社から堀川通りを挟んで南北に流れる堀川ではホタルの放流が行われており、キキョウの花にホタルが止まっていることもあります。
晴明神社のキキョウの見頃は7月中旬~下旬と、9月上旬~10月上旬ごろです。
晴明神社について
安倍晴明の京都屋敷跡とされる地に寛弘4年(1007年)に創建されたのが晴明神社のはじまりとされます。
その後長らく荒廃し、大正時代の京都ガイドには境内地が114坪と記載されており、今よりも狭かったことがわかります。
晴明神社が今のように堀川通に面する形で整備されたのは戦後の1950年になってのことです。
平成以降の陰陽師ブームによって晴明神社には多くの参拝客が訪れるようになりました。晴明神社も一躍京都の人気観光スポットへと仲間入りしました。
特に京都を訪れる修学旅行生に晴明神社の人気が高く、京都を代表するパワースポットとして若い女性の姿もよく見かけます。最近までは中国人観光客も晴明神社をたくさん訪問していました。
晴明神社がある付近は秀吉が京都支配の拠点として築いた聚楽第(じゅらくだい/じゅらくていじゅらくてい)があった場所です。
門前に碑があるとおり、ちょうど千利休の京都屋敷があった地でもあります。
晴明神社の近くにある安倍晴明ゆかりの一条戻り橋は、婚礼の車両は縁起が悪いとして通ってはならないのが京都のタクシー業界の常識というのは良く知られています。
安永9年(1780年)刊行の都名所図会にもすでに「婚礼の輿入、この橋を通るを嫌ふは、橋の名によりてなり」との記載があります。
少なくとも200年以上、婚礼で一条戻橋を通った人は一人もいません(おそらく)。
続いて「旅立、人にものを貸時通るは、これに反すとやいふべき」とあるとおり、旅立ちや物を貸すときに一条戻橋を通るのが良いと書かれています。
こちらの言い伝えは今はもうあまり聞きません。
都名所図会では、2つの橋が描かれていますが、左の橋が一条戻り橋です。
渡っている途中の男性2人が橋の下をのぞきこんでいますが、式神がいないか探しているのでしょうか。
なお、右の橋は小川(こかわ)にかかる主計橋です。
今は小川も主計橋もありませんが、戦後しばらくまでは小川通を南流し、一条通で西流し、堀川に合流していました。
晴明神社の境内には、1995年の架け替え前の部材を使った一条戻り橋のミニチュアが展示されています。
2019年7月28日に催行されたMKトラベルの「荒俣宏館長と行く京都妖怪ツアー」でも、晴明神社と一条戻り橋を訪れました。
晴明神社では、山口琢也宮司にご説明いただきました。
拝観情報
拝観時間 | 9:00~17:30 |
拝観料 | 境内自由 |
TEL | 075-441-6460 |
住所 | 京都市上京区晴明町806(堀川通一条上ル) |
アクセス | 市バス「一条戻橋・晴明神社前」より徒歩2分 地下鉄「今出川」より徒歩12分 |
公式ホームページ:晴明神社 〜陰陽師 安倍晴明公をお祀りする晴明神社〜
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② 廬山寺(ろざんじ)〈上京区〉
「源氏の庭」で咲くキキョウ
紫式部の邸宅跡にある廬山寺の「源氏の庭」は京都を代表するキキョウの名所として知られます。
キキョウ桔梗は秋の七草のひとつにもあげられ、古くから親しまれてきました。
キキョウの開花時期には、「桔梗咲いています」という看板がかかっています。
廬山寺の源氏の庭は、平安時代の京都にあった貴族邸宅の庭園をイメージして作られています。
白砂と苔による枯山水のこじんまりとしたお庭です。
白砂の中には、苔で作った州浜状の島が配されています。
州浜形の金箔・金泥や刺繍で作った文様のことを「源氏雲」と呼びます。
源氏物語に取材した「源氏絵」でよく使われる文様であることが名前の由来です。
源氏物語に登場するキキョウ
源氏雲の形をした苔島には、紫式部と「紫」つながりでキキョウが植えられています。
キキョウがメインの花の庭園です。
廬山寺のキキョウの見頃は6月末~9月初めごろです。
キキョウのつながりということでは、廬山寺にはキキョウを家紋とした明智光秀の念持仏と伝えられる仏像も伝えられています。通常非公開ですが、大河ドラマが放映された2020年など、たまに公開されます。
2024年の大河ドラマの主人公は紫式部で、廬山寺も大いに注目を集めています。
源氏物語では、巻53「手習」にキキョウが登場します。
キキョウが登場する部分は以下のとおりです。
これもいと心細き住まひのつれづれなれど、住みつきたる人びとは、ものきよげにをかしうしなして、垣ほに植ゑたる撫子もおもしろく、女郎花、桔梗など咲き始めたるに、色々の狩衣姿の男どもの若きあまたして、君も同じ装束にて、南面に呼び据ゑたれば、うち眺めてゐたり。
お庭には、キキョウのほかに撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)も咲いていました。
なお、前述のとおり源氏物語第20帖の巻名にもなっている「朝顔」はキキョウのことであるという説もあります。ただし、別にキキョウも登場していることから、疑問視もされています。
廬山寺について
廬山寺は正式には廬山天台講寺といいます。
廬山とは、中国の江西省にある古くから知られた名勝で、世界文化遺産にも指定されています。
4世紀には中国化された仏教の創始者である慧遠が廬山に東林寺を開いたため、中国仏教の第一の聖地として栄えてきました。
マンガ・アニメで人気の聖闘士星矢のドラゴン紫龍が修行を積んでいた舞台でもあります。
紫龍の必殺技である廬山昇龍覇なども、この廬山に由来します。
廬山寺は、皇室の仏事を担う四箇本寺1の一つとして、数ある京都の寺院の中でも高い格式を誇りました。
廬山寺は10世紀に船岡山の南麓に創建され、秀吉による京都改造時に寺町の現在地へと移転しました。
境内東側には京都の街を囲んでいた御土居も一部残っています。
廬山寺の旧地には、今も蘆山寺通として地名が残っています。
今は廬山寺という表記が正式なものですが、かつては蘆山寺という表記も併用されていました。
前述の通り名も廬山寺通ではなく蘆山寺通と表記されます。
京都御苑の東に隣接する廬山寺の現在地は、紫式部の邸宅跡と推定されています。正確には、紫式部の父である藤原為時の邸宅です。
2024年の大河ドラマ「光る君へ」の主たる舞台はこの地にあったのです。
廬山寺は10世紀創建なので、紫式部の活躍した時代には既に創建されていました。しかし、現在地とは異なるので、おそらく紫式部と廬山寺に直接的なつながりがあったかどうかは不明です。
廬山寺と紫式部がつながるのは、16世紀に現在地へと移転してからです。
藤原道長が育った東三条殿は廬山寺から1.6km離れた西洞院二条付近にありました。幼い頃の道長とまひろこと紫式部が出会っていた可能性はあるという時代考証により、大河ドラマの軸となる設定が採用されたそうです。
なお、藤原道長の邸宅となった土御門殿は、廬山寺とは目と鼻の先の今の仙洞御所付近にありました。
ところで、大河ドラマでキキョウと言えば、清少納言の実名「ききょう」として使われています。
安永9年(1780年)に刊行された都名所図会の廬山寺の挿絵では、今の源氏の庭にあたる部分(画面右端)には、小さな庭しかありません。
廬山寺の源氏の庭のあたりには、「雲水の井」と書かれています。この井戸は、長元3年(1030年)にこの地に建てられた東北院にあったという井戸のことです。
東北院は衰微しましたが、今も真如堂付近に移転して続いています。
紫式部が井戸の水で顔を映して身だしなみを整えたともいわれています。
京都を主な舞台とした源氏物語執筆の地として注目を集め、「源氏の庭」が整備されたのは1965年のことです。
ささやかなお庭ですが、素晴らしいお庭です。
あわせて境内に新村出の揮毫による紫式部の邸宅址記念碑も建てられました。
廬山寺は京都の洛陽三十三所観音霊場の32番であり、毘沙門天を祀る京都七福神2のひとつでもあります(都七福神とは別物です)。
廬山寺境内の東奥にある墓地の奥には、豊臣秀吉が築いた御土居が残されています。
国史跡に指定されている遺構ですが、廬山寺奥のわかりにくい位置にあるのでご注意を。
拝観情報
拝観時間 | 9:00~16:00 |
拝観料 | 大人 500円 小中学生 400円 |
TEL | 075-231-0355 |
住所 | 京都市上京区寺町通り広小路上る北之辺町397 |
アクセス | 京阪「出町柳」「神宮丸太町」より徒歩15分 市バス「府立医大病院前」より徒歩5分 |
公式ホームページ:天台圓淨宗 廬山寺公式HP
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③ 東福寺 天得院(てんとくいん)〈東山区〉
「桔梗の寺」として知られる天得院
京都で「桔梗の寺」といえば、ここ東福寺の天得院。
キキョウがメインのお庭というだけでも珍しいですが、キキョウの時期だけ特別公開されるというお庭は京都でもこの天得院だけです。
よく見ると天得院の建物や屋根瓦にも桔梗紋が使われているくらいです。
紅葉シーズンは京都でも有数の賑やかさを見せる天得院をはじめとする東福寺界隈も、キキョウの季節は静かなものです。
京都駅から東福寺駅まではJR奈良線でわずか一駅ですが、日頃の喧騒から離れています。天得院のお庭でしばらく縁側に座ってぼーっとキキョウを見つめていたくなります。
天得院の庭園は、キキョウだけではなく、緑が鮮やかな苔も見どころです。
ちょうど梅雨の時期なので、天得院の庭園では一年で苔がもっとも生き生きとした姿を見せてくれます。
天得院の杉苔とキキョウの庭は、桃山時代の天得院再興時に作庭されたものです。
1968年には、作庭家・中根金作によって一部改修されました。
苔は大海を表しているとされ、かつては坐禅を組んだという坐禅石が配されています。
「桔梗を愛でる特別拝観」
天得院方丈南庭が有名ですが、方丈西庭もキキョウが美しいお庭です。
禅宗に特有の形式の窓である華頭窓(かとうまど)からは、石灯籠とキキョウが見えます。
さかさまに見ると、花の形に見えることが名前の由来です。
薄暗い天得院の方丈から、明るい光が差す庭園とキキョウが見える景色は天得院のシンボルとして人気です。
天得院のキキョウシーズンの特別公開は6月28日(金)~7月17日(水)のみ(2024年)なので要注意です。
天得院について
天得院は、京都五山のひとつである東福寺の塔頭寺院です。
大坂の陣の発端となった京都方広寺大仏殿の鐘銘事件の文面を選したことで有名な文英清韓(ぶんえいせいかん/東福寺第297世)の住庵が天得院だったため、一時廃絶しました。
寛政元年(1789年)に改めて天得院が再興されました。
天得院は通常非公開ですが、6~7月のキキョウ開花期と紅葉シーズンのみ特別公開されます。
天得院では、プラス800円でお抹茶とお菓子もいただくことができます。
キキョウをイメージしたお菓子が出て来ます。
天得院の桔梗は紫と白がありますが、キキョウの生菓子も紫と白から選べます。今回は紫色を選びました。
中は白あんが詰まっており、上品な甘みです。
天得院で食べられるキキョウの生菓子は東福寺駅前にある鶴屋弦月さんのお菓子です。
キキョウの生菓子は天得院さん専用に作られているお菓子で、店舗にいっても購入することはできません。
ぜひ天得院でお庭のキキョウを眺めながらキキョウの生菓子とお茶をいただきましょう。
キキョウの生菓子を作っている鶴屋弦月さんは東福寺や泉涌寺の御用達の京菓子店です。
他のお菓子も魅力的なので、天得院で食べたキキョウの生菓子を気に入った方は、ぜひ帰りに立ち寄ってみて下さい。東福寺駅からすぐのところです。
奥に見える大きな木は、チャボヒバという樹齢400年の木です。
ヒノキを品種改良して園芸品種で、日本庭園ではこんもりとした木としてよく植樹されます。
枝葉が鶏のチャボに似ていることが名前の由来です。
中央やや左下の今と変わらぬ位置に天得院の姿が描かれています。
ただし、キキョウの姿は見当たりません。
拝観情報
特別拝観 | 6月28日(金)~7月17日(水)【2024年の場合】 |
拝観時間 | 10:00~16:30(受付終了は16:00) |
拝観料 | 大人 500円 中高生 300円 小学生以下無料(保護者同伴に限る) |
TEL | 075-561-5239 |
住所 | 京都市東山区本町15-802 |
アクセス | 京阪「東福寺」・JR「東福寺」より徒歩7分 |
公式ホームページ:京都東福寺 天得院
鶴屋弦月
営業時間 | 9:00~18:00 |
定休日 | 火曜日 |
TEL | 075-561-0627 |
住所 | 京都市東山区本町14-255 |
アクセス | 京阪「東福寺」・JR「東福寺」より徒歩2分 |
④ 智積院(ちしゃくいん)〈東山区〉
桔梗紋の寺院
京都駅から七条通を東へ、東山七条のどんつき(突き当り)の目立つところに桔梗紋を掲げている智積院。
桔梗紋は智積院の寺紋であり、約3,000箇寺からなる真言宗智山派の宗紋でもあります。
智積院の金堂へ向かう参道の両脇をたくさんのキキョウが彩ります。紫や白だけではなく、まだらのキキョウもあるので探してみましょう。
なぜ桔梗紋が寺紋なのかというと、智積院の前身である祥雲寺の造営奉行を務めた加藤清正の家紋をもらったことに由来します。
加藤清正と言えば「蛇の目紋」の方が有名ですが、同じく桔梗紋も使っていました。
加藤清正は桔梗紋をまとった姿で描かれることもあります。
加藤清正が篤く信仰した本圀寺(ほんこくじ)に建てられた清正宮には、桔梗紋と蛇の目紋が仲良く並んで描かれています。
智積院のキキョウの見頃は7月上旬~中旬と9月中旬~下旬です。
7月上旬まで見頃が続く智積院のあじさい苑も、無料で楽しめる京都屈指のあじさいスポットとして要注目です。
6月上旬~7月上旬のアジサイもかなりおすすめ
キキョウの1回目の開花期前半と同時に見頃を迎えている智積院のアジサイもおすすめです。
参道脇にあってわかりやすいキキョウとは異なり、智積院のあじさい苑は本堂にあたる金堂の裏側というわかりにくい場所にあります。
かなりおすすめなので、キキョウを見に智積院を訪れた際には、是非立ち寄ってみてください。
智積院について
京都に数ある総本山の中でも、末寺3,000を誇る大きな宗派である真言宗智山派の総本山が智積院です。
東寺や高野山、仁和寺などの古義真言宗にたいして、11世紀に成立した新義真言宗の中心寺院です。
真言宗の主要16派でつくる真言宗各派総大本山会の事務局も智積院に置かれています。
慶長3年(1598年)に紀伊国の根来(ねごろ)から京都の現在地へと移転してきました。
秀吉が京都の淀城でなくなった嫡男・鶴松を弔うために贅を尽くして「京都第一の大寺」とも謳われた祥雲寺のあとを引き継いだため、京都を拠点として活躍した長谷川一門による桜・楓図(国宝)などを所蔵しています。
智積院は妙法院や京都国立博物館、京都女子大に隣接しています。
京都十三仏霊場3の第一番札所でもあります。
今はキキョウが植えられている金堂(図会では本堂と表記)への参道は、両脇に松並木が植えられています。
キキョウの姿は見られません。
2023年4月には、新たに宝物館が建て替えられました。
智積院を含む真言宗十八本山の寺紋はバラエティに富んでいます。
宮門跡のつながりからか菊をあしらった寺紋が複数ありますが、花や植物を中心にいろんな紋があります。
キキョウの寺紋は智積院のみです。
拝観情報
拝観時間 | ■名勝庭園および宝物館 9:00~16:00 あじさい苑は日中随時 |
拝観料 | ■名勝庭園 一般 :300円 中学生・高校生:200円 小学生 :100円■宝物館 一般 :500円 中学生・高校生:300円 小学生 :200円 |
TEL | 075-541-5363 |
住所 | 京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964番地 |
アクセス | 市バス「東山七条」より徒歩すぐ 京阪「七条」より徒歩10分 |
公式ホームページ:真言宗智山派 総本山智積院
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⑤ 建仁寺 禅居庵(けんにんじ ぜんきょあん)〈東山区〉
穴場のキキョウスポット
今回選んだ6ヶ所の中でも、最も穴場で、かつ京都のキキョウスポットとして取り上げられることもめったにないのが、建仁寺の塔頭である禅居庵です。
禅居庵は京都人でも知る人の少ないキキョウスポットです。
苔に覆われた禅居庵の参道脇をたくさんのキキョウが彩ります。
あまり訪れる人もいない建仁寺の塔頭寺院なので、静かにキキョウを楽しむことができます。
ちょうど京都を代表する祭りである祇園祭の頃にキキョウが見頃を迎えますので、京都を訪れた際にはぜひ訪ねてみましょう。
見頃は7月上旬~下旬です。
禅居庵について
京都五山のひとつであり京都で初めての禅寺である建仁寺の南西端に位置する塔頭寺院です。
京都府有形文化財に指定されている本堂の摩利支天堂では、京都でも珍しい摩利支天を祀っており、日本三大摩利支天4のひとつとして知られます。境内には眷属(けんぞく)である猪の狛猪などがたくさんあります。
護王神社と並ぶ京都のイノシシスポットとして有名です。
中央下に禅居庵と摩利支天堂が見えます。
キキョウらしき花は見当たりません。
すぐ北の放生池の左側には三門の姿が見えません。
今の三門は、1923年に浜松市のお寺から移築されたもので、当時は三門はなかったのです。
拝観情報
拝観時間 | 9:00~17:00 |
拝観料 | 境内自由 |
TEL | 075-561-5556 |
住所 | 京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町146 |
アクセス | 京阪「祇園四条」より徒歩5分 |
公式ホームページ:臨済宗建仁寺塔頭 禅居庵
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⑥ 京都府立植物園〈左京区〉
多彩な品種のキキョウが見られる
四季を通じて多彩な花が咲く京都府立植物園では、7~9月ごろにキキョウが咲きます。
キキョウが見られるのは、北山門から入ってすぐ右手にあるワイルドガーデンです。
宿根草や球根類を中心に四季を通じて美しい草花が咲くエリアです。
紫や白だけでなく藤色や矮性、八重の品種など、多彩なキキョウが見られます。
ワイルドガーデン以外にも、植物生態園や四季彩の丘、北山門付近など京都府立植物園内の各所でキキョウが見られます。
京都府立植物園について
規模の入場者数も日本一の公立植物園です。
春の桜と秋の紅葉だけでなく、四季を通じて美しい花が咲きます。
キキョウのシーズンにも、アジサイや蓮、スイレン、サルスベリ、ムクゲなど多彩な花々が見頃を迎えています。
ぜひキキョウ以外の花も楽しんでください。
入園情報
休園日 | 12月28日~1月4日 |
入園時間 | 9:00~17:00(受付終了は16:00) 2024年7月5日(金)~7日(日)、7月20日(土)、21日(日)、26日(金)~28日(日)、8月10日(土)~11日(日)は7:30開園 2024年8月1日(木)~5日(月)は7:00開園 |
入園料 | 一般 :200円 高校生 :150円 中学生以下:無料 |
TEL | 075-701-0141 |
住所 | 京都市左京区下鴨半木町 |
アクセス | 地下鉄「北山」よりすぐ |
公式ホームページ:京都府立植物園 Kyoto Botanical Gardens/京都府ホームページ
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⑦ ききょうの里(ききょうのさと)〈亀岡市〉
ケタはずれの30,000株のキキョウ
京都市の西隣、亀岡にある30,000本のキキョウが咲くききょうの里のスケールはまさにケタはずれ。京都でも群を抜いた規模です。
一面を青々としたキキョウが覆い、海とはいわないまでも池のような見事さです。
キキョウと聞いて思い浮かべる歴史的人物といえば、やはり明智光秀。
水色桔梗紋は明智光秀のシンボルマークです。
すぐ隣にある谷性寺(こくしょうじ)は京都の小栗栖で討たれた明智光秀の首塚と伝えられる塚があるなど、明智光秀ゆかりの寺院です。
一般的には反逆者と言われる明智光秀ですが、地元丹波では善政を布いた為政者として今でも敬愛を集めています。
境内にはキキョウも多く咲き、「桔梗寺」とも言われています。
京都にもここまで紹介してきたスポットをはじめ、キキョウで知られる寺院はありますが、「桔梗寺」と言われているのは谷性寺くらいです。
亀岡は明智光秀ゆかりの地
明智光秀は、2020年大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公にもなりました。
亀岡駅のすぐ近く、亀山城の外堀でもあった南郷池を中心とする南郷公園に新たに明智光秀像が建立されるなど、地元では大いに盛り上がりを見せました。
ききょうの里も明智光秀ゆかりの地として、大いに注目を集めました。
ききょうの里にも、明智光秀像があります。
もともとは京都縦貫道の篠インターに約20年間設置されていたものです。
撤去あたって引き取り手を探していたところ、ききょうの里をつくる会が手を挙げたため、2013年にききょうの里へと移されました。
もとは交通安全キャンペーンで作られたようですが、作られた目的もはっきりしません。
馬に乗った姿の珍しい明智光秀の姿ですが、実は本当に明智光秀像として作られたのかも不明らしいです。
ききょうの里では、白いキキョウやピンクのキキョウ、八重咲きのキキョウなどが咲きます。
京都市内では京都府立植物園くらいでしか見られないような多彩なキキョウが見られるのも魅力です。
ききょうの里の開園期間は6月22日(土)~7月21日(日)です(2024年の場合)。
毎年初冬(11月下旬~12月下旬)には、イルミネーションイベントの「京都丹波KAMEOKA夢ナリエ」が催される会場でもあります。
ききょうの里について
明智光秀ゆかりの谷性寺の門前に広がる5万本の桔梗園です。
地元住民が休耕田を整備し、2003年に開園しました。明智光秀といえば、水色桔梗を家紋としていたことで知られます。
キキョウだけではなく、ゆり・あじさい・はんげしょう・ぎぼうし・ルドベキア・アガパンサス・ひまわり等も楽しめます。
地元の明智光秀公顕彰会、亀岡中央ロータリークラブ、谷性寺壇家総代、猪倉農家組合、宮前町「丹波/亀岡 ききょうの里を作る会」によって運営されています。
丹波/亀岡 ききょうの里を作る会は、2015年に亀岡市が主催する生涯学習賞の「生涯学習奨励賞」を受賞しました。
「地域住民が主体となり、ききょうの里を活かした地域の活性化、賑わいづくりに取り組んでいる。」ことが評価されました。
入園情報
開園期間 | 6月22日(土)~7月21日(日)【2024年の場合】 |
入園時間 | 9:00~16:00(15:30受付終了) |
入園料 | 中学生以上:600円 |
TEL | 0771-26-3753 |
住所 | 京都府亀岡市宮前町猪倉谷田23-2 |
アクセス | 京都縦貫道「亀岡IC」より8km |
公式ホームページ:丹波かめおか光秀物語 ききょうの里|京都丹波夢ナリエ|イルミネーション
亀岡駅(大河ドラマ館)からききょうの里までの道のりを動画で確認できます
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亀岡ききょうの里の日帰りツアー
MKトラベルでは、亀岡ききょうの里を訪れるタクシーツアーを催行しています。
亀岡ききょうの里に加え、紅葉穴場スポットとして有名となった「龍穏寺(りょうおんじ)」や、日本最古の天満宮として知られる「生身(いきみ)天満宮」も訪れます。
昼食は、京都・烟河 (けぶり河)で「里山馳走料理」をご用意しています。
ききょうも青もみじもグルメも楽しめるおすすめタクシーツアーです。
催行予定日は、6月30日(日)、7月6日(土)、14日(日)です。
ぜひご参加ください。
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明智光秀と桔梗紋
土岐一族の桔梗紋
美濃で栄えた土岐一族
桔梗紋といえば、明智光秀の家紋として知られます。
桔梗紋は、もともと美濃を中心に栄えた美濃源氏の土岐一族の家紋でした。
南北朝時代には北朝方の軍事力の中核として大活躍した土岐一族は、その家紋から「桔梗一揆」とも称えられたました。
土岐市の地盤であった土岐市、瑞浪市、多治見市はいずれもキキョウを市の花にしています。
土岐一族の一員である明智氏の出身とされる明智光秀も、桔梗紋を家紋として使用しました。
土岐一族の明智氏
もっとも、明智光秀が土岐一族の明智氏の出身かどうかはっきりしたことは不明です。
しかし、大河ドラマ「麒麟がくる」で描かれたように、明智城主(岐阜県可児市)の御曹司であるかどうかはともかく、明智氏の血を引く一族の一員であった可能性は高いという説が有力です。
出自が明らかではない明智光秀ですが、桔梗紋を愛用していたことからも、土岐一族であることにアイデンティティを持っていたことは想像できます。
なお、同じ美濃の明智氏であっても今の恵那市明智町を本拠とする明知氏は、土岐一族ではなく藤原姓の加藤一族で家紋も桔梗紋ではありません。
水色桔梗紋の明智光秀
明智軍団にはためく水色桔梗紋
織田軍団のなかでも精鋭をもって鳴る明智軍団の桔梗紋は、敵味方問わず広く知られていました。桔梗紋は敵にとっては恐怖の的、味方にとっては頼もしい存在だったことでしょう。
本能寺の変のとき、敵が桔梗紋であることを知らされた織田信長が、敵が明智光秀であることを知り、「是非に及ばず」とつぶやいたということは有名です。
明智光秀を神として祀ってきた福知山市では、1991年にキキョウを市の花に制定しました。
加藤家の桔梗紋
明智を含む土岐一族以外に桔梗紋を使った家としては、智積院で取り上げた加藤清正の加藤家があります。
加藤清正はもともと蛇の目紋をつかっていましたが、九州征伐の功により3,000石から19万5,000石に加増された際に、同じく九州征伐の失態によって改易された尾藤知宣の武具など一式を与えられました。
この武具一式に尾藤家の家紋であった桔梗紋が付いており、そのまま桔梗紋を家紋としたと言われています。
また加藤家自体も土岐一族であり、もともと桔梗紋を使っていたという説もあります。
ほかに、太田道灌(どうかん)の太田家などがあります。太田家は摂津源氏の出身です。
明智一族の子孫であると自称する坂本龍馬も桔梗紋を使っていました。
おわりに
猛暑で知られる京都ですが、夏の暑い時期には、少しでも涼を感じるためにキキョウの花を見に来てください。
春や秋とは違い、キキョウが咲くのは人の少ない時期だからこそ凛とした古都・京都の空気を感じていただけるでしょう。
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2023年4~5月に没後400年を記念して高台寺が「ねねの色」のアンケートを行いました。
16色から選ぶ投票では、桔梗色が1位となり、ねねの色に選ばれました。
桔梗色が全体の22.5%を占め、次点は鴇色(ときいろ)の14.8%でした。
慈愛に満ちたねねには桔梗色が似あいますね。