アフガニスタンの現状とPMSの今 ペシャワール会員・支援者の皆様へ|MK新聞2021年掲載記事
目次
MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏及びペシャワール会より寄稿いただいた中村哲さんの記事を、2000年以来これまで30回以上にわたって掲載してきました。
アフガニスタンのカブール空港でのパニックシーンが、連日メディアで報じられていました。ペシャワール会の会員としては、タリバン政権下で会の現地での活動の行方が気にかかっておりました。
その中で、8月25日に村上優会長から会員に長文のメッセージが送られてきました。
以下、会の了承を得て、その全文を発表させていただきます。
ペシャワール会北摂大阪 加藤勝美(2021年9月11日)
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Ⅰ:2021年8月25日 会員宛メッセージ
アフガニスタン情勢は2021年8月15日のカブールの無血開城以降、多くの報道に取り上げられ、ペシャワール会の会員や支援いただいている方々も固唾をのんで見守っておられると思います。
現在までの経過をご報告します。
1.PMS現地事業を一時休止(2021年8月15日)
2021年8月15日カブールの無血開城の報道は、あまりにも急な事態の変化で戸惑われる方も多かったのではないでしょうか。
この間の動きはPMS幹部よりPMS支援室に逐一報告があり、関連した海外ニュースの要約を交えて情勢の把握をしております。
急な変化で一時、無政府状態となりましたのでPMSと打ち合わせて、8月15日より医療・農業・用水路事業の休止を決定しました。
多くのPMS職員はそれぞれの自宅に家族と留まり注意深く推移を見ていました。
その後は現地スタッフ全員の安全が確認され、周辺での治安上の問題はありませんでした。
カブールもジャララバードも静かで、8月21日ごろにはバザールが日常化してきました。
一般的な治安は保たれ、政変が起きる際に繰り返して見られた略奪や混乱はありませんでした。
カブール空港は人が集まり混乱がみられていますが、出国を待つ人々だけでなく職を求める人々なども多く混じっているようです。
2.事業再開へ向けて ダラエヌール診療所の再開(2021年8月21日より)
安全を確認し、まずは医療など一刻も待てない事業から再開しました。
(1)ダラエヌール診療所の再開
1991年に開設したダラエヌール診療所は農村無医地区医療計画の要でした。また水事業が始まった原点でもあります。
8月15日に診療所を休止していましたが、以前より新型コロナ、特にデルタ株の流行が広がり呼吸困難を訴え酸素吸入を要する患者が急速に増えていました。
診療にあたる医療職員の感染防御のためにN-95などの医療用の特殊マスクを急遽日本から送るなどの対応をしました。
またマラリアや腸チフスの流行期にもあたり診療所は繁忙期でしたので、住民からの再開を求める声も多く、医療スタッフも戻り、安全を確認して診療所を8月21日より再開しました。
(2)農業事業の再開へ向けて
農業事業は農作物や用水路周辺での植樹への水やりは地域の住民や作業員の手で継続されております。
再開については用水路事業と共に、政府の基本的な体制(展望)を確認した上で再開します。
旱魃の進行や食糧の大幅な不足=飢饉の懸念から、州政府の段階で動き出す兆候がありますが、今は安全保障を優先して見守っています。
この事態で地元の住民の意向や声が最も大切で、この声が政権に届くことが重要です。
ジルガやシューラという長老会の自治組織が大切な意味を持ち、中村哲先生もその自治組織の意向を尊重して事業をここまで継続されてきました。
3.過去のタリバン政権時代から
前回1990年代にタリバン支配下でも中村哲先生は事業を継続しており、農村部では治安が改善して事業を進める上では支障がないばかりか、安全であったと述べられています。
当時はソ連の撤退後、軍閥どうしの闘いの後ラバニ政権が樹立しましたが内戦は収まりませんでした。
内戦は同じアフガニスタン人同士が戦い、凄惨を極めるもので、当時のペシャワール会報にも中村哲先生が報告をされています。
それをイスラム法の支配というアフガニスタンの伝統的な価値観でまとめて政権を取ったのがタリバンでした。
「戦争を回避する」「戦闘という手段を回避する」という中村哲先生の基本の信念はここに基礎があります。
今回はガニ大統領がタリバンの攻勢を前にカブールの無血開城を選択しました。多くの批判がありますが、「戦闘を回避した」決断は大きく評価してよいと思います。
憎しみの連鎖が生まれて国が荒れ果てる、その戦争の歴史をアフガニスタンの人々は40年以上経験し続けてきました。
中村哲先生は「タリバンを復古運動体と考えるなら、軍事力で潰せるものではない。誰が政権を担う場合でもアフガン人自身の政権であることが重要」と述べていました。
アフガニスタンを舞台に大国や周辺国が代理戦争をしていることが不幸の始まりと考えるアフガニスタンの人々も多くいます。
20年ぶりのタリバン政権ですが、中村哲先生がこれまでそうされていたように、「水が善人・悪人を区別しないように、誰とでも協力し、世界がどうなろうと、他所に逃れようのない人々が人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います。」の言葉を胸に現地の事業を続けてまいります。
4.今、アフガニスタンで求められていること
「緑の大地計画」は2000年の大旱魃を前にして始まりました。当時のWHOは全人口2,400万人、飢餓線上400万人、餓死線上100万人と予測していました。
その後も大規模な旱魃は繰り返し、最近の2018年大旱魃は国連機関の発表で全人口3,700万人、飢餓線上8300万人、餓死線上330万人とされています。
そして2021年前政権は今年の旱魃は2018年と同等かそれ以上を予測して、全国民が被災し、30%が餓死線上、50%が飢餓線上にあると警告を発しました。
2021年PMSが行っているクナール川での水位測定は2018年の水位と同様の低いパターンで経過しています。
だからこそ前政権は農地復旧に力を入れ、水事業の一つとしてPMS方式で進める計画を立てました。
これらの政策が踏襲されるか否かはタリバン政権の判断を待たねばなりませんが、多くの民衆の求めるものは「家族一緒に3度の食事がとれる」ことが基本とすれば、おのずと選択は決まるでしょう。
また新型コロナ・デルタ株が猛威を振るう中で栄養が足りず免疫力が弱いものから倒れていく事実を思う時に、いまアフガニスタンが必要なことは戦闘ではなく、命をつなぐ行動であることは明白です。
今、PMS事業の猶予はありません。現地の人々の求めに呼応して事業を継続いたします。
日本でも多くの地域で新型コロナ・デルタ株が猛威を振るう中でも、PMS/ペシャワール会をこころに留め、支援していただいていることに心からの感謝を申し上げます。
(2021年8月25日)
Ⅱ:2021年9月17日 ペシャワール会会員・支援者の皆様へ
「緊急のアフガン問題は、政治や軍事問題ではない。パンと水の問題である。命の尊さこそ普遍的な事実である」―中村哲
前回8月25日の報告から3週間が経過しました。現地とは頻繁に連絡を取り、安全を確認しております。
8月15日に一旦休止したPMSの活動は一部再開しました。近況をお届けいたします。
1.PMS事業の再開について
◎医療
ダラエヌール診療所は、地域住民からの要望もあり、安全を確認した後、8月21日に再開しました。
多くの職員が復帰して診療は軌道に乗りつつありますが、時期的にも早期に通常の態勢に戻ることが求められます。
これまでにも新型コロナ感染者の来院はありましたが、6月頃よりデルタ株と推測される患者が急増しています。
◎農業
9月2日にPMS農場があるガンベリ地区を管轄するシェイワ郡長より治安状態の報告を受け、事業を一部再開しました。
レモンの収穫から始まり、田畑の整備をしています。
◎用水路
9月4日にナンガラハル州の行政当局より連絡があって協議が開催され、用水路事業の報告をしました。
その時点では州知事が正式に就任していなかったため、具体的な工事再開には至っておりませんが、すでに現場の見回りなどを行い、再開の準備は整っています。
2.干ばつについて
今年は2000年の大干ばつを上回る干ばつが進行し、国境を越えて近隣国へは逃げられず、首都カブールには多数の国内難民が集まっています。
PMSが灌漑した地域は農地がすっかり復旧し豊かで干ばつの影響は受けていませんが、一歩離れると干上がった田畑が見られます。
ダラエヌール渓谷には、大口径の灌漑井戸が13本ありましたが地下水位が下がっており、草一本もない2000年当時を彷彿とさせる荒廃した畑が広がってきました。
そのため、用水路から水を高所に揚げて灌漑する計画を立てています。
ナンガラハル州の他地域も同様で、井戸やカレーズの水位が下がってきています。
国連世界食糧計画(WFP)は「数百万人が大飢饉の危機に瀕する」、国連食糧農業機関(FAO)は「アフガニスタン人世帯の20%以上が大惨事の食糧不足」と警告を発しています。
前政権も今年6月に「アフガニスタン全国民が被災し、30%が餓死線上、50%が飢餓線上にある」と訴えていました。このままでは惨状が待っていると言わざるを得ません。
3.アフガニスタンの現況と課題
カブールとジャララバードでは8月21日にバザールが開き、続いて学校が再開するなど、人々の生活は普段に戻りつつあります。治安は安定しているようです。
一方、銀行は開いたものの預金引き出しの制限(200ドル/人/週)があり、経済は十分回っていません。
PMSでは診療活動を再開したものの、9月末には薬品が底をつきます。
また、職員への8月分の給料も未払いの状態です。物価はじわじわ高騰してきています。
アフガニスタンの暫定政権の主要閣僚が発表されるなど、体制の全容が徐々に見えてきました。
PMS事業再開の条件(治安・職員の安全・地域の安全)は整いつつありますが、灌漑用水路などの規模の大きな事業は州や国レベルの明確な理解を必要とします。
また、特に大きな費用がかかるという点を考えれば、銀行が前述したような状態では身動きが取れません。
早期の銀行正常化が待たれます。今はまだタリバン政権を断罪するのは時期尚早で、制裁を科すのではなく政権の行方を慎重に見極める時期です。
4.私たちが訴えたいこと
中村先生は大干ばつの中、飢餓・餓死に直面しているアフガニスタンの人々への食糧援助と、長期的には干ばつ対策=灌漑用水路事業による自立支援、「戦より食糧自給」を繰り返し訴えていました。
2021年は深刻な干ばつに新型コロナ感染症の拡大が加わり、このまま孤立させては惨状が待っているだけです。
私たちは「命をつなぐこと」を最重要課題と考えています。凄惨な戦闘を回避することが、命をつなぐ唯一の道ではないでしょうか。
アフガニスタンは40年にわたって大国や周辺国の代理戦争の場となり、戦乱が続いておりました。
その間、様々な主義・主張が飛び交うなかで、人口の80~90%を占める農民・遊牧民の存在は国際社会から無視されてきました。
貧困者ラインが90%という実情を直視すべきです。手を差し伸べる対象は彼らなのです。それこそが、平和への第一歩と考えます。
基本的人権の最も大切なものは生存権であり、アフガニスタンでは深刻な干ばつのためにそれが脅かされています。
私たちは、どのような状況下であっても、人々の生きる権利を第一と考え、「他所に逃れようのない人々が人間らしく生きられるよう」(中村哲)支援を続けてまいります。
どうぞ、今後とも温かいご支援とご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。
■村上 優
大阪府出身。九州大学医学部卒業。
精神科医として、国立肥前療養所(現国立病院機構肥前精神医療センター)をはじめ、各地の国立病院を経て、現在さいがた医療センター(新潟県上越市)に勤務。
1992年よりペシャワール会の事務局長、副会長を務め、2015年ペシャワール会会長に就任。
中村哲医師(PMS総院長、ペシャワール会現地代表)の後を継ぎ、2019年12月よりPMS総院長に就任、ペシャワール会会長を兼任する。
中村医師との公私にわたる交友は46年におよび、ペシャワール会発足当初から一貫して活動を支えている。
※PMS:ピース ジャパン メディカルサービス(平和医療団・日本)。中村哲医師によって創設されたアフガニスタン現地事業体
ペシャワール会
〒810-0003 福岡市中央区春吉1-16-8 VEGA天神南601号
☎092-731-2372
FAX:092-731-2373
http://www.peshawar-pms.com/
peshawar@kkh.biglobe.ne.jp
(MK新聞2021年10月1日号)
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について
ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。
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1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)