エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【420】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2023年4月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
2010年の夏、在大阪・神戸インド総領事のヴィカース・スワループさんを取材したことがある。
その際、一冊の本を携えて行った。
『ぼくと1ルピーの神様』(日本語版2006年)だ。
世界的なベストセラーで、これを原作に映画化された『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年)は米国アカデミー賞八部門を受賞した。
実は、スワループ総領事はこの小説の作者。
大学で歴史学、心理学、哲学を学び、インド外務省へ。
外交官としてトルコ、アメリカ、エチオピア、イギリス、南アフリカ勤務を経て、2009年から2013年まで日本に赴任しておられた。
たまたま「インド総領事」を取材することになり、名前を見て驚いた。
作家の? 総領事? いま日本に? 知らないで偶然その在任中に取材を依頼したなんて!
インタビューはもちろん、総領事としての仕事について。
特にインドと関西経済界の関係。
その現状や今後の連携強化について考えを聞いた。
一時間の取材を終えてから、一言だけ彼の小説の感想を述べ、新作について尋ねると、「休日に執筆していますが、日本では休日にも仕事が入るのでなかなか進まない」と笑っておられた。
そして私は、何年か前に読んだ本を鞄から取り出してサインをお願いした。
名刺を見ながら宛名も書いて下さった。
前回のこの連載で、古書店などで著者サイン本が売られていることがあるが、極論すれば、自分の目の前で本人に署名してもらったのでなければ自筆の確証はない、と書いた。
特にネットオークションには数多くの偽造品が出品されているだろうことは容易に想像できる、とも。
ただ、私は次のようなユニークな経験をしたことがある。
ネットオークションはもう十何年やっていないが、かつて、大好きなNKの署名本を落札したことがある。
2006年のことだ。
ネット上の出品者名は本名ではないので意識していなかったが、宅配便の差出人や振込口座の名義を見て、思い当る名前だったので、ある作家の本名を調べたら、やはりその人だった。
Nからの謹呈本を売却していることを世に知られたら気まずいだろうから、知らぬ顔をしておこうとも思ったが、聞かずにはいられなかった。
なぜなら、出品者も私が愛読する作家だったからだ。
連絡メールの中で「SAさんですか」と作家の筆名で尋ねた。
それまでに読んだSの著書名も記した。彼は認めた。
NとSに交流があったことは以前から知っていた。
Nはすでに亡くなっていた。
Sが出品したN関連のものは、その後もいくつか落札した。
その中にはNの作品集に写真が掲載された肉筆短冊の現物もあった。
そのSも2021年に亡くなった。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)