エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【200】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2007年5月16日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
書店でよく思うことがある。おおげさに言えば、身体感覚というか、自分がこの宇宙における座標のどの位置を占めているのか、どれだけの空間を占めているのかという感覚のにぶい人がいるということだ。
例えば、大型書店でも棚と棚のあいだの通路はそれほど広くない。できるだけ蔵書量を増やしたいからだろう。比較的ゆったりとした設計の店でも、棚に沿って歩いて、すれ違えるぐらいだ。その通路を大きなデイバッグを背負ったまま、うろうろする人がいる。
その人が立ち読みしていると、背後が通りにくい。通る際に声をかけないと、通れるように身体の向きを変えようとしない。「じゃまくさいなあ」という表情を見せたり、中には「なんだよ、通れるやろ」という目つきを返してくる人もいる。意外に多くの人が、狭い通路にそういう人がいたら、何となく隣の通路から逆まわりしたりするのではないだろうか。
こんなこともある。棚の前に立ち止まって本を探していると、通路の反対側の棚、つまり自分の背後に誰か人が立つ。背中合わせに立っている格好だ。こちらは、「これでは、通路をふさいでいる。人が来たら通れない」と気になる。実際、人が近づいてきたら、位置をずらして通れるようにあける。自分が先にここにいたのに、あとから背後に立った人はそんなことまったく気にしていない。
それどころか、立ち位置をずらそうともしないその人は、二人のあいだを通り抜けようとして鞄や身体にほんのちょっと当たった人の方をチラッと振り返り、にらんだりするのだ。
あるいは、いわゆる「客の導線」上に突っ立っている人も少なくない。
例えば、エスカレーターと店の出入口を結んだ線上や、集中レジの出口の延長線上、曲がり角など。この広い店の中で、どうして人の往来が多い、そのような位置をわざわざ選んで、そこに突っ立っているのか。「ここは人がよく通る」とか「自分が通行のじゃまになっている」とか、意識しないのだろうか。
この人たちを道徳的に、またマナーの問題として責めているのではない。このような身体や空間のセンスを人はいかにして身に付けるのか、身に付けられないのはなぜか、そんなことを考えたりする。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)