ロンドンからパレスチナへ②|MK新聞連載記事

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ロンドンからパレスチナへ②|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
パレスチナカメラマン・桐生一章氏のロンドンからパレスチナへ②「抵抗を続けるビリン村で」です。
MK新聞2015年1月1日号の掲載記事です。

抵抗を続けるビリン村で

お茶の誘い

ビリン村へは初めてパレスチナを訪問した2005年から毎回来ている。
1800人ほどの村だが、有名な村だ。
ビリン村では2004年から毎週金曜日に、イスラエルが決定した違法な国境線に対してデモを行っているからだ。
海外メディアに取り上げられることもある。
デモに参加すればいろんな国からパレスチナをサポートしに来ている人たちに会うことができる。
北欧の人たちが多いような印象だ。イスラエルのサポーターを見かけることも珍しいことではない。
パレスチナや海外の報道機関も来ている。

村には商店が3、4軒ほど。のどかである。
イスラエルの占領政策のため、日がな一日仕事がない大人たちがお茶を飲んだりして時間をつぶしている。
村を歩いていると時折お茶に誘われることがある。
断ることは失礼に当たるのでなるべくごちそうになろうと思うのだが、後で一日を振り返るとずっとお茶を飲んでいたということになることが多い。

催涙弾が胸に

デモをする日は金曜日だ。
イスラム圏では金曜日は日本の日曜日にあたる。正午の礼拝を終えた後に、みな村の中心に集まり分離壁まで行進していく。
村を出るとすぐにオリーブ畑になり、その先に違法分離壁がある。
イスラエルが勝手に作成した国境線は、村の58%にもなる農地を奪った。これでビリン村の農家の多くは農業収入が絶たれてしまった。
奪われた農地には違法入植地が建築されている。
デモはその取られた土地を取り戻すために行われている。

デモ参加者は多いときには100人以上になることもある。
海外からやイスラエルからの参加者も一緒にデモに参加する。
日本人の旅行者を連れて行ったこともある。
日本でのデモとは随分雰囲気が違うので初めての人は戸惑うことが多い。

待ち構えるイスラエル兵

待ち構えるイスラエル兵

分離壁でイスラエル軍、イスラエル国境警備隊などがデモ隊を待ち構えている。
大人のデモは非暴力ということで、大声でシュプレヒコールするだけだが、それに対してイスラエル軍は催涙ガス、爆音弾、汚水、ゴム弾、実弾などで鎮圧しようとする。
すぐに少年たちが投石を始める。イスラエル兵はもちろん彼らにも発砲する。
催涙ガスは吸い込むと呼吸ができなくなり、鼻水、よだれ、涙が出てきて動けなくなる。
吸い込むととても苦しい。

デモでは写真を撮るためになるべく前の方に出るようにしている。
今回は催涙弾を水平発射されて胸に当たった。たいしたことはないのだが、これは海外の人間に対する警告だろう。
実際に足に実弾を撃たれたパレスチナサポーターもいる。
彼らは数週間から数ヶ月同じデモに参加するので、イスラエル兵に認識されているのだ。
イスラエル兵は国籍を問わずに攻撃してくる。
しかし、デモの現場やイスラエル兵が夜間に村に侵入して来た場合など、そこに海外の人間がいることでイスラエル兵の暴力が過剰になることを防ぐことができる。
軍や警備隊(装備は軍と同じだが法的にできることが違っている)は、デモの参加者を逮捕することもある。
海外からの参加者であれば数時間で解放されることが多いが、パレスチナ人であれば何日も帰ってこない場合がある。
大人たちは数時間で引き上げるが、投石を始めた少年たちは日が暮れるまで続けることが多い。
パレスチナ女性のデモの参加者も見かけることもある。

パレスチナの人々によるシュプレヒコール

パレスチナの人々によるシュプレヒコール

 

違法な壁、違法な国境

デモではイスラエル側もビデオカメラでデモ参加者を撮影しており、深夜村に侵入してきて逮捕していく。
深夜に20人ほどで侵入してきて、単なる嫌がらせのためだけに爆音弾やガス弾を撃つ。
逮捕されてしまった人は半年間以上刑務所に入ることになることがほとんどだ。
いつイスラエル軍が村に侵入してくるかわからない。パレスチナでは本当に心休まるときはないのだろうと思う。
ビリン村では最近、裁判の結果分離壁を後退させることができた。
今回行ってみると、今までのフェンス(違法国境)がなくなっている。
全部ではないが土地が戻って来たのだ。
初めてフェンスの向こう側に行ってみる。取り戻した土地にはオリーブ畑が広がり、農作業小屋や子どものための遊具などを置いた公園もできていた。
少し土地が戻ってきたが、新しく建設された分離壁はコンクリート製になって、恒久的に違法な国境が決められたような印象だ。
違法分離壁のすぐ向こう側には違法入植地が建築中であり、その工事の音が聞こえてくる。
壁を見に連れてきてくれたパレスチナの友人は彼の息子とともに入植地の方を眺め、指差しながら何か話していた。

平和的なデモにも被害者

2009年、バッセムという青年がデモの最中、腹部に高速の催涙ガス弾を受けて死亡した。
2011年、今度はそのバッセムの姉ジャワヒーさんが催涙ガスの強度の毒性による呼吸困難により死亡した。
ビリン村ではデモの被害者を2人も出してしまった。
バッセムは催涙ガス弾に撃たれる直前、イスラエル兵に向かって、羊飼いと羊たちがデモを横切ろうとしているので攻撃をやめてほしいと懇願しているところを、至近距離からガス弾を受けて死亡した。
彼は投石などしていなくて、平和的にデモを行っていただけだった。
僕は2009年にビリン村を訪ねていて彼に会っている。いつも笑っている大柄な男だった。
あだ名はフィール。アラビア語で象という意味だ。
この村を題材に映画が何本か撮られている。佐藤レオさんの「ビリン・闘いの村」。
2013年「壊された5つのカメラ」はアメリカ・アカデミー賞にノミネートされ、その後エミー賞を受賞した。
日本でも公開されている。

MK新聞について

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「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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