エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【416】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2022年12月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
押し入れの奥をガサゴソやっていたら、昔観た芝居のパンフレットが出てきた。
オンシアター自由劇場という劇団による「上海バンスキング」。
串田和美(かずよし)の演出で、吉田日出子が主演した。
何年にどこで観たか、確かなことは思い出せなくなっていたが、パンフによると、一九八四年一二月二六日から二八日までの大阪サンケイホール公演に行ったようだ。
映画のパンフについては、かなり前にこの連載で取り上げた。
昭和の映画パンフは、型どおりのつまらないものが多かった。
名場面の写真はピントが甘いのか解像度が低いのか、印刷が悪かったり、多くは単色写真だったり、ページも少なく、読むところや情報も少なかった。
いいお値段していたのに。
それでも、習慣か惰性か、毎回買う人が結構多かった。
あるいは逆にまったく買わない人か。
また、まったく買わない人も二極化していて、映画に思い入れがない人か、パンフ三、四冊分の代金で、もう一本映画が観られるじゃないかという映画好きか。
私自身は、本のようにモノ(冊子)として魅力的なパンフや、読みものやデータが充実したパンフなら買うし、そうでなければ買わない。
そんなのあたりまえだと言われるかもしれないが、「映画パンフ毎回買う人とまったく買わない人に二極化説」が実際にそうだとしたら、「買う買わないはパンフによる」人は、意外に少数派ということになる。
一方、音楽コンサートや演劇の公演パンフは私も毎回買う。
日常的に行く映画と異なり、そもそもファンか、興味あるミュージシャンや劇団だからこそ、特別な機会である生の公演に行くのだから。
いずれにせよ、かつては、いかに感動した映画や公演であっても、前売り券(今もある?)の半券やチラシ、パンフなどを保存していなかったら、観たことを思い出すきっかけがなく、そのうち(何十年も経てば)観たことすら忘れてしまうことがあった(別にそれでもいいのだが。人生とはそういうものだ)。
それが今では、ビデオがなかった時代や高価だった時代とは違って、映画もコンサートも演劇も手ごろな価格でDVDを購入して繰り返し観られる。
また、インターネットでも、動画を観たり、データを確認したり、解説や評論、監督や出演者のインタビューを読んだりできる。
さらに、ネット上にある映画や舞台の写真、情報などはコンピューターに保存することもできる。
その意味では、なおさらパンフは素敵な造本やデザイン、独自の内容でなければ、もう買う意味がほとんどなくなっているのかもしれない。
ところで、「上海バンスキング」の初演は一九七九年で、パンフによると私が観た八四年の公演は五演。
たまたま同時期に深作欣二監督、松坂慶子主演で映画化されたが、とても感動した舞台にくらべて深作版の映画は少々残念だった。
というか、別物だった。
その後、串田和美(かずよし)や吉田日出子ら劇団員自身によって再映画化。
八八年春に公開された。
もちろん、劇団版の映画も観に行った。
八八年春――それは私が社会人になってちょうど一年を経たころで、その時の思い出が連鎖してよみがえってきた。
「上海バンスキング」の公演パンフを久しぶりに手にして。
その話は次回に。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)