大阪の文化に”なでしこ”あり。3年目のエル・ライブラリーとその前史|MK新聞連載記事

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大阪の文化に”なでしこ”あり。3年目のエル・ライブラリーとその前史|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
大阪の文化に”なでしこ”あり。3年目のエル・ライブラリーとその前史の記事です。
MK新聞2011年10月1日号の掲載記事です。

大阪の文化に”なでしこ”あり。3年目のエル・ライブラリーとその前史

酷暑の盛り、2011年8月12日(金)夜、大阪の地下鉄天満橋駅から徒歩五分の「エル・おおさか」で「戦後社会・労働運動と幻灯」の上映会が行われた。
上映会場は五階で、上映前に四階から慌ただしくキャスター付きの書棚がいくつか上映会場前に運び込まれた。
運ぶのはライブラリー館長の谷合佳代子と補佐の千本沢子。
開会前と休憩の僅かな時間を利用して、古本を売って運営資金の足しにするためである。
会員などから寄贈された単行本はどんなに元値が高くても一律二〇〇円、新書七〇円、文庫五〇円。「寸暇を惜しんで資金稼ぎ?」(筆者)、「そうです(笑い)」(谷合)。
普段は寄贈された雑貨類も格安で売る。

じつは三年前の2008年4月、大阪府・橋下知事による嵐のような経費節減の一環としてエル・ライブラリーの前身、大阪府労働情報総合プラザへの府の補助金が何の連絡もなくゼロにされることが判明し(PT案)、これで収入の七割が吹っ飛んだ。
ブログで反対を訴え、各党議員に会って反対を要請、インターネット上の署名運動、文化人の協力依頼など、やれることはやり、一般紙は反対の記事を書いてくれた。
情報プラザ廃止の前日、読売TVが取材に来た。
「私ががっくりしているところを撮りたかったらしいんですが、明日から建て直しのため頑張ります、と言いました」。
結局、その「めげずに頑張ります」の部分は全てカット。
廃止翌日の8月1日、ホームページとブログで「エル・ライブラリーを作ります。サポート会員を募ります」。
補助金ゼロが判明した時点で、表面は反対の姿勢を打ち出したが、水面下では継続の方策を探っていた。
「わたしたちは決してひるむことなく、縮み志向になることなく、むしろ以前より活発に様々な活動に着手しています」(エル・ライブラリー2009年度活動報告から)。

話は1956年にさかのぼる。
この年『大阪地方労働運動史年表』編纂会が発足し、総勢37人の執筆者によってわずか一年後には上梓された(A5版、498ページ)。
この1956年に大阪地方メーデー実行委員会が「戦後労働運動物故者追悼祭」を開催、その後、1960年の第三一回大阪地方統一メーデー大会が「大阪社会運動顕彰塔」建設を決議し、1970年、大阪城公園内に完成した。
そして顕彰塔の管理運営と社会労働運動の資料収集整理・運動史刊行のための「大阪社会運動協会」設立の必要性が確認された。

翌1978年労組・個人の出損金をもとに財団法人「大阪社会運動協会」が設立され、1981年に『大阪社会労働運動史』発刊計画が決定、第一巻の編集作業が始まり、1982年3月に資料収集アルバイトの一人として学生の谷合佳代子が雇われた。
谷合は大阪府立中之島図書館所蔵の明治20年以降の「大阪朝日」「大阪毎日」のマイクロフィルムを特別に借りだし、記事全てを読んで社会・労働関連記事をコピーし、記事目録を作成するという気の遠くなる仕事を朝から晩までこなした。
この事業は人を継ぎつつ結局15年続いた。

谷合は京大人文科学研究所の教授、渡部徹のゼミ生で最後の教え子であり、現代史を専攻し、卒論が「光州学生運動事件」。
これは1929年に数ヵ月にわたって朝鮮各地で行われた抗日学生運動だった。
その後、資料室責任者であった田中はるみが1985年6月に退職し、谷合がその後任となった。
2009年、『大阪社会労働運動史』全九巻が完成、谷合はほぼ全巻の編集に関わった。

一方、谷合の補佐役である千本沢子だが、1990年にやはりアルバイトとして関わった。
大阪教育大学の四年生で、谷合の友人が千本の担当教官という人脈だった。
仕事は本の受け入れと図書カード用のデータ収集で、全て手作業。当時、協会の資料は非公開だったが、谷合は将来の図書館的機能を視野に入れており、千本の仕事はその一環だった。
学生時代の専攻分野は国文学で卒論は『栄華物語』だが、歴史資料の扱い方も学んだという。
生まれは京都だが、大学時代は協会の仕事も含めてアルバイトの掛け持ち。結婚して子育ての時期も協会のアルバイトはしていた。
2000年4月、協会はエル・おおさかで大阪府労働情報総合プラザの委託運営を始め、研究者、学生、労働問題の最新情報を求める企業の人事担当者に利用された。
利用者が着実に増えていった2008年7月、府の補助金が全廃、プラザも廃止に。
千本は「やれるところまでやろう」と腹を括ったという。
「20年間、原資料にずっとさわってますし、生の声の資料もあり、愛着があります。戦前、戦後の難しい時期の人達のものもあり、それを後世に残すという責任もあります」。

ここで千本が言う「原資料」は「大阪社会運動顕彰塔」と関連する。
2007年に『大阪社会運動顕彰塔 顕彰者事跡録』(A4、370ページ)が協会から刊行されたが、ここに収録されているのは1,537名。
もっとも生年が早いのは1865年(慶応元年)の安部磯雄(元社会大衆党委員長)のようだ。
この塔に祭られるための申請書原文は活字になった『事跡録』の内容よりも字数が多く、千本はその原文にすべて目を通してきたことになり、「愛着」の対象は記事の背後にある人生も含んだものだろう。
この顕彰・追悼式は毎年10月15日、大阪城公園で行われる。

千本は雑誌の受け入れを担当し、エル・ライブラリーのメールマガジンに「今週の注目記事」を書いている。100誌余りから労働問題関連の約30誌の目次を全てブログに入力するという面倒な作業を続けているが、例えばパワハラやセクハラ問題への裁判所の対応が少しずつ変わっていくなど、時代の“流れ”が見えてくるという。
谷合は本の受け入れを担当。名古屋の労働図書館が閉鎖になって、その資料が段ボール200個分、一度に届いたり、整理が追いつかないものが山積みで、それは書架約110メートルにもなる。
「未整理ですが、自由に見てください」という対応もする。
こうした人も金もないなかでボランティアの存在は大きい。
大阪府立図書館の元職員が二人、元書店員、大阪社会運動協会の元役員がほぼ毎週やってくる。

谷合の悩みは資料整理が滞っていることだが、一方で財政基盤の安定化が急務になっている。
今は現状維持で精一杯、サポート会員(原則年間5,000円)獲得のためいろんな会合に足を運ぶ。
谷合も千本も給料は三分の一に激減したが、それでも縮まず怯まずの姿勢は崩さず、今年十月で三年目を迎える。強いなでしこはサッカーだけではない。大阪のエル・ライブラリーに“文化のなでしこ”がいる。

○連絡先
大阪市中央区北浜東3-14 府立労働センター(エル・おおさか)
℡06・6947・7722
FAX06・6809・2299
メールlib@shaunkyo.jp

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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