エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【307】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【307】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2013年11月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

自炊する本は、読み終わったら捨てるような内容のもの、またはモノとして特に魅力があるわけではないもの、つまり愛読書として身近に置いておこうとは思わない本であるのはもちろんだが、収納スペースさえあれば、できることなら自炊したくはないが、しかたなく裁断し、コンピューターに紙面を読み込んで、廃棄してしまうものも少なくない。
さて、その優先順位だが、文庫本や新書は、作業の手間についても自炊しやすいし、モノとしての愛着もない。それに、タブレット端末で本文を表示すると、原寸あるいは原寸よりも文字が大きくなるので、自炊には最適と言っていい。
ただ、文庫本や新書はモノとしての体積が小さいので、処分した冊数の割には、棚の空間がそれほど空かない。
それで、自室の模様替えの際に改めて考えてみたのだが、いわゆる保存版や愛蔵版といった大型本、豪華本の類の中には、自炊してしまってもいいような、モノとして実はあまり魅力的でないものがあることに気づいた。

昭和四十年代ぐらいのものに、大味の豪華本が多いようだ。
用紙は大型本らしく厚いが(言いかえればページは少なく、それでいて重い)、肌触りはよくない。モノクロ写真が多く、印刷もそれほどよくない。
余白が多く、文章などの情報量が少ない。
造本は、素材は立派だがデザインする意識が低い。本文レイアウトも工夫はなく、かといって伝統的な活字組版の美しさもない。それでも、興味ある特殊な分野の文献なので読んでみたい、一応は揃えておきたいというような本が、本棚を改めて眺めてみると意外にあるのだ。
高価だし、立派だし、自炊の対象として端(はな)から考えていなかった。
しかし、高価で立派な本であっても、私にとって、内容さえデジタルで残しておけばいいものと、いつでも目や手に触れられるよう本棚に並べておきたいものがあるという、ごく当たり前のことについて再認識した。
ところで、自炊は本の大きさよりも、ページの多いほうが手間がかかるので、大型本のほうが文庫本よりむしろ早く処理できる。
より短い時間で、大きくて重い本が棚からなくなるのだから、やはり自炊は大型本から手をつけたほうがより捗るというわけだ。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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