エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【224】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【224】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2008年5月16日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

このごろなぜか川柳、現代(近代)の川柳に興味がわいてきた。
いわゆる古(江戸)川柳については、以前から好んで読んでいた。俳句(俳諧の発句)や短歌(和歌)は、昔のものも今のものも、どちらも読むのに、川柳だけは新しいものにあまり関心が持てなかった。
もちろん、近隣の文芸ジャンルとして、最低限の意識は向けていたが、積極的に読みたい本(作品や評論)を探すようなことはなかった。

実際、大型書店に行っても、川柳の本は非常に少ない。
俳句と短歌はまあまああるのに(と言っても、好きな者にしてみればまだまだ少ないが)、それらに比べると極端に少ない。
書店の棚の幅が、そのまま人々の関心、本の需要を表わしているとは言えないまでも、概ね現実を表わしているのだろう。

自分がこれまでなぜ関心がなかったか、何に興味がわいてきたのかは、これから少しずつ考えていくとして、ひとつには「川柳とは何か」という、そのアイデンティティがはっきりしないところがおもしろい、と思うようになった。
俳句と川柳は何が違うのか。考えて見ると、よくわからない。ということは、川柳を作るほうが俳句よりも難しいと言うことができる。
五七五の十七音で季語と切れ字があれば、つまらなくても一応それは俳句だが(仮にその定義が主流だとして)、では、どうであれば「川柳になる」のかがわからない。

つまり結果として良い句が川柳で、それ以外は「川柳になっていない」ということか。
しかし、「穿ち」「滑稽」「本格(?)」「情念」など、どのような志向の川柳が良い句かは人によって考えが違う。
川柳は、たまにとても良い句があるが、その多くはつまらない。だが、それを言うなら、俳句の良い句は多いが、つまらない句は、割合で言えば川柳以上かもしれない。
俳句は絶対数や情報量が多いから、より多くの良い句に出会うことができるだけだろう。

また、季語と切れ字さえあれば俳句と呼ばれ、その多くがつまらないという現実があるから、有季定型にこだわらず、無季や自由律を志向する人がいるのかもしれない。
川柳を考えることは、俳句を考えることでもあるようだ。

 

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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