エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【313】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【313】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2014年5月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

たまたま同時期に話題になったために、似て非なるものであるにもかかわらず、週刊誌などで、ひと括りにして、面白半分でネタにされることがある。
今をときめく「オボちゃん」こと小保方晴子さんと佐村河内守さんなんかがそう。

そういう意味では、電子書籍を販売していた事業者が覇権争いから撤退したために、そこから購入した本が読めなくなるという事態とビットコイン騒動もそう。
実体のない両者をダブらせて「一夜で消えた蔵書」などとやられては、ようやく端緒についたばかりの電子書籍ビジネスの業界としては、気が気でないのではなかろうか。
撤退した電子書籍の事業者が、系列店で使えるポイントで購入者に還元したり、同業者がポイント還元を申し出て顧客を引き受けようとしたり、利用者の不満が「炎上」しないよう気を配っているのも当然だろう。
いずれにせよ、電子書籍にとってこの問題は命取りになりかねない。
このままでは、将来に不安が残る電子書籍なんか買えやしない。やはり、実体や裏づけのないものは信用できない…ということになる。ビットコインじゃないけれど。

この件については、社会的にもっと大きな議論になってもおかしくないと思うのだが、そうならないのは、報道メディア自身が利害関係者だからなのか(電子出版の発行主体であったり、広告媒体であったり)。
あるいは、「被害者」であるユーザーが実は少数(?)だったからなのか。
ただ、考えてみると、逆に電子書籍を買った事業者が業界の勝ち組として事業を継続し続けたとすると、読者は電子書籍を蔵書とする限り、その事業者と決して縁を切ることはできない。
まるで蜘蛛の巣に絡めとられたような束縛感を抱えながら生きていかなければならないのだ。少し大げさに言えば。

結果としてその事業者を利用し続けるのと、その事業者を利用し続けなければならないというのでは、精神的なありようが、決定的に違う。
今、紙の本と電子書籍の長所と短所がさまざまに比較されているが、現状の電子書籍の最大の欠点は、実はそこのところにあるのではないか。
紙の本には、それ自身で存在するモノとして、何にもヒモ付けされてない「爽快さ」がある。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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