エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【276】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【276】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2011年4月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

理想の本棚というものがある。ある、というか、夢想する。たった一つの本棚。
そう、蔵書はこれがすべて。部屋の片隅に何気なくその本棚は置かれている。
仮に今、ちょうど100冊がその本棚に収まっているとしよう。別に157冊でも、131冊でもいいのだが、とりあえず。棚いっぱいに、隙間なく並べられた本。
といっても、ギチギチというわけではない。気持ちよく、すっと抜き出せて、すっと戻せるぐらい。
それまでに私が読んだものの中から、選び、残された、言わば「私が最も好きな百冊の本」である。
新刊書でも古書でも、新たに買って、読んで、それが「私が最も好きな」本の上位百以内に入るなら、この本棚に並べられる。
そのかわり、棚にあった本が抜き取られる。一冊とは限らない。本の厚さによっては二冊か、三冊。その逆もあるだろう。
そのうち、この棚の本だけを繰り返し読んで暮らすのもいいかもしれない。
もっとも、それは夢のまた夢。とうの昔に諦めていた。いうまでもない。手元に置いておきたい本があまりに多すぎるからだ。
ところが、電子書籍周辺機器の発達と、手軽に「自炊」できる環境が整ってきたことで、夢の本棚が非現実的なものではなくなる可能性が出てきた。
「棚一つ分の本だけを残して、それ以外の本をすべてそのまま手放す」ことは絶対にできないとしても、究極の本棚に収めきれない本を「自炊」し電子書籍として保存すれば、モノとしての本は思い切って処分できるではないか。
それにしても本棚一つは無理か。やはり、本はできるだけモノとして、目や手で触れていたいから。少なくとも壁一面の本棚、いや、せめて一つの部屋の本棚なら、もしかしたら……。
などと考えてはみるものの、結局はできそうもないことに思いは至る。
というのは、至極あたりまえのことなのだが、原則として、読んでみないことには、それが愛読書として「究極の本棚入り」する本か、「自炊」して処分する本かどうか、わからないからだ。一生かかっても読み切れない本に囲まれて。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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